鏡

憧れのひと

積み上げている人に憧れる。
1つのことを、愚直に、頑なに。
たとえ細々と目立つものではなかろうと、それは極める道だから、そこを歩んでいることに憧れる。

さて、私は何を積み上げているだろうか。
ブログを書くこと?毎朝の早起き?こうしてnoteに書き込むこと?

憧れに近づきたいと思ったとき、他の存在を意識する。
自分から見て、自分よりも憧れに近い位置にいる人が、何人もいる(ように見える)。
どうにもその人たちには追い付けないし、適わないと思ってしまって、憧れそのものを諦める。
諦めるものが多すぎて、そのうち、何を極めたらいいのかわからなくなる。

それって、わたしに取り柄がないこととどう違うんだろう。

本当は知っている。誰かと比べる必要なんてないのだということを。
上を見たらキリがない。だから、目の前の段差を上がれるかどうかだけに集中したほうがきっと良い。
1段1段、確実に登っていけるように、目の前に意識を向けていたほうがずっと良い。

でも、ふとした時に気になってしまうのだ。
わたしはどこに向かっていて、この道は本当に合っているんだろうか。
目の前の階段じゃなくて、本当に昇るべきは隣の階段だったらどうしよう。

そんな時に、やっぱり他の存在に目が行くんだろう。
ああ、あの人のほうが順調そうだ。わたしもあっちに進めばよかったかな。
この人はここでつまずいているから、わたしの道はまだマシに見えるなぁ。

まさに、自分が進む道を信じることができない瞬間だ。

みんな、こういうときどうしてるんだろう。
模範解答を欲しがってしまって、やめられない。
わたしの行くべき道を、誰かに指し示してもらいたいと思ってしまう。

結局は、自分で選んだ道で起こったことの責任を、負いたくないのかもしれない。
誰かに選んでもらえたら、責任逃れができるから。
他所の道へ視界を奪われていれば、言い訳ができるから。

自分のことに対して、自分で責任を取ることが、こわい。
そう、結局、最終的にはここに戻ってくるのだ。
自身の無さが、わたしの最大のウィークポイント。

正解か不正解かなんて、誰にもわからない。自分にも、他人にも。
だから、自分の選んだ道を信じるしかないのだ。愚直に、頑なに。

わたしが真に憧れているのは、1つのことを積み上げている人ではなく、
自分のことをまっすぐに信じ続けて、進んでいる人なのかもしれない。

読んでいただきありがとうございます。 今後も精進いたします。