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なぜ、あれこれ考えては物事を複雑にしてしまうのか?

■ 物事を複雑にしてしまう人たち


仕事において、事前に作業手順を提示しているのに、なぜかその通りにやらない人がいる。そのため、手順とあわせて提示している目標や成果と違った結果になってしまう。

作業をするためのスキルが不足しているならば、まだ話は分かる。知識や技術は教育によって向上することは可能だ。
しかし、そのうえで「では、この通りにやってください」と指示するも、時間の長さに関係なく、気づいたら違うことをしているのだ。

もちろん、本人に悪気はない。むしろ、一生懸命やっている。
自分で色々と勉強して調べるモチベーションもある。
ときには、作業の課題点や改善点を見つけてくれることもある。

しかし、指示した側としては、想定していたプロセスと結果ではないため、ただ困惑することになる。

このようなタイプの方々の話を聞いてみると、次のような共通点がある。

 あれこれ考えてしまう
 物事を複雑化してしまう

つまり、作業をしている途中で「あれ、これは何だろう?」「こうしたほうが良いかも」「いやでも、間違ってないかな」といった感じで、頭の中で可思考の堂々巡りが始まる。

そこから疑問などを調べたりするも、手順や目的を忘れて考えること自体が目的になってしまう。そこからさらに、その人が手をつける必要のない良い作業に及んだり、自分なりの手順で作業を進めたり、自分が思いついた成果を追求することもある。

こうして物事はどんどん複雑化していく。


■なぜ、あれこれ考えてしまうのか?


それにしても、なぜ、手順や目的が明確に提示されているにも関わらず、このように”あれこれと考えてしまう”人がいるのか? これは現代においては多い気質であるかもしれない。

理由として挙げられるのは・・・

 目の前のこととは別に、他のことを考える癖がついている
 「あれこれ考える=良いこと」と思っている

前者は、色々なものが自動化・高速化している時代において顕著であるが、どうやら人間は目の前のことに集中しにくい生き物らしい。とある研究によると、私たちは人生の半分以上、目の前のこととは別のことを考えているということが分かっている。これはもはや、人間の仕様と言えよう。

そのうえで昨今では、あれこれ考えることは良いこという風潮が伺える。それはSNSの普及によって、著名人だけでなく一般人も自身の考えを発信できるものだから、その発信量が多いことが良しとされ、そこであれこれ考えては思いつくがままにSNSに投稿する。

これはSNSを非難しているわけではなく、考えるという行為が安っぽくなっている状況であるという話である。「考える」とは、思いつきをアウトプットと言って乱発することではない。それは決して良質な思考とは言えない、言葉の垂れ流しと言える。


■なぜ、物事を複雑化するのか?


次に、なぜ物事を複雑化するのかの理由も挙げておく。

よくよく考えなくても、多くの人は物事は複雑であるよりシンプルなほうを望むだろう。携帯電話の契約だって見るのが嫌だし、購入したての電化製品の説明書を最初から最後まで読む人は稀だ。
なるべく分かりやすく説明したつもりでも、相手から「で、結局どういうこと?」と言われることもある。

このような社会であると知っていながら、自分が直接関わることにおいてはわざわざ物事を複雑化しようとすることがある。

その理由の1つとして考えられるのは・・・

「複雑なことを考えられる=賢い」という思い込み

この思い込みをしている方は、専門用語をやたら使いたがったり、大切なことと言って何度も同じ話をしたり、エクセルの機能を駆使した細かい一覧表を作成したりと、求められていない複雑さを提示した自己アピールに余念がない。
他人から小難しいことを言われると嫌がると知っているのに、自分発信となると物事を複雑にするのは、複雑な内容にすることで頭の良さや賢い自分を演出しようとしているように伺える。

――― もちろん、これはあくまで憶測である。しかし、もしも「自分はそのような思い込みはある」と耳が痛いと感じたならば、少し相手の視点に立って、必要に応じて細かくすることと、簡略化して良いことを分けて考えることを推奨する。


■ サプライズよりもプロセス重視


では、どうしたら良いのだろうか? 積極性を見せれば良いのか、それとも言われたとおり無難に仕事をすればいいいのか?

まず、自分なりに考えることは大切である。
課題を見つけたり疑問を調べたり、思いついたことを提案してカタチにする積極性は仕事において望ましい。
しかし、その場において手順や成果が提示されている場面においては、その積極性を発揮することは控えたほうが良い。

まずは指示された手順で作業を遂行して、求められる成果を提示することが先決だ。つまり、やることをやってから自分の意見を言おう。

これは当たり前の話だが、このことを忘れて自分の考えを優先してしまうことは少なくない。だからこそ、求められていることを先にやってから申し出をするのが適切なのだ。

そのうえで上司などに「作業手順通りにやってみて、この部分がやりにくかったのですが・・・」と言えば、指示した側だって「ああ、こうすれば良いよ」と教えてくれたり、「言われてみれば、それは改善が必要ですね」と取り上げてくれるかもしれない。

また、何か提案するときも、黙って行動していきなり結果を見せるようなサプライズは避けるべきだ。
多くの人は、自分の考えをカタチにして「すごーい」と周囲の注目を引くイメージ(妄想)をしがちだが、期待するほど賞賛されることはない。それどころか「うーん、意欲は買うけれど・・・」「こういうことをしている暇があれば、もっとさぁ・・・」と言われるのがオチだ。

こうならないように、事前に「改善案があるのですが、ちょっとカタチにしてみても良いですか? 業務に支障はきたさないようにしますので」と打診することが大人である。

つまり、評価のためのサプライズ思考よりも、関係性のためのプロセス重視であるほうが評価は担保されよう。

――― というわけで、仕事において手順と成果を提示しているのに、あれこれ考えて手順と成果を忘れた結果、物事を複雑にしただけで終わることについて考えてみた。

もちろん、本記事はあくまで1つの側面である。他にも「人の話を聞いていない」「指示を理解できる能力が欠ける」あるいは「指示する側の説明能力の不足(何言っているのか分からない)」だって色々だ。

それでも、思い当たる方がおられたら、少しばかり相手に寄せた視点でプロセスを段階的に踏んでから、自分なりの考えや提案をされてはいかがだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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