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休職に追い込まれたおじさんの日常 - 230907

47歳から無謀にも「外資系」IT企業で働いて約10年、現在58歳のおっさんがメンタル面が辛くなり休職に追い込まれるまでになりました。
超久々の記事になりますが、なるべく頻繁に記事を公開していこうとおもいます。

なぜ47歳という(遅い)年齢で外資系に入社したのか

大学卒業後から47歳まで、何度か転職もしましたが、たまたま40歳位の時、クライアントが「外資系」で、なんか明確な理由もなく「かっつこいい!!」という安易な理由で憧れていました。外資系に入りたかったら英語が必須!と思い、オンライン英会話を利用して、コツコツと何年か勉強を続けました。
今でこそ、相手に気を使ってもらいながら、会話が成立するものの、初めての外資系のIT会社に入社した頃は、勉強レベルでは当然、仕事で使うのは無理があったし、相手が言っていることもほとんどわかりませんでした。
救いは、私が属したチームに数名の日本語ができるインド人がいたので、日本語でコミュニケーションが可能だったことです。

なぜ47歳から外資系に入社することができたのか

たまたま、リクルートエージェントから電話をもらい、英語の勉強のつもりで面接を受けたら、あれよあれよてな感じで合格してしまいました。
おそらく、英語は下手だけど、当時流行り始めていたクラウドの知識・経験があったのが、採用に有利に動いたのだと思います。

入社できたのは良かったけど、クライアントが。。。

クライアントは医療機器メーカーの工場。自宅から通える場所ではなかったので、単身赴任となりました。久々の一人暮らしに、当時の自分は、「新しい世界の幕開け!」なんて浮かれていました。

しかし、浮かれていられたのは最初だけ。クライアントには、社内でも有名な「パワハラ」課長がいたのです。
クレームがあれば、責任者をインドから日本に来させるような強引な方でした。
チームのなかで、私だけ日本人だからなのか、通常は、私が標的になってしまったようです。
「こんなの、うちの新人でもできる!!」
「うちの社員なら徹夜してでも完了させる!!」
様々な罵倒をいただきました。

そして、メンタルクリニックへ

いつの日か、心が「ポキッ」(もちろん心の中ですが)と音を立てて折れてしまいました。
そして、はじめて「メンタルクリニック」のドアをたたきました。
その後、パワハラは、更にエスカレートし、たった1年2ヶ月で、その会社を退職しました。
後で聞いた話ですが、私の後任は、半年程度で、誰とも会話をしなくなり、結局職場を去ったそうです。

次の会社へ

LinkedInにプロフィールを登録していたこともあり、結構頻繁にリクルートエイジェントからコンタクトがありました。
エイジェントの紹介で転職しました。クラウドを専門としているスタートアップのジョイント会社(日本・イギリス・米国)です。

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