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餃子

餃子は皮がモチっと、底がカリッと焼けてるのがいい。
タレはお酢に胡椒、あるいは味ぽんにチューブの柚子をちょこっと。

私の両親は共働きだった。
バリキャリだった母は、多忙な生活の中、私と弟のご飯はしっかり作ってくれた。
特に好きだったおかずは、ツナとじゃがいもを煮たものと、冷凍の餃子だった。

最近、冷凍餃子は手抜きだとツイッターで炎上していたけど、私は手抜き料理だと認識したことがない。美味しいし、むしろリクエストするくらいだった。
忙しい母の味方だし、私たち子どもは喜んで食べるので、冷凍の餃子の存在は大きかった。

今ふみさんとの生活でも、冷凍庫に冷凍餃子は必ずある。

コロナ渦に入ってから、二人で包むところからやってみようかとなった。
私が餡をつくり終えたらふみさんを呼び、後は二人で黙々と餃子を包む。
餡がはみ出したり、皮が破けたり。それもご愛嬌。
焼くのはふみさんの仕事。私はテーブルのセッティングをする。
二人ではふはふと食べる。

(皮は作ってないけど、)手づくり餃子も美味しい。
結論としては、餃子が大好き!

(カ)

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幼いころに、餃子づくりを手伝っていた記憶はあって、なぜならばそれは手が、餃子の皮のふちに水をつけながら半円を描く、あの感触を覚えているからだ。
左手のひらに広げた皮に、餡をのせ、そのふちを少し濡らした右手の人差し指で湿らせ、折りたたみ、押さえてくっつけ、ひだをつくる。
こう書いていて、餡を入れすぎだと母親にいわれた記憶も、なんとはなしによみがえってきた。手先が器用なたちではなかったはずだから、きっと餃子の皮も、そこまでうまくとじられていなかっただろう。


実家を出て後、埼玉県の朝霞に住んでいた時期には、あの(埼玉と東京西部を中心にした)愛すべきチェーン「餃子の満洲」にお世話になった。仕事で疲れ果て何もしたくない休みの夜半、空っぽの胃に落ちてゆく餃子は、意味がわからないあのキャッチフレーズ「3割うまい!!」を、理屈抜きで納得させるものだった。
餃子好きの妻と暮らすようになってからは、冷凍餃子が常備されるようになり、コロナ禍に入ってからは、たまに手づくりするようになった。日が暮れたころ、晩飯の30分ほど前から、餃子を包みはじめる。
そして気づけばまた、右手の人差し指が、あの半円を描いている。

(文)

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