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《意味》、ナラティブ、イノベーション、そして心理的安全性/第1回《意味》とナラティブ

《意味》は《行動主体である動物が生息環境内の事物に見出す利用可能性》です。それは、必ずしもコトバで表現される必要性はありません。江頭 春可 さん、長谷川 一英 さん、馬越 美香 さんのnote記事を参考に、《意味》を起点にしたイノベーションとそれを可能にする条件を考えていく連載の第1回です。

1.《意味》とは


人間に限らず、動物の特徴は生息環境に《意味》を見出すことです。コトバを持たない動物も、《意味》を認識しています。
スズメが電線にとまっているのをよく見かけます。飛んでいるスズメは電線を見て、電線に《とまって羽を休められるもの》という意味を見出す。だから、電線にとまるのです。

スズメの例からわかるように、意味とは、《行動主体である動物が生息環境内の事物に見出す利用可能性》に他なりません。

生息環境は、自然的・物理的な環境に限りません。人間が集まって作る社会もまた、人間にとっての生息環境です。そして、私たちは、社会の中の事物の中に、「自分は、それをこのように利用できる」という《意味》を見出し続けているのです。その《意味》は、私たち一人ひとりに固有な条件(生まれつきの特性、生育環境、社会や組織の中での役割など)の影響を受けるので、一般的・汎用的なコトバで表現しきれない個別性を備えているものです。

江頭 春可 さんの記事『心とナラティブ』、『組織とナラティブ』のテーマであるナラティブを、私は上で述べた個別性を持った意味の延長で理解しています。

2.《意味》とナラティブ


ここでは、江頭さんの次の2つの記事を参考にします。

『心とナラティブ』から引用します。

娘が何をどんなふうに感じているのか、感じてきたのか。今まで聞いたことのないような細かい説明をしてもらい、そこからわかってきたことは…娘の受け取っている情報量の多さ。繊細さ。
見えていること、聞こえていることが、わたしと全く違う
〔太字は、原文のママ〕

私は、江頭さんとお嬢さんでは、環境内の事物に見出す《意味》が大きく違っているのだと解釈しました。

江頭さんは、ご自身とお嬢さんの違いを「生まれもった特性による違い」と述べています。私が、「1.《意味》とは」で挙げた一人ひとりに固有な条件の中でも、最も基本的なものです。
江頭さんとお嬢さんけでなく、私たちは、全員、生まれ持った特性がお互いに違っています。だから、環境内の事物に見出す《意味》も、一人ひとり違って当然なのです。

江頭さんは『組織とナラティブ』で、ナラティブを次のように定義しています。

(ナラティブ=ここでは「それぞれが自身の体験の中でつくりあげた自分が主人公の物語」という意味で使います)
〔太字部は、楠瀬が太字化〕

体験の中で、私たちは他の誰とも違った独自の仕方で環境内の事物に《意味》を見出す。そうした《意味》が積み重なって、自分自身と環境の関係について、他の誰とも違うユニークな見方が形成されていく。

このユニークな見方と、江頭さんの「体験の中でつくりあげた自分が主人公の物語」の間の距離は、それほど離れていない、いえ、かなり近いものだと私は考えています。

一人ひとりが独自の物語を持つことは、私たちの相互理解の妨げになるように感じられてしまいます。
しかし、江頭さんは、相互理解は可能なことを教えてくれます。


3.対話によるナラティブの統合


ここでは、江頭さんの次の記事を参考にします。

『組織とナラティブ』の中で、江頭さんは、企業内で社員一人ひとりのナラティブ(物語)の個別性が強まり、お互いの共有・共感が難しくなっている状況を指摘しています。

年功序列・終身雇用は崩壊し、転職が当たり前になり、非正規雇用の拡張で帰属意識は薄れ、働き方の多様化によってもはや所属する組織は一つではなくなりました。この中で働き方におけるナラティブ(物語)は細分化され、成功・失敗体験も働く理由もどんどん個人的なもの、共有・共感しづらいものになっていった
〔『組織とナラティブ』から抜粋。太字部は、楠瀬が太字化〕

そうした状況で、どうしたら社員がお互いを理解しあい、それぞれの体験を共有し、かつ、共感しあえるようになるのか? その問いに対する答えが、江頭さんの記事の、この部分です。

自社が取り組んでいるのが、働き方において細分化してしまったナラティブ(物語)を、ナラティブ(語り合うこと)によって統合していく試みです。「ナラティブ」という言葉が面白いのは、「語る」という行為と、「語ったもの」という行為の産物を同時に意味するところです。個人のナラティブ(語ったもの)が社会のナラティブ(語ったもの)を構成し、その大局的な流れを捉え道筋をみつけることでストーリー(物語)として捉えることができます。また「語る」「語り合う」という行為によってそれを理解する、近づくといった手法にも展開できるのです。
〔『組織とナラティブ』から抜粋。太字部は、楠瀬が太字化〕

「語る」・「語り合う」を私は対話と解釈しました。対話をとおして個別化・細分化してしまったナラティブを統合し、複数の人間が共有できる、より包括的なナラティブを生み出すことができる。私は、そう理解しています。

新しいナラティブが生まれるのは、各メンバーが環境内の事物に見出してきた《意味》が、他のメンバーが見出してきた《意味》と相互作用して変化するからだと考えます。

長谷川一英さんは、『マテリアルに新しい意味を見出し、時の流れを緩やかにする』の中で、《意味》の変化とイノベーションの関係を取り上げています。次回(第2回)では、長谷川さんの考え方をみていきます。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

『《意味》、ナラティブ、イノベーション、そして心理的安全性/第1回《意味》とナラティブ』おわり

第2回につづく




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