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他人軸からの脱出【教科書にはない生き方の秘密】

基本情報

・杉山恵太
・大阪府出身
・1996年6月14日生まれ

こんにちは!

けいたです。

小学生から大学生までバスケをして、大学卒業後はスポーツ選手のトレーニングコーチとして働いていました。

トレーニングコーチとして活動してる間に、うつ病になったり、トレーニングを学びにアメリカやヨーロッパに行ったりもして、2024年3月に退職して無一文で日本縦断を達成。

2024年5月〜8月にかけて、アフリカ縦断中。

恐るべし円安。。。

縦断達成できるか、帰国のタイミングで無一文になるか、というKAT-TUNよりもギリギリを生きてます。

そんな冗談はさておき(冗談ではないけど)、このページは僕の人生丸ごとの自己紹介的なページになってますので、「けいたってどんなやつなん!?」って方は、読み物として楽しんでください。

それではいきましょう。

表で育つ自分と、影で育つもう1人の自分

幼少期〜高校生:「僕は真面目で優等生、そして挫折」


僕は大阪のごく一般的な家庭に生まれました。

家族構成は、両親と兄が2人、そして僕。

どちらかというと裕福な部類だったと思います。

何不自由なく暮らせたし、友達と遊ぶのも、小学生から始めたバスケも楽しく充実してました。

兄は僕の11個上と9個上で、僕が小学生の頃には、2人とも京都大学に通う大学生でした。

実は、うちの家族の男は僕以外(父、兄2人)が京都大学出身なんです。(完全にエリート一家)

え?お前はどこなんだって?

まあ、あとで話しますから慌てずに。

そんな僕は小さい頃から兄の背中を追うようになってました。

まずは幼稚園生の時に、兄が通ってた公文に通い始めます。

今となっては公文に行っててよかったと思うこともありますが、当時はプリントぐしゃぐしゃにして泣きながらやってて地獄でした。

他にも、体が弱かった僕は体力をつけるという理由で、サッカーや水泳をやってました。

しかし、水泳がつまらなさすぎて、小学3年の終わりにオカンに「辞めたい」と言ったら、「何かスポーツやりなさい」と言われ、兄が通っていたミニバス(小学生のバスケチーム)に入ることに。

近所、公文、バスケ、いろんな場所でいろんな大人が「お兄ちゃんすごいね」とか「お兄ちゃんたちは〜」という話をしてくれました。

誇らしいと同時に「僕はすごいお兄ちゃんたちの弟なんや」と鼻が5mくらい伸びてたと思います。

小学生の無邪気なけいた少年は、プロバスケ選手になることを夢見ていました。

しかし、小学6年生のある日、人生で初めての挫折を味わいます。

とあるチームと練習試合をした時に、バケモンみたいに上手い同い年と対戦して、ボロ負け。

その時、心がポキっと音を立てて折れたのが聞こえました。

俺はこいつには勝てない

この悔しさを糧にして、ここからさらに上手くなっていけばよかったのですが、「すごい兄の弟」という自分の実績でもなんでもない自信でしか生きてこなかった僕は、完全に自信を失ってしまいました。

ちなみに、その時対戦した選手はプロになってます。

正直、早すぎますよね。

小6で諦めちゃうなんて。

僕の人生の大きな後悔の一つです。

「あの時もっと頑張っておけば」

ま、そんな挫折も経験したものの、なんだかんだでバスケが好きだったので、バスケと勉強を両立しながら、高校生になります。

中学、高校とバスケをしながら、兄を追うべく「俺も京大かな〜」と思っていたので、勉強もそれなりにやっていました。

決して勉強が好きではなかったですが、「自分も京大に行かないと」と思って、部活もしながら勉強もしてて、いわゆる問題児と言われる子たちがあまり好きじゃなかった記憶があります。

今思い返せば、単純に羨ましかったんだと思います。

「俺はこんな勉強やってるのに、なんであいつらは楽しそうに遊んでんねん」って。

そんなこんなで勉強は頑張ってたのですが、高校3年の引退となった試合が全く納得いかず、「大学でもっと本気でバスケがしたい」と思った僕は、当時の副顧問の先生の勧めで、広島大学に進学することを決めます。

こう決断できたのは、「京大行っても何もないぞ。大事なのは、行った先でお前が何したいかや」と言ってくれた兄の存在があったからでした。

ところがどっこい、僕が行きたかったのは教育学部の健康スポーツ系コースという体育教員になるコースで、二次試験が実技だったのですが、二次試験の5日前に足首を捻挫して松葉杖状態に。。。

もう一周回って、「逆に俺運良くね!?」みたいになってましたね。

滑り止めも受けてなかった僕は、「ドッグトレーナーにでもなろうかな」とか考えてました。

が、奇跡的に試験の当日だけたまたま歩けるようになって、何とか実技試験を受けることができました。(痛み止めとテーピングとサポーターのフルコンボだドン)

