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オヤジの作るおふくろの味

 森会長の女性蔑視な問題発言によって辞任しましたね。

 この騒動によって、男とか女とか、ジェンダーに関しての議論がそこかしこで活発になってきていると思います。

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 我が家でもタイムリーにそんな話題。

 夕食のふとした会話の中で

娘「アニメとかCMではお母さんが料理作ってるのに、お店だと男の人が料理してるよね。」

 息子「でも、うちではパパだよね。」

 社会(メディア)から映し出されている(家庭で)料理をする人=女性、でも実際に自宅で料理をしている人=男性(パパ)。TVの世界では女性(ママ)なのに、なんでうちは男性(パパ)なんだろうか?

 と、疑問に感じたのだろうか。しかし彼らは疑問に感じているわけはないらしく、TVではそうだけど、家ではこうだよね、と極々自然にそこにある事実として受け入れているようだ。

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 つい最近もどこかの企業広告かで、ジェンダー炎上を起こしていて話題になっていましたが、最近に限った話ではないようです。

 さかのぼること45年、ジェンダー炎上CMの元祖は1975年のハウス食品の「私、作る人」「僕、食べる人」というセリフのラーメンのCMであったようです。

 このCMは当時、料理をするのは女性であるという家庭内における役割を固定化しているとして炎上し、1カ月ほどで放送中止になったみたいです。

 45年経った今でも、ここまでストレートな表現が無いにしても、純粋な目を持った子供からすると、社会やTVから投影される世界では家庭で料理を作る役割の人=女性(ママ)と映っているようだ。

 以前から気になっていたのが、広告はこうも良く燃えているのに、アニメの世界ではそれが起きていない。私の知らないところで燃えているのかもしれないが、サザエさん、どらえもん、ちびまる子ちゃん。いずれもご長寿アニメなので、作られた当時の時代背景がもちろんあるので仕方が無いとも思いますが、見ていて違和感しか感じない。

 日本国民のほとんどはこれらのアニメを見て育っているのだから、私の子供達と同様に彼らの中では、女性(ママ)=家庭で料理を作る役割の人、と知らず知らずのうちに刷り込まれているのではないでしょうか。

 それでも我が家の子供たちは、外の世界ではそうかもしれないけれど、うちはそうでは無い。家庭ごとで男女の役割分担は異なっていて、性別ごとに役割が決まっているわけでは無いということを、なんとなくでも理解できているのではないかと思っている。

 また、ここでは家庭とか家事(料理)という小さな世界でのジェンダーについて触れているが、これが社会とか会社とか世間など、大きな世界におけるジェンダーとなってくると、より深くて難しくて複雑な問題がもっとあるのだろうと思う。

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 冒頭に書いている通り、我が家では私が料理担当ということで長らく鍋を振っている。疲れている時はもちろんめんどくさい時もあるのだが、毎日何を作ってやろうかと献立を考えるは楽しい。なにより、子供達が一心不乱に旨そうにご飯を食べる姿は格別だ。

 おふくろの味という言葉ある。僕は父親なので、我が家にはおふくろの味というのは未来永劫存在しえない味なのか?書きながら、そんな会話を食事時にしていたことも思い出してきた。

 先ほどのジェンダー問題においては、おふくろの味という言葉も性別による役割分担を想起させる言葉にあたるのではないかとも思った。しかし、そんなことまで突っ込んでいても仕方が無いので、おふくろの味というのは必ずしも母親が作る料理の味ではなく、郷愁を感じさせる家庭料理の味ということにしておきたい。

 「うちはおふくろの味じゃなくて、オヤジの味だね」と子供が言った。でもなんだかオヤジの味って言われると美味しくなさそうになので、別におふくろの味で良いと思う。オヤジのつくるおふくろの味。

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