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生活。それは「コップに水を注ぐ」。

おはようございます。
昨日は眠剤やら色んな薬を飲んで集中力が死んでて誤字脱字が多くて読みずらい記事になって申し訳ございません。
お蔭様で快眠でした。ゴミ収集車はもう行ってしまいましたが。

さて、今回の内容は
生活。それは『コップに水を灌ぐ』」です。

「コップに水を注いで飲む?当たり前だろそんなの。」
と、思う方は当たり前を再確認するためにぜひ読んでいただきたいです。

基本自室には2ℓの緑茶が常に2~3本ストックしてあるのですが、昨年の重度の鬱病だった時は直飲みしてペットボトルの蓋すら閉めずに置いた生活をしてまして、あたかも人間の最底辺のような生活を送ってました。

今思えば人間としての営みすら送れなかったまだ助かりそうなゾンビ状態でした。

それから精神科の薬を飲んだり生活リズムが整い、精神状態が安定したときに自然とリビングからコップを持ってきて注いで緑茶を飲んだんです。

その瞬間に、人間としての生活って今緑茶を飲むときに行った過程と行動なんだな。って気づきました。

食事も同じで、フライパンとさえ箸だけでも食事はできるけど、お皿に盛りつけて箸を並べて手を合わせて「いただきます」、食べ終わったら「ごちそうさまでした」を言う。
これも自分の思う人間としての生活なんだと感じています。

なんだろな、ちゃんと人間として生きてるって感じがしてこの習慣は大事にしてます。

人間楽な方向に逃げてしまう生き物だと思っていて、だらしなく生きようと思えばだれでもいくらでもだらしなく生きていけるのです。

例えば部屋の片付けも同等で、脱いだ服はそのまんま、使ったドライヤーやヘアアイロンはまとめずに放置、たたまれた洗濯物は放置など。

心当たりあるんじゃないでしょうか?

だらしなく生きてしまいやすい人間だからこそ、人間らしい生活を送るのは大変で面倒だろうけど、僕はその手間さえ惜しまず生活をしてます。

(自分の思う)人間らしく生きるため。

今日も生きている。そんな気がします。


最後まで読んでくれてありがとうございました。
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