なんとか無事に合格し、憧れていた広島大学への進学が決まります。


大学生〜大学卒業:「2度目の挫折と知らない世界」


より本気でバスケに打ち込める環境に胸を躍らせて、広島で一人暮らしが始まりました。

しかし、期待と裏腹に、部活では今までよりも圧倒的にレベルが高く、結局4年間試合に出ることはありませんでした。

同じ学部で同じコースの同期が、僕を合わせて4人いたのですが、僕以外の3人は1年生の頃から試合に絡んでいて、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。

それでも、小学6年の頃のように後悔したくなかったので、「絶対に諦めない」と決めて、自主練やトレーニングも毎日のようにやっていました。

しかし、大学3年の秋。

約1ヶ月の教育実習から帰ってきた初日の練習で、膝を怪我してしまい、手術することに。

僕はそのままプレイヤーを引退して、最終学年は学生コーチとして過ごしました。

まあ、それはそれですごく楽しかったです。

試合には出れなかったけど、学生コーチとして自分のことをチームに必要な存在だと思えたからだと思います。

膝の手術で入院してる間、将来について考えていたのですが、授業を受けたり教育実習に行ってみて、「やりたいのは教員ではない」と考えるようになっていました。

ベッドから天井を見上げて「やりたいことってなんだろう」と考えていると、「自分ってバスケしか知らないな」とバスケ一筋でかっこいいと自惚れていた自分を少し後悔しました。

行きたい企業もなかった僕は、トレーニングが好きだったので、トレーニングを通して僕のように怪我で苦しむ選手を減らしたいと思い、スポーツ選手のトレーニングコーチになることに。

大学4年の間は、独学でトレーニングの勉強をしながら、学生コーチとして過ごしました。

そして、卒業直前にバスケ部で卒業旅行として4泊5日でフィリピンに行ったのですが、僕にとって忘れられない経験になりました。

正直、最初の2日間くらいは帰りたくて仕方なかったです(笑)

トイレットペーパーはないし、シャワーは弱いし、とにかく不便。

でも、3日目以降、あることに気づきました。

現地の人たちをよく見てみると、生活してるんです。

まあ、生活してるのは当たり前なんですけど、笑って楽しそうに生活してたんです。

そのことに気づいた瞬間、脳天がかち割れるような衝撃が走りました。

僕が不便だと感じてたのは、たまたま日本で育って日本で培った常識にとらわれてたからだ。

自分もフィリピンで生まれていたらきっとここでの生活が当たり前になってはずだと思うと、「自分の知ってる世界はなんてちっぽけなんだろう」と海外の知らない世界に自分の常識が壊されていく感覚にハマりました。


大学卒業後〜25歳:「ハマっていく自分、そしてうつ病」

大学卒業後は、関西の大学でトレーニングコーチとして働き始めました。

トレーニング系の専門学校を出たわけでも、大学で詳しく学んだわけでもなかった僕は、とにかくまずは勉強しようと思い、仕事以外の時間はずっと参考書を読んでいました。

そして、トレーニングコーチとして働いて1年が経つ頃、関東のチームでのお仕事の話が。

4月に退職して5月からそのチームに行くという予定だったのですが、「ヤツ」が現れます。

そう、新型コロナウイルスです。

それにより、仕事の話が8月まで延期になりました。

まあ、とりあえず家でできることをやろうと思って、トレーニングの勉強やブログ、YouTube、プログラミングなどいろんなことをしてました。

1秒でも無駄にしちゃいけない、頑張らないと自分は報われないと思い込んでいたので、とにかく朝から晩までできることをやろうとがむしゃらに頑張る毎日。

しかし、ブログやYouTube、プログラミングは「お金のためにやっておいた方がいい」という理由だけでやっていたので、楽しくもなく、モチベーションも全く湧きませんでした。

やる気もないのに、「やった方がいい」という理由でパソコンに向かい続けたので、しんどくなるばかり。

「俺は前に進んでるのか、やってることに意味はあるのか」と悩んだり、当時付き合っていた彼女ともギクシャクしたりして、自分の人生について考え込み、気付かないうちに僕は壊れていきました。

