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1つも問題のない職場はあるのか?

■ 退職するときの捨て台詞


会社の人事または介護サービス事業の管理者として、職員から退職する意向を告げられることがある。連鎖退職となった経験もある。

この際にありがちなのは、職場に対する問題を捨て台詞のように言ってくることである。その中には私への不満も当然ある。

「自分ばかり業務負担が大きい」
「給料が低い」
「この職場は教育が不十分だ」
「休日や休憩がとりにくい」
「〇〇さんの態度が耐え切れない」
「あんたの考え方にはついていけない」

といった具体だ。他の業界はどうかは分からないが、介護業界においては業務過多と低賃金そして人間関係が退職理由のトップを占める。上記はこれらを全て含んでいる。

そのため、私は退職する職員からこのような話を聞くときは、黙って聞くようにする。それは引き止める意味ではなく、自分の会社や職場でも業界内でまん延している問題があることを受け止めるためだ。


■ 人知れず抱え込んで爆発する


職場の問題を受け止める一方で、思うこともある。それは「この手の問題はどこでもあるだろう」ということだ。

別に開き直っているわけではない。単純に、どこで働いてもあるような問題ではあるとは言え、今いる職場で不満や感情が積もりに積もって退職を決意したのだということに気づかされるのだ。

また、退職する際に職場の問題点を口にする職員の多くは、自分が問題だと思っていることを日常で職場や上司に言わない。

例えば、業務過多について「申し送りやカンファレンスで話したことはありますか?」「管理者の✕✕さんにに相談したことはありますか?」と聞くと、大抵はNoと言う。
だからこそ、「自分だけが頑張っているのに報われない」という不満が積もっていき「この職場はおかしい!」と独りよがりな結論を出して辞める様子が伺える。

実際、他の職員に背景を確認すると「え、そんな問題があったんですか?」と驚かれることも少なくない。場合によっては「言ってもらえれば何とでもなったのに・・・」という話もある。退職後なのであとの祭りである。

退職を決めてから職場に物申したくなる気持ちは分かるが、その前に協議の場面などで提案したり、同僚や上司に相談や訴え伝えるのが健全だと思う。


■ 大なり小なりどこの職場も問題はある


とは言え、職場の問題点を周囲に言いにくい気持ちは分かる。それを口にしたら自分の立場や同僚との人間関係も変わるリスクも考えるだろう。

しかし、「話してもらわないと気づかない」という話もある。これは職場の問題を独りで抱えている人を責めている意味ではない。逆説的な話であるが、退職者からの訴えによって職場がその問題点に気づくことは少なくないという話だ。
特に長く勤務している職員にとっては当たり前でも、後から入社した職員が見たときにおかしいことは多々ある。と言うか、問題点というのは客観的な視点を持たないと気づかない。
言ってしまえば、誰も気づかない問題が慢性的にずっと放置されたままということは大なり小なりありうる。

また、仮に問題に気づいたとしても、その分野によっては改善しようとしたときに反対する者が現れて時間がかかったり、何とか改善したとしても定着するまでにも時間がかかる。
それどころか、改善に反対する職員が個人的あるいは徒党を組んで、以前の体制に戻してしまうこともある。
一番厄介なことは、問題点に気づいて改善の必要性を伝えたとしても、その職場にとっては現状で問題ないので「何で変えるの?」となってしまい、ここでも改善が進まないことはよくある。

何が言いたいのかと言うと、職場における問題というのは気づこうが気づかまいが存在しているという話である。

違うのは、誰にも気づかれずに放置されいてるか、問題と気づいているのに放置されているか、あるいは改善しているが中途半端な状態かくらいだ。

何度も言うが、別に職場に問題があることに対して開き直っているわけではない。現場は現場で大変なのは分かるが、経営や運営という立場としても改善しても次々と現れる問題とイタチごっこのよう格闘しているのは少しでいいので理解いただけると嬉しい。


■ 「改善すること自体が問題」と考えて辞める人もいる


最後に、意思のすれ違いという意味で仕方ない話をしようと思う。

上記のように問題というのは常に大なり小なり職場に存在するものである。そこで経営者や運営者が何かしらの問題に気づいたとき、時世や社会背景も踏まえて職場を改善しようとする。

問題を改善することは普通に考えれば良いと思うだろう。
しかし、「問題を改善するということ自体」を問題と捉える職員がいる。

このあたりも上記でお伝えしたように「自分は今のやり方のほうがいい」「会社がどう言おうと、自分たちのやりやすい方法で仕事します」として改善に反発したり改善前の体制に無理やり戻す人はいる。

それは、その職員たちにとって改善は望ましいことではなく、ただの問題でしかないからだ。

このような職員の改善への反発の意思は強固である。しかし一方で、問題の改善を素直に受け入れていく職員もいるし、「上から言われたから通りにしようか」と特に考えもせずに応じる職員もいる。

すると、改善に反発している職員はどんどん職場で浮いていく。そうして最終的に退職するという決断をする。冒頭のように退職するときに「この職場は問題がある!」と捨て台詞を言って去っていく。

周囲が問題を改善しようとしている中で、それに必死に抗っているのは辛いことだと思う。だから、このような職員が退職するときは仕方ないと思って余計に引き止めることはしない。

本人を責めるつもりはないが、職場の改善という環境の変化に適合できない(しようとしない)ならば、肌に合う別の環境(職場)に移ったほうが良いと思ってしまう。


――― 何だか愚痴っぽい話で申し訳ない。

職場の問題を気にかけて退職するということはある。それを職場や上司、経営者が気づかないことはあるし、それ自体は非常に申し訳ないと思った経験は幾度もある。自分の力不足を感じたことも多々ある。

一方で、そのような経験から問題が露呈したら改善する努力もしている。しかし、それが今いる職員にとって面白くないこともあるだろうし、変えて欲しくないと思うこともあるだろう。

既存の職場体制を尊重してあげたい気持ちはあるが、そこにある問題を適切に改善しないということは、その問題に気を病んで退職した職員たちにとっての冒涜でもあると思う。

だからこそ、ときには全職員が納得しないままで改善を進めることもある。それに納得し切れずに退職する決断をした職員が出ることも仕方ないと思ってしまう。

問題が1つもない職場なんてない。問題は常に山積みだ。それを少しでも削って整理していくのが仕事であり、人生なのかもしれない。

・・・と言うのは、言い過ぎだろうか。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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