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「いい声」で吹く?

チューバサダーズというyoutuberの方たちの動画(14:32くらい)で
いい声に例えて楽器を吹くということに触れているところがあるのですが、この話すごく納得したのでシェアしたくて書いています。
この動画ほとんど全てに納得しましたし、共感もしています。
ほんとに色々試して試してその結果、息の邪魔をしないというところにおちついているというのがほんとに面白いし、そうなんだよなー、と。全部見てみるのおすすめです。


普段話しているときに「いい声」で話そうとしませんよね、それと同じように楽器を吹くときもいい声で吹こうとすると、どこか不自然な音になってしまいます。
喉を開けて吹くとかあくびをするように吹くとかよく聞くと思いますが、
それってほんとにいい音でしょうか?
(もちろん閉じ過ぎている方は開くように感じるかもしれません。人間の感覚は今いるところから、どう変わったかしかわからないので、閉じるのをやめると開いたように感じるんです。)
そのために喉以外の部分が力んでしまっては本末転倒ではないでしょうか?
身体中どこにも無駄な力みがなく吹きたい。
そのためには普段話している時と何も変わらずに吹ければいいんじゃないかなと思っています。

吹くための技術はいらないと言っているわけではなく、
やりすぎているものはやりたいと思っていることの邪魔になっているかもしれないからやめましょうということです。
アンブシャを作り込んでいくタイプの方もいらっしゃいますが、
前の記事に書きましたが、わたしはほとんど気にしなくなりました。最低限息がもれない程度には使っていますがそれ以上のことは何もしていません。(使っているというより使われていると言った方がいいかもです。)
わたしは作りこむと力みの原因になってしまうからです。
どうしてもアンブシュアを「キープ」しようとしてしまうので、口の周り以外の部分に影響がありすぎるからです。
一箇所キープしようとすると、その他の部分もキープしようとしてしまう。口の周りとその他の部分を分けて考えられるなら作り込めるのかもですが、わたしにはできません。
ここでも鏡を見て観察してみると面白いです。
口の周りをキープしようとして吹くときとそうでない時を見比べる。
その時、口の周りにばかり注目するのではなく、全身の雰囲気を眺める感じで見ます。(全身視界に入ってるくらいの感じです。)なんだか少し緊張しているようにみえませんか?アンブシャをキープしようとしているだけなのに、全身なんだかわからないけれどキープしようとしている。

身体の側から考えると、脳からの指令「キープしよう」という考えをわからないながらも実行しようとしてくれて、その結果全身を固めることで指令を実現してくれているんです。

こいうことに気づいたので、わたしはアンブシュアを気にすることをやめました。勝手に息がもれないように閉じている、くらいです。
(ここでいうアンブシャは外から見えている口周りのことです。)

アンブシュアのことが気にならない時には上半身の力みがないことが多いように感じています。
一つの力みが別の力みを生んでいる。これってアレクサンダーさんが言っていることそのままで、改めてすごい人だと思いなおしています。

何かをやめようとする時、そこにばかり焦点を当てても改善できない時は他の何が連動していることがあるかもしれません。
やはり観察に戻ってきてしまいました。

観察についてはこちらをご覧ください。




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