夜になると次の日が来るのが怖くなり、最終的には朝になっても布団から出られない状態に。

病院での診断結果は、うつ病。

正直半分ホッとしました。

「休む正当な理由をもらえた。堂々と休んでいいんだ」

その反面、「みんなも大変なのに、勝手に1人で悩んで勝手にうつ病になって情けない」と思って、どんどん気持ちが落ちていきました。

うつ病と診断されてからは、布団の中だけが自分の世界で、生活リズムもめちゃくちゃ、どうすれば楽に◯ねるのかだけ考えていました。

そんな日々を半年ちょい過ごしたあと、少しずつ外に出られるようになりましたが、中途半端な元気だけ戻ってきたので、またあれやこれやと考え込んでいました。

そして、僕はある決断をします。

アメリカに行こう

トレーニングコーチとして働き始めてから、いつかは行きたいと思っていたアメリカ。

本場のトレーニングを自分の目で確かめたいという当初からの思いと、もう一度生きる理由が欲しいという思いから、僕はアメリカに行くことに決めました。

アメリカに行くと決めてからは、アメリカに行くことだけに集中したので、気持ち的にも沈むことはだいぶ減りました。

しかし、お金もなかったので、あるだけの知識と時間を使ってクラウドファンディングに挑戦し、25歳の夏、僕は約4ヶ月アメリカに行くことができました。


26歳〜27歳:「もう1人の自分との葛藤」


アメリカから帰国後は、またトレーニングコーチとして働くことができました。

その後もヨーロッパのチームに1週間帯同しに行ったりと、海外に行く機会には積極的に参加していました。

おかげで貯金は0になりましたが、、、(笑)

しかし、トレーニングコーチとして働いている間、漠然としたモヤモヤを抱えている自分に気づきました。

仕事にやりがいはある、楽しい。でも、なんか人生にモヤモヤする。。。

そう考えていた頃に、僕はコーチングを受ける機会を見つけ、とある方のコーチングを受けました。

「僕が今、本当に心からやりたいことって何だろう」と考え続け、あるYouTubeを見たときに、ずっと蓋をしていたあることに気づきました。

それは、ジョーブログというYouTuberの旅動画。

見た瞬間に「これや!!」と鳥肌が立ちました。

もっといろんな世界を見たい

海外に行くたびに、日本では味わえない価値観や考え方に触れる刺激にハマっていっていた自分がいたのですが、「仕事があるから」といつの間にか感情に蓋をしていました。

職業柄、学生と関わることも多かったのですが、よく「やりたいことはすぐやれよ、色んな経験しろよ」と伝えていました。

しかし、言えば言うほど「自分はそんなことが言えるほど、やりたいことやっていろんな経験してるのか」と自問自答していたのです。

コーチングを受けて、僕は気付かされました。

もっと大きくチャレンジしたいと思ってる自分と、怖くて動けず他人の評価軸で頑張ろうとする自分の存在に。

自分の本心に気づき、僕は旅に出ることに決めました。

行ったことない、未知のアフリカを縦断しよう。

そう決めて、僕は2024年3月に退職し、アフリカ縦断前に無一文で日本を縦断して、2024年5月5日からアフリカ縦断に行きます。

これからの道


無一文日本縦断ゴール@鹿児島の佐多岬

僕は「すごい」と言われていた兄を見て、無意識のうちに「自分もすごくならなきゃ」とか「認めてもらえるように生きなきゃ」と考えて生きていました。

自分は兄のようにすごくない、だからみんなが自分を見てくれるように頑張らなきゃと。

そして、部活もしながら勉強もやることで、褒められて認められてきたことので、「嫌なことを頑張ること」が正しい努力だと思い込んでいました。

楽するのはよくないことだと。

でも、他人の評価ではなく自分のために生きていい、その方が結果的に自分も他人も幸せになることを知りました。

頑張らないといけないことはなく、やりたいことだけやって楽しく生きれること、多くの人がその方法を知らずに考えることすら放棄しているだけだということを知りました。

僕がやるべきだったのは、自分のために自分が心からやりたいことをやり、それを通してどうやって人に価値を与えて、やりたいことだけで生きていくかを考えることでした。

ただお金があったらいい、ただがむしゃらに頑張ってることがいいこと、といのはただの思い込みであったことに気づいたのです。

海外に行ったり、たくさんのことに触れてく中で、僕は学校で教わらなかったけど、本当に人生で役立つ大事なことにたくさん出会いました。

目標設定の仕方や、やりたいことで生きる方法、やりたいことをやるための方法、幸せや生き方についてなどなど。

もしかしたら、これを読んでくれてるあなたも同じことを思ったり、僕と同じように悩んでるかもしれませんね。

SNSを見れば他人の成功が羨ましくて自分が惨めになる、けど何していいかわからない。

やりたいことが見つからない。

と。

別に僕も完璧に実践できてるわけでないし、偉そうに言える立場ではありません。

でも、知ったからには他の人にも「こうすればやりたいことで生きれるよ」と伝えたいし、まずは僕自身がやりたいことやって、もっと人生楽しく、もっと幸せに生きる姿を示します。

そして、その先にもっと幸せな人を増やそうと思います。

よかったら、僕の活動を応援してもらえると嬉しいです。

僕も皆さんの活動を全力で応援してます。

一緒に最高に幸せな人生を生きましょう。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。大好きです。

SNSでメンションつけて感想書いてくれたら、嬉しいです。見に行っちゃいます。


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