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無理に忙しそうにするより、「忙中閑あり」の精神でありたい

■ 忙しいことが良いという風潮


社会人とは遊ぶ暇もないほど忙しいらしい。

確かにどの職場でも「忙しい」と連呼する人はいる。
スケジュールはきつきつで、休憩時間も書類作成して残業なんて当たり前。有給休暇の消化どころか自発的に休日に出勤する人もいる。

一方、忙しそうに見えない人もいる。
スケジュールはそこそこ余白があり、休憩時間は休憩し、定時になったら帰る人もいる。プライベートに合わせて有給休暇をコンスタントに消化する。

この違いは何か? 

まずは個々の業務量が偏っているから。役割や立場、一時的な業務状況によって業務量が一気に増える人はいる。周囲が手伝えない内容だと、どうしても個人に負担を強いることになる。
これは一時的ならば仕方ないと言えるが、慢性的である場合は職場として作業配分を見直す必要がある。

次にスケジュール管理に問題がある。空いている時間に片っ端から仕事をいれる人がいるが、それをこなせる体力とスキル、協力体制があれば問題ない。
しかし、トラブルがあったときなどを想定せずに予定を詰め込むと、個人の忙しさを通り越して周囲に迷惑をかける可能性もあるため、考えて予定を汲んだり周囲に公表して意見をもらうことも必要である。

最後に「忙しいことが良いこと」と思っているか否かである。
この考えをされている人は多いと思う。海外はどうか分からないが、少なくとも日本人はこの傾向が伺える。
それは戦後そして高度経済成長期において、生産するほどに経済が発展してきた時代があったからだと思われる。つまり、頑張るほどに、忙しいほどに社会が目に見えて発展し、給料も上がるのだから苦でなかっただろう。

しかし、もうそんな時代ではない。「忙しいことが良いこと」なんて幻想を抱いても、経済も発展しないし給料も増えない。増えるのは報われないという感情くらいだ。


■ 忙しい姿を見ても誰も感動しない


テクノロジーの発展、業務効率化や生産性の向上などの推奨もあって、働き方を見直す動きは進んでいる。

その一方で、未だに「忙しいことは良いこと」という幻想に囚われている人が多い。「もっと楽にしよう」「最小限の動きで最大の利益を出そう」としているのに、忙しさ信奉から脱却できない。

その言い分として「仕事は人生の大半だから、楽しんだほうが良い」「仕事で生き方を学べる」「遊んでいては経験できないことが仕事にはある」といったことから、その有意性を忙しさに転換しようとする。

もちろん、このような言い分はそこそこ理解できる。しかし、そのように「仕事は楽しい」「忙しいことは有意義なんだ」と言ったところで、現代人は魅力を感じないと思う。

これまで社会や経済を発展してきた人たちのおかげで、現代の私たちは便利で安心できる生活を送れるわけだし、手元のスマホで情報を得たり娯楽に興じてる。
そのような「楽」が基本となっている時代において、あえて「仕事を楽しもうぜ」「忙しいことは良いこと」なんて謳っても、時代錯誤と言われてしまうオチが目に浮かぶ。

昇進など上昇志向に目を向けない人たちが増えていると言うが、そりゃそうだと思う。上の立場になるほど忙くなるし、何かあれば休日出勤だってしなければいけない。
辛辣なことを言えっ葉、常に忙しい姿を見たところで、誰も感動しないし、誰も憧れもしないのではないか。

もっと上昇志向を持ってほしいと思うならば、その立場にある人たちが忙しそうに見えない(忙しくない)姿を見せなければいけないと思う。


■ 忙しいアピールされても困る


私は介護サービス事業における管理職および経営の立場にあるが、介護職員の中にはやたら「忙しいんですよ」「大変なんです」とアピールする人が、どの現場にも少なからず1人はいる。

前提として、確かに介護現場は人手不足も相まって多忙な傾向にある。しかし、常に「忙しい」が口癖の人の働きぶりを見ていると、残念ながら非効率な動きをしている様子が伺える。

非効率というのは、準備不足のまま介助に入ってバタバタしていたり、担当業務を置いて別な雑務を引き受けたり、他の職員が手伝うと言っているのに「一人で大丈夫です」と言うようなことである。

お分かりだと思うが、このような働き方をされて「忙しい」とアピールされても困る。
このような「忙しい」アピールをするタイプの方も「忙しいことは良いこと」と考える傾向にあり、誰よりも多くの仕事をすれば良いと思っている節がある。

別に悪いことではないが、残念ながら1つ1つの仕事のクオリティも低いし、ミスも多いので周囲が陰ながらフォローすることもある。
もしも「忙しい」とアピールする癖があるならば、動き方を変えたり、周囲に手を貸してもらうという考えに修正することを推奨する。

あと運営視点から言えば、自分なりの働き方に固執するよりも、職場で進行している業務改善や周囲からの助言に応じることも推奨する。


■ 「忙中閑あり」な生き方


もはや「忙しいことは良いこと」なんて言っていられない。むしろ、いかに「楽」を増やすか、「暇」を増やすか、そして「空き時間」を増やすかが時代のトレンドだと言える。

それに、日本には「忙中閑あり」という言葉がある。
忙しい中にも暇(閑)はちゃんとある、という意味である。

テクノロジーが発展するほどに人間は肉体労働から知的労働になると言われてきたのに、未だに物理的な忙しさを追い求めるのは時代錯誤である。

また、いつもバタバタ忙しそうな人を見て「素敵」「あの人みたいになりたい」なんて思われない。それよりも「何てことないさ」と言って、そこそこの努力で成果を出す人のほうがスマートである。
もちろん、このような成果を出すには陰ながらの努力や周囲との協調などの根拠があってのことだ。

「忙しくて時間はない」「いつもギリギリで余裕なんてない」と反論を受けるかもしれない。・・・が、本当にそうだろうか?

上記のように「忙しい」が口癖の人を見ていると、非効率な動きをしていることもあるが、忙しさを喧伝するわりに実際はそうでもなさそうに見える。

スマホでプライベートなやり取りやSNSをチェックしたり、職場内の噂話をしに他部署にわざわざ足を運んだり、数分かけて歩いてコンビニの喫煙所でタバコを吸ったり・・・。
別にこれらは非難するほどではないが、このような姿を見ていると、追い詰められるほど忙しいわけではないと思ってしまう。「ああ、暇な時間があるのだな」と安心してその場を離れられる。

忙しいときは仕方がない。しかし、いつも「忙しい」という状況からは脱する方向に切り替えたほうが良い。「忙しい」を口癖にしても評価なんてされないと気づこう。

仕事が楽しいならば問題ないが、そうでないならば「忙しいことは良いこと」よりも「いかに暇を作り出すか」も1つの生き方だ。

「忙中閑あり」な生き方を目指してみてはいかがだろうか?

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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