介護している側が受ける虐待もある
高齢者虐待とは、いわゆる社会問題の1つである。
社会問題とは「弱者」に焦点と視点を当てている。
そして高齢者虐待は高齢者が「弱者」という扱いだからこそ、その不条理さから社会全体で守ってあげようという認識になる。
しかし、「弱者」の周りにいるのは「強者」ではない。
「弱者」の周りにいる人たちは普通の人間だ。何なら、その人たちだって視点によっては「弱者」にだってなりうる。
例えば、社会的に「弱者」とされている高齢者を介護している人たちだって、状況によっては「弱者」になる。
それは介護者が虐待を受けるケースも少なくないからだ。
独りでは排泄できない高齢者のオムツ交換やトイレ介助をするとき、激しい抵抗を受けることがあるが、その際に介護者が怪我をすることがある。
手を強く掴まれて青アザができたり、引っかかれて出血したり、腕を噛まれたという経験をもった介護者だっている。
このような場合、昔ならば手にミトンを装着させたり、ときには紐でベッドに縛り付けるといった行為もあった。いわゆる「身体拘束」である。
しかし、現代では自尊心やら人権やらの観点や、心身の状態を著しく低下させる要因として、身体拘束は(できるだけ)しない世の中になっている。
――― では、介護者は満身創痍になりながも、介護を要する高齢者に対して支援を行うべきなのだろうか?
これは高齢者虐待においての「身体的虐待」ではないだろうか?
介護者の自尊心やら人権やらの観点はいらないのか?
介護者の心身状態だって著しく低下しているはずではないか?
このような怪我をともなう物理的な話だけではない。
例えば、介護者は献身的に高齢者に介護をしていても、次のようなことを突然、公の場で言われることがある。
「この人に叩かれた」
「あの人が来ると物がなくなる」
「自分だけご飯を出してくれない」
「いつも怒られて悲しくなる」
正直、高齢者からのこういった訴えが、真実かどうかは分からない。だから虐待は適切な調査および分析が必要なのだ。
また、このようなケースが真実かどうか関係なく、このような高齢者からの訴えを聞いたご家族や第三者の外部の人たちは、一気にそこで介護を行っている人たちに疑いの目を向ける。
それまで献身的に介護をしてきたつもりだったのに、その対象である高齢者がそのようなことを思っていることに介護者は大きなショックを受ける。
また、ご本人よりもご家族からの労いの言葉でモチベーションを維持している介護者は多いので、そこで真実が明らかになってもいないのに疑いの目を向けられることは精神的に参ってしまう。
少し強引な視点かもしれないが、一生懸命に介護を行ってきた結果として疑いの目を向けられることは、「心理的虐待」と言えまいか?
ときには、虐待を疑われている介護者が特定されてしまうと、同僚からも疑いの目を向けられることがある。仮に疑いが晴れたとしても「普段の行いから疑われても仕方がない」みたいに終わるという理不尽なこともある。
高齢者は「弱者」だから虐待の疑いがあれば、守られるべきと言う。
介護者は「仕事」だから虐待の疑いがあっても、守られる立場にない。
これはおかしい話ではないか?
介護者だって高齢者と同様、自尊心だって人権だってある。
介護者だって叩かれれば痛いし、引っかかれば血が出る。
介護者だって不条理さや理不尽に悲しみを抱く。
同じ人間なのに、社会的な認識の違いと「仕事」というフィルタによって人間としての扱いがこうも変わってしまうのは腑に落ちない。
完全な平等なんてものはないし、「介護者が受けていることも虐待として認定するべきだ!」なんて主張するつもりはない。
また、「一生懸命にやっているから報われる」なんて甘い考えもない。
単純に、社会問題というものを1つの側面だけで取り上げると、別な側面から見たときに矛盾が生じる可能性があると言いたいのだ。
今回の件で言えば、「高齢者のあれこれが虐待と言うならば、介護者だって同じことをされている。それは虐待じゃないの?」ということだ。
それを「仕事だから」と思考停止せずに、その事実に向き合って「どのような答えを導き出せば良いのか?」と考えることが重要ではないだろうか。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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