雑談できなくても問題ない。貴重な時間をどうでもいい雑談に費やす必要もない
「雑談できない」と悩んでいる人がいる。
「雑談により人間関係が円滑になる」と思っている人もいる。
そのような人たちのために、雑談に関する書籍や対話に関するセミナーなどが世の中にはたくさんある。しかし、このような改善法(?)になるものがあるのに、未だに雑談に対する悩みが解消する気配はない。
私が身を置く介護現場でも「高齢者と何を話せばいいのか分からない」とコミュニケーションに悩んでいる人たちがいる。
そのような場合、「とりあえず一緒にテレビ観て、一緒に笑っていればいいよ」と伝える。しかし、「何か話さなければいけない」と二の足を踏んでしまう。
大切なことは「何を話すか」ではなく、お互いに安心感を抱けるかどうかではないだろうか。
なお、本記事は定期的に似たような話をしているので、デジャビュを感じた人は「以前も読んだな」くらいに気楽に読んでいただければ幸いである。
そもそも、雑談ってそんなに重要なのだろうか?
思い悩んだり、人間関係にとって重要な要素なのだろうか?
このような疑問を口にすると「雑談のなかで良いアイディアが生まれることがある」とか「雑談で仲良くなることがある」とか「ちょっとした休憩になる」といったメリットを教えてくれる。
しかし、これらは雑談のたびに生じる話ではないだろう。雑談するたびにアイディアが生まれたり、他人と仲良くできるならば、世の中はもっと発展して平和になっているはずだ。
また、雑談が休憩になると言うが、休憩とは心身の疲労回復であって、その方法は人によって異なるだろう。
そんな偶発的で個々に効果の異なるものに重要性を抱くのは妙なものだ。
雑談できないという悩みを掘り下げると、2人以上の集団になったときに「何か話さなくては」という強迫観念だと思う。
しかし、雑談とは偶発的にメンバーが揃い、場所も特に決まっていない状況で「そういえばさぁ・・・」とテーマがランダムに打ち出される。
自分以外の誰かからテーマが出されると、それにまつわる情報を知らなければ発言できないし、興味も所見もなくても発言したいとも思わないだろう。
だから、突発的に始まった雑談というトークバトルみたいな状況に対して、何か話すということ自体は誰だって難しい。
別にワイドショーのコメンテータみたいに発言できる必要はない。あの方々だって、自分が知らないテーマを振られたら困るのは同じだ。単純に仕事だから、それっぽいことを言っているだけだ。
他人が打ち出したテーマに応じるのも難しいのに、自ら話題を提供しようなんてことは至難の業だ。
というか、雑談という場を提供する義務なんて誰にもない。雑談と言う場を盛り上げる必要もない。
実際、「誰かこの場で雑談を振ってくれないかなぁ」なんて、その場にいる人たちは誰も期待していないだろう。
何となく始まるのが雑談であり、何となく盛り上がるのが雑談だ。
何となく始まって、特に盛り上がりにも欠けることもある。
「いい天気ですね」「寒いですね」という天気だけで終わるのも雑談だ。
それなのに、まるで集団になると「雑談の1つでもせねば」という義務感を抱くのは、おそらくメディアの情報に踊らされていると思う。
メディアは、さも「多くの人たちは雑談をするもの」みたいな印象操作をしたがる。おそらく、そこで「今話題の〇〇!」「巷で噂の✕✕!」というフレーズを出せば、雑談のネタとして食いつくと思っているのかもしれない。
興味のない情報に飛びついて、特に親しくなりたくもない他人のために雑談のネタを探すなんて、時間の無駄だと思う。
ときには雑談の場に巻き込まれることもあると思う。そのときも、無理に乗っかる必要はない。オドオドする必要もない。
上記で高齢者とのコミュニケーションとして「一緒にいるだけでいい」みたいなことを伝えたが、それでいいのだ。
意図せず雑談の場に居合わせることになっても、ただ話を聞いているだけで十分である。黙っていても問題はない。
もしも乗っかれる話題ならば乗ればいいし、良く知らなければ「ちょっと知らないです」と言えばいい。そこで嫌われることはない。
もしも、雑談だけで嫌われたり変な目で見られたら、それはよく知らない話を振ってきた相手に問題があると思えばいい。「お腹が痛かったんだろうな」くらいで終わらせよう。
もちろん、他人の話を聞くことは大切だ。前述のように、もしかしたら貴重なアイディアが出たり、意外な人間関係が構築されることもある。
しかし、どうでもいい雑談に”常に”応じるお人よしになってはいけない。
雑談を楽しんでいる人たちは、こちらの時間を奪っているという感覚はない。盛り上がるほどに時間感覚が麻痺し、周囲にも気を払わなくなる。
また、常に雑談に応じてしまうことで、相手は「この人は自分の話が楽しいのだな」と勘違いして、余計に雑談を振ってくる可能性もある。
ほどほどに話を聞いたら、「すいません、次の予定があるので」と去ればいい。それで不満そうな顔をする人は、時間ドロボウとでも思うしかない。
嫌われることを恐れるかもしれないが、自分の時間を不当に奪ってくる人から嫌われたとしても、実害は何もないので安心してほしい。
というわけで、雑談について色々まとめてみた。
言いたいことは、無理に雑談に興じる必要はないことと、誰とでも雑談に興じられるように「雑談の仕方」みたいなものに飛びつく必要もないことだ。
雑談なんて、コミュニケーションにおいて重要ではない。もし雑談という義務感を抱くならば、それはメディアに踊らされていると思ったほうがいい。
あるいは、成長過程による何かしらの教育の弊害の可能性もある。
そんなわけの分からないものに時間を費やすよりも、自分が興味があることや知りたいことに時間を費やそう。
それでも雑談ができたほうが良いと思うならば、それは人間関係に慣れることも含めて、本当に話したい人を選定してみることを推奨する。
最初は天気の話でもいいだろう。いきなり雑談しようとしても無理が生じる。「〇〇さん、おはようございます」と名前付けの挨拶から始めてもいいと思う。
そうして距離感を短くしていく工程で、気が付くと雑談し合える中になっているかもしれない。まぁ、何にせよ雑談程度で無理はしないように。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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