見出し画像

人間は「必要性」より「どうでもいいこと」を求める

■ 必要性はニーズではない


人間は一人では生きてはいけない。
必ず誰かの助けのもとに生活ができている。

特に現代では、必要最低限の衣食住を確保するだけでも、必ず誰かの手がかかっている。それらをお金という対価でやり取りしているためか、経済的に自立していれば一人で生きている気になってしまう。

一方、必要最低限である衣食住だけで満足できないのが、人間という生き物である。「自分はあれがしたい」「他人から評価されたい」などの欲求を満たすことだって一人では成立しない。

むしろ、必要最低限の衣食住よりも、自己実現や承認欲求を満たすことを優先している人たちが多いように伺える。それが商品やサービスとして提供され、これもまたお金という対価でやり取りできるものだから、人によっては高額であっても手を出そうとする。

しかし、生物として考えると生きるという必要最低限のことが確保されていれば十分なはずだ。それなのに、私たちは必要性のないものも求める。

ビジネスでは「顧客のニーズに応える」と言うが、世の中を見渡すと、生物として特に必要性のないものをニーズとした商品やサービスで溢れている。

つまり、言葉としての意味は同じでも、実際のところ「必要性」と「ニーズ」は違うという話になる。

この点を私自身の仕事から、2つの視点で考えてみたい。


■ 高齢者本人は介護を求めていない


高齢者介護は今や社会問題の部類であり、社会的な必要性が高いことから国も色々な政策がとられている。

しかし、社会的な必要性が高いと言うものの、実際のところ高齢者は介護を求めていないことが多い。

例えば、独り暮らしの高齢者の生活を心配して、家族が介護サービスを利用することを考えたとしても、当の本人は独りでも何とか生活できているからいらないと言うことは珍しくない。

また、本人の身なりや健康状態そして生活環境がひどいなど、明らかに第三者の支援を入れる必要性があると思われても、当の本人が問題ない、放っておいて欲しいと頑なになることもよくある。

介護サービスに入ったとしても、自宅にヘルパーが訪問しても居留守を使ったり、寝たきりでオムツ交換を要するのに介護者の手を抑えたり、爪で引っかく等して抗われる方もおられる。

これらは高齢者本人の尊厳も考えると仕方ない。

このように、本人の生活を案じて周囲が介護が必要である思っても、サービスを直に受ける高齢者本人が求めていないということはあるのだ。


■ 上層部の業務改善に労働者が反発する理由


ビジネスの場面でも、必要性とニーズに齟齬が生じることはある。
その1つが「業務改善」である。

業務改善を積極的に行うのは、経営者や運営管理者といった上層部である。それは財務諸表等の数字や現場などの状況を加味して、業務効率化や生産性の向上を図る意図があるからだ。

もちろん、業務フローや職場環境に疑問や課題を抱いたスタッフが改善に向けて動くこともあるが、これは稀なケースだと思う。
これは馬鹿にしているわけでなく、多くの労働者の認識として、自分から課題を発見して自分の仕事をより良くするよりも、基本的に仕事は職場から与えられるものと考えているからだ。

そのため、いくら上層部が「この部署ではこの点が問題です」「業界内で変革が起きており、私たちはそれに乗らなければいけません」と伝えたところで、「なるほど、そうなのか」と素直に耳を傾ける人は少ない。

その時点ではどこか他人事なので別に何とも思わない。しかし、上層部が「そこで今後はこのような業務フローにします」「効率化のために新しいシステムを導入します」などと言おうものなら反発が始まる。

世の中に価値ある商品やサービスを提供すため、労働環境を改善するため、時代に合わせて色々な仕組みを変えていく必要があるのは誰しも感覚的に分かっている。

しかし、いざそれを行動やカタチにしようと動こうとすると「今のままで十分です」「勝手に変えられると困ります!」「ついていけない!!」などという反発が起こる。

つまり、上層部がいくら必要性を説いたところで、現場スタッフなどの労働者は「そんなこと求めていない」とニーズとして認識しないことが多いという話だ。


■ 人間は「どうでもいいこと」を好む


ここまで必要性とニーズの誤差や齟齬について、介護サービスとビジネスにおける業務改善という2つの例から考察してみた。

これらは私が介護サービスを通じて、そして経営や運営という立場として日々目の当たりにして、ときどき思っていることである。そのため、上記2つの例にピンとこなかったならば申し訳ない。

しかし、このような仕事での出来事を受けて思うことは、前述したように必要性とニーズとは異なることがあるということだ。

つまり、「必要性があること」と「求められること」は違うということ。

いくら必要だと思っていても、それを行動に起こしたり、お金を出してまで商品やサービスを利用までつながらないことあるのだ。これは個々の視点や立場の違いなども大きく影響するだろう。

そして、特に業務改善を通じて思うことは、社会背景や内部状況から必要性や優先度の高いことに取り組もうとしても、その場にいる人たちが拒むことがあるのは、今やっていることへの執着である。

時代の変革によって今までやってきたことを手放すことがあるのは、世の常であり仕方のない話だ。別に今までやってきたことを否定してもいない。

しかし、それが分かってもなお「今までどおり」をするならば、それは言ってしまえば無価値なことをやっているのと同義である。言い方を変えれば「どうでもいいこと」を頑張っているということだ。

とは言え、上記でもお伝えしたように、世の中を見渡すと商品やサービスの多くは特に必要性として低いものばかり。

ここで話を総合すると、人間は必要性よりも「どうでもいいこと」を好んでいるという見方もできる。
「どうでもいこと」を優先するのが人間(というか現代人)なのであれば、いくら必要性を説いたところで反発されるのもうなずける。


――― 何だか強引な理屈となったが、介護という仕事と業務改善という側面だけで語っているので容赦いただきたい。

それでも、人間は「どうでもいいこと」に目を向ける傾向にあると分かっていれば、必要性を力説して理解が得られなくても「ムキ―、何で分かってくれないんだ!」と感情的にならなくて済む。

それよりも、その人たちが大切にしていること(どうでもいいこと)を尊重しつつ、本質的な必要性にも目を向けていただくよう働きかけをするほうが建設的な話し合いになるのではないか、と思っている次第である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?