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御庭植治の小川勝章です。お庭の役目は人と自然を繋ぐ「人と自然の連絡係」

自然と人と文化が共存できる社会へ

 

御庭植治次期十二代  小川勝章

  こんにちは。
御庭植治次期十二代の小川勝章でございます。
250~60年前、初代がお庭を作り始めているのですが
元々は青蓮院さんをお守りするお侍だったそうです。

七代小川治兵衞が平安神宮さまや無鄰菴さま等、
色々なお庭を作らせて頂きますが、
おそらく七代だけでそういうお仕事を頂戴できることはなかったので、
六代までの素地があってこそ
繋がりが生まれたものだと思います。 

七代小川治兵衞

現に私がこのお庭の仕事をさせて頂いているのも
歴代の素地があってこそ。
一括りにお庭といえど、それらは千差万別。
儚いお庭もあれば、人の一生を越えて
長生きするお庭もあります。
総じてお庭の役目は、人と自然を繋ぐ存在であること。
可愛らしい言葉で言うと
「人と自然の連絡係」みたいな役目です。

平安神宮

 お庭そのものは、自然そのものではありません。
人が木を植え、石を据えるので
自然に抗う側面すら持ち合わせています。
作庭は、自然への憧れを具現化すること。
そうすることで
お庭が自然へと繋がる窓口やきっかけとなればと願っています。
目の前にない、遠くの山々の面影をお庭の樹々は物語ります。    

無鄰菴

繋がりは自然だけではありません。
時に、お庭は人生における大切な時間を繋げてくれます。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。
目の前に居られない、大切な方々との思い出を振り返る舞台ともなります。
また、先を見据え、時間を託すことも可能です。
お子さま、お孫さま。
瞬時に伝達できるものではなくとも
成長なされた頃に、お庭での出来事が蘇り
親御様の思いを受け取って下さるかもしれまん。

 日々お忙しい皆さまの毎日。
お庭に出向かれた折には、立ち止まってみたり
ぼーっと眺めてみたり、のんびり欠伸をしてみたり。
心たおやかに、お庭での時間をお過ごし下さい。
特に、お庭を前に目を閉じると、伝わって来る感覚があります。
そっと頬を撫でる風、ざわつく樹々の声、煌めく水面のゆらぎ。
しとしと雨音を耳にしながら
うとうと出来ればこの上ない幸せかもしれません。                          

祇園祭と夏~自然を感じる、豊かな暮らしを体験~  
会場:啓明商事

祇園祭は、人にとっても、街にとっても
大切な節目でございます。
特に、コロナ禍の厳しさを経て迎える今年のお祭りは特別で
疫病退散を目的としたお祭りである意義は
大変大きいところです。
鉾町のお庭では、お祭りを前に、お庭を整えて参ります。
お庭もお祭りの尊さを知っているかのよう。
人も、街も、お庭も、ハレの日に備え
気持ちは高揚して参ります。

お庭を作るということは
]お相手のために、自身の人生や時間、生き様を捧げることであり
それが第三者に渡ることを想定していません。
現在において、かつてのお持ち主も変わり
役目も変容するお庭も少なくありません。
お庭には、凄く刹那的な側面があり
その方がもしいらっしゃらなくなるのであれば
ある意味において、その方と共にあったお庭の役目も
一旦終えることとなります。
もし受け継いで下さる方がおられれば
それまでの歴史を受けとめて頂いた上で
次に受け継いで頂くことが望まれます。

無鄰菴

人の「人生」と同様に、お庭にも「庭生」があるのかもしれません。
作庭時と数十年後の姿は変容します。
「人となり」の如き「庭となり」は受け継がれます。
お庭は、とても長い時間
人と寄り添い、生きて行きます。

実相院門跡

出来れば、子供の頃にお庭に少しでも接して頂きたいと願っています。
20年30年40年経った時に
再びそのお庭と出会うと、何十年もの時間が甦ります。
池の小魚を追いかけて、池にまはったことさえも
かけがえのない思い出となります。

実相院門跡

「祇園祭と夏~自然を感じる、豊かな暮らしを体験~」におきまして
私はちゃんと目を見て、お伝えしたいと思います。
お子さまと同じ目線に立つことが出来ればと努めます。

参加下さるお子さまのみならず
伝える側の大人にとっても学びの場です。
祇園祭に際し、町家での催しをするわけですので
お庭のみならず、目に見えない空気感も合わせて
お伝え出来ればと考えています。

自然と人と文化が共存できる社会へ
KYOTO Sustainable Network


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