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重松清が描く毒

重松清の描く物語は、毒だ。

 小学五年生のとき、初めて読んだ子供向けでない小説が、重松清の『きみの友だち』だった。もう十年前になる。単行本の表紙は端っこがボロボロになっていた。

 重松清は優しい言葉で、優しくない現実と向き合う人々を描く。その痛みの全てを経験したわけではないけれど、それぞれの主人公の痛みはどこか身に覚えのある痛みで、きっとこの感覚は私だけではないはずだ。

 学校のクラスという小さな世界でずっと一番だったのに、外の世界からきたモトくんに抜かれるブンちゃんの痛みも、親友だったブンちゃんがモトくんにとられて焦るヨッシーの痛みも、人に合わせて態度を変え続ける堀田さんの痛みも、周りの目が怖くて言いたいことが言えない西村さんの痛みも。

 どこか身に覚えのある痛みは、全部「友だちとは何か」に行き着く。多ければ多いほどいいのか?少ない方がいいのか?そもそも、友だちって、何なのか?

 重松清の描く物語は、毒だ。『きみの友だち』も例外なく、毒だ。優しい言葉で紡がれる優しくない世界は、みぞおちのあたりをキリキリと苦しくさせて、呼吸が浅くなる。真綿で首を絞められているような感覚で、でも逃げる気は起きない。その毒は自分の中から滲み出ているとわかっているから。否応が無しに、自分の毒を自覚する。

 この毒の特効薬なんてものはないけれど、その毒を中和するヒントはある。物語の主人公の、片足が不自由の恵美ちゃんが、ぶっきらぼうにそのヒントの、大切なヒントをくれる。

 私はそのヒントを知っている。読むたびに新鮮な気持ちで、読むたびに毒に侵食され、読むたびに新たなヒントを知る。ヒントは一つだけじゃない。あなたと私が知るヒントは、きっと違う。一度では分からなかったヒントが、最近ようやく分かった気がする。

 重松清の描く物語は、毒だ。でも、それを中和するヒントの、ヒントはきちんと教えてくれる。そしてそれは、きっと生きる勇気になる。

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