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ラクに吹きたい!!のために

以前の記事でわたし自身上半身の力みすぎに気づきましたとお伝えしたことがあります。正直まだ譜面にかじりついたり真っ黒な譜面になると色々忘れて「ふー」に戻ったり上半身を固めたりします。

今では固めたり「ふー」に戻ったりすると気づけるようになったので、改めて思い直すことができるようになりました。


習慣って悪いものではなく、日常生活を送るためには必要なものなんですよね。
朝起きるときに何も考えなくても起き上がることができるし、コーヒーを飲むこともできる。
これ、いちから考えないと動けない、となると大変です。
そういう意味でもほんとにありがたいものなのですよ。

でも、でもです。
この便利な習慣。ときにやりたいことをやるために邪魔になることがある。
譜面の話を上でしましたが、「譜面が黒い!うっ、」が来ると習慣的にやっているやり方に戻してその対処をしようとするからです。

車の運転を思い出してください。
教習所に通いはじめた頃、アクセルブレーキの位置から確かめてませんでしたか?次第に確かめなくても踏めるようになってくる。そのおかげで周りを確認する余裕がうまれてきて安全に運転ができるようになりましたよね。

習慣って、少しづつ身につけていったものなんです。

習慣=無意識にできる動き、とも言い換えられます。
無意識になっているからこそもう一度自分は何をやっているのか観察しないとわからなくなっています。
無意識なので何をやっているのかわからないということも多々あります。
そのための観察する技術です。


車の運転の話に戻りますと、ワイパーと指示器レバーを間違って覚えてしまっていると、左に曲がるときにワイパーが動き出すわけです。
ワイパーなら目の前で動いてくれますからすぐにわかるわけですが、
自分の動きとなると、どうでしょうか?
無意識なために自分にとってあまりにも自然にできてしまう。違和感がない。
もっというと、これが正解とまで思えてしまうわけです。(ワイパーもごく自然に動き出しますよね。)

指を早く動かしたいとします。
指を動かす=指に力を入れて動かす
そういうイメージがあるとしたら。
自分ではやりたくないことがやりたいことと反対のイメージがくっついている時があります。イメージも意識的なものというより、いつの間にか持ってしまったものだったりします。
(過去に力を入れて指を動かしたことでいい結果が出たことがあるのかも。)
これも自分にとってはごく自然で違和感がない。
これって、自分が無意識のうちに持ってしまっている動きを知ることなく「指動いて!」と言っても動いてくれないわけです。指の力みを残したままその上に「指よ動け!」と指示を出すと、脳からは「指よ力め」と「指よ動け」の指示を同時に出すことになります。上手くいきそうにないですね。そのために、
自分が何をしているのかを観察する必要があります。

観察して自分の動きを認識し、
なにもしないことが選択でき、
その上で改めて何をするかを決める。

観察についてはこちらをご覧ください

なにもしないというのは、
なにかを「したい!!」と思ったときに、「思う」だけができるようになるということです。思ったことと動きって一心同体なので、思った瞬間にはもう何か「したい!!」と思ったことをやっているかやろうとしている。ここを認識して習慣=無意識な動きをやめる。

なにもしないことができると、
アクセルとブレーキを同時に踏んでいることがなくなります。
どちらか踏みたい方だけを踏むことができるようになるんです。


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