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介護の問題は何に答えを出せばいい?「なぜ?」を追求した議論の必要性

■ いつも同じ議論をループしていないか?


介護職は「低賃金」「過重労働」と言われている。
そして高齢化社会において「人手不足」とも言われている。

これらは介護従事者も含めた、社会全体の共通認識と言ってもいい。

そして、「介護の担い手が不足しているのは、低賃金かつ過重労働だから」という話が定期的にクローズアップされる。

しかし、大抵の場合は「人手不足」の問題に対して「低賃金」「過重労働」という理由を挙げて、そこで議論が終わってしまう。

議論の内容を見ても、「低賃金→人手不足→過重労働→低賃金→人手不足→過重労働・・・」といったような話を延々とループしているように見える。

このような一部を切り取っては、メディアは国の政策を非難したり、介護現場の大変な状況や低賃金ゆえの質素な生活などをは取りあげる。

そのような実態を社会に伝えることも大切ではあるが、それもまた、どこかのニュースやネット上で見かけたものばかりであり、一向に進展している様子が見受けられない。


■ 原因や理由の先にある「なぜ?」を考える


このような議論や報道を無駄とまでは言わない。社会問題を定期的に取り上げるのは重要だ。

しかし、国民の多くが知っている社会問題や原因を取り上げることに終始し、そこから思考を止めることは、そろそろやめたほうが良いと思う。

大切なことは、原因や理由に対して「なぜ?」を問うこと。

人手不足の原因が低賃金なら、なぜ介護は低賃金なのか?
人手不足の理由が過重労働なら、なぜ介護は過重労働なのか?

もちろん、原因や理由もまた「なぜ?」そのものである。しかし、そこから議論がループするならば、議論そのものを見直したり、原因や理由の先にある「なぜ?」があると考えたほうが良い。

「なぜ」を遡及することにより、イメージによる曖昧かつ同じ議論から脱することができるようになる。


■ 「私たちは何に答えを出せばいいのか?」を問う


「なぜ?」の遡及に対して注意いただきたいことがある。

それは、「なぜ?」の遡及は「どうれすれば良いか?」「何をすれば良いか?」という方法論を導くための検証にしないということだ。

と言うのも、「これをすれば、こう変わる」という方法論を見つけたくらいでは根本的解決にならないからだ。

そもそも、身の回りに起きている問題の多くは、複合的な要素が絡み合って起きている。1つの側面だけで問題解決を図るのは危険である。

それでも、1つの問題に対して考えられる理由や原因を並べ、それぞれに対して「なぜ?」に遡及することは重要だ。それらをデータや仮説として集め、様々な角度で検証する取り組みこそ意義がある。

では、「なぜ?」を遡及するにあたり意識することは何か?

それは「私たちは何に答えを出すべきなのか?」ということである。

議論を重ねているうちに、いつの間にかお互いの価値の押し付け合いになったり、方法論を求める話し合いになってしまうのは、この「何に答えを出すべきか?」が定まっていないからだ。

議論に臨むにあたり、自分たちがおかれている状況、環境、そして問題に対して「何に答えを出すべきか」を共有しておくことで、それは議論が煮詰まったときも振り返るとなる。


■ 介護の問題は、何に答えを出せばいいのか?


では、介護における「低賃金」「過重労働」「人手不足」に対して、私たちが出すべき答えとは一体何だろうか?

それに対して、あくまで個人的な意見を述べると・・・

「介護はどうすれば 『産業』 として発展できるか?」


・・・ということではないだろうか?

これは詳しく言うと長くなるので割愛するが、少なくとも「低賃金」においては、介護という業種が産業として成熟していないことが大きな要因だと思って良いだろう。

それは介護が福祉という地域性やボランティア性に根付いたものであり、それを人を雇って仕事にしようとしたとき、どうしてもビジネス感覚が薄れてしまうことに起因している。

ビジネス感覚がないと、「お金をもらってどこまでサービス提供するのか」が曖昧になる。また、サービスを受ける利用者との認識の差から、気づいたら料金以上のサービス(タダ働き)をする状態にもなっている。

結果的に、こんな売上にもならないタダ働きが多い職種だと、「低賃金」で「過重労働」となるのは当たり前と言える。

そして、労働者の多くはお金を稼ぐために仕事をしているため、そんな業種では生活できないと感じて業界を去るのは自然な話である。

このような状態を是正するには、福祉における慈愛の精神も大切だが、それを継続するためにも、もっと介護はビジネス感覚をもつことが重要である。

それはつまり、サービス業としての『産業』を追求することである。
「低賃金」「過重労働」「人手不足」に対しての着眼点は、介護を『産業』として成熟させる取り組みが優先なのだ。


――― とまぁ、何だか鼻息の荒い記事となったが、これもまた全体から見れば小さな側面での意見である。
おそらく『産業』と言ってもピンとこない人もいるだろうし、このように書いてみて私自身も雲を掴むような話だと思っている。

それでも、ただ「低賃金だし過重労働だから、介護は人手不足なのだ」という思考ストップな議論よりはマシだと思っている。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。


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