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ポピュラー音楽としての『横浜市歌』

はじめに

齋藤です。今回は『横浜市歌』についてまとめました!以下、「ネタ」とも取れる内容ですが、面白半分で最後まで読んでいただければと思います(笑

横浜市歌は1909年(明治42年)7月1日に行われた、横浜港の開港50周年記念祝祭にて披露されて以来、市民に歌い継がれている。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽学校(現、東京藝術大学)助教授だった南能衛氏だ。現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されている。開港記念日(6月2日)や卒業式、市大会などの行事で、演奏・斉唱される。
私は生粋の横浜市民であり、横浜市歌を様々な機会で歌ってきた。他の地域にも市歌、県歌などはあるが、これほど一つの地域で共通して知られている歌はない。本noteでは、日常における横浜市歌の横浜市民との関わりと、近年の横浜市歌を取り巻く状況を研究し、考察する。

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カラオケ定番曲としての横浜市歌

早稲田大学に入学した後も、地元の人たちとカラオケに行くと絶対一回は誰かが横浜市歌をカラオケの曲に入れる。基本的に小学校、中学校が横浜市立だった学生は歌うことができる。しかし、一部中学から私立の学校に入学した人は歌詞やリズムを忘れていることもあり、「迫害」とまではいかないが、「お前、歌えないのかよ〜。」などの罵声が飛び交う。
それほど横浜市民にとっては横浜市歌が歌えることが当たり前である。その一番の理由としては何かにつき横浜市歌を歌う機会があったからだ。基本的に横浜市立の学校は様々な式典に於いて横浜市歌を歌う。基本的には君が代の次だ。君が代をモゴモゴ歌っていた人も、横浜市歌になると皆大声で歌う。立派な大学生が、その頃を彷彿とさせるほど元気に横浜市歌をカラオケで歌うのだ。

Let's Dance With YOKOHAMAという奇妙な空間


私の世代(2011.3に小学校卒)からちょうど、「Let’s Dance With YOKOHAMA」という横浜市立小学校に通う6年生が強制参加させられるダンスイベントが始まった。新横浜にある日産スタジアムで毎年6年生を対象に開催される横浜児童体育大会の一環として始まった。横浜市歌をアップテンポに変えられた曲に合わせ生徒が踊る。横浜児童体育大会の前になると相当前から先生が生徒に授業時間を惜しまずダンスを教える。非常に音質の悪いテープが小学校に配布され、その音源に合わせ毎日のようにダンスを覚えるのだ。その当時は疑いもなく先生に従いダンスを覚えていたが、今思えば横浜市民だけ踊ることができるダンスというのは異様だ。大学に入学してからも横浜市民を見つけると、「もしかして、あのダンス歌える世代?」という話が盛り上がる。そしてみんなであのキャッチーなダンスを踊るのだ。横浜市民にこのことを話すと、時々Let’s Dance With YOKOHAMAを知らない人がいる。そのような人は私たち世代(1998年の代)より確実に年上だ。

成人式で露呈する「不良」の”市“粋主義


私は今年の一月、横浜市の成人式に参加した。横浜市の成人式は日本で一番大規模なので二回に分けて行われる。会場には小学生の時に横浜児童体育大会で一緒に踊った仲間とは思えない袴姿のいわゆる「不良」や、ケバい女性で溢れていた。彼らは警備員に対して暴言を吐き、成人式が始まっても横浜市長に向かって大声で叫んでいた。そして、君が代を歌う場面になってもふざけて歌う、もしくは全く歌わない人が目立った。しかし、この様子、どこかで見たことがあると思った。小学校の頃と全く同じなのだ。小学校でも集会の度に騒いでいる人はいた。君が代もしっかり歌わない人もいた(国籍という観点は除く)。そして君が代が終わった時に確信に変わった。横浜市歌が始まった瞬間に皆が静まり返り「わが日の本は島国よ〜」という最初のフレーズがぴったり合ったのだ。横浜市歌は「不良」にとってどのような意味を持つのだろうか。
近年「マイルドヤンキー」という言葉が有名になっているが、彼らは地元愛が強く、地元で大人になり、地元で結婚し、地元で子育てをする。彼らにとって生まれ育った横浜市を最も想起させる横浜市歌はソウルミュージックなのだろう。(演習中のディスカッションで知り合った横浜市民が横浜市歌を「ソウルミュージック」と評価していた。)

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「横浜プライド」を生み出す横浜市歌


横浜は東京圏にあり、また港町や中華街としてのアイデンティティがある。そのため東京に対する憧れ、劣等感、敵対意識は他地域と比較し少ない。近年、一人暮らし世代が増えたこともあり、横浜市の中にも人口流出が進みつつある地域があるが、それは東京で働く上での選択であり、決して横浜へのプライドを無くしたわけではない。その横浜に対するプライドというのはもしかしたら、横浜市歌によって醸成されているのかもしれない。
そう思わせるフレーズが横浜市歌にはある。

―されば港の数多かれど この横浜に勝るあらめや(日本には港の数は多いけれど この横浜に勝るところはない)

特に横浜に対して意識せずに学生時代を送った人たちでも、ことあるごとに横浜市歌のこのフレーズに触れれば、横浜の特別感が市民に刷り込まれるのは致し方ない。(演習のグループディスカッションでは、横浜市以外の出身者は市歌や県歌はあるものの、触れる機会が横浜市歌と比べ少ないと話していた。)

まとめ


もし、横浜市歌が単なる「市歌」であれば、それはポピュラーミュージックとは言えないだろう。しかし、横浜市民は横浜市歌を半ば強制的に歌わされる中で、愛すべきポピュラーミュージックとして享受するのだろう。現に横浜市民が横浜市歌に対して、カラオケで歌うなど能動的な態度をとっていることからもわかるだろう。
横浜市は市としては大規模であり、都内に通勤、通学する人も多い。また、市内でも一つの市とは言えないほど様々な地域差がある。それらの差異、何もしなければ離散してしまうような環境に置かれている横浜市民を一つにする心の拠り所が横浜市歌なのだろう。アメリカ市民が合衆国国歌、国旗を拠り所として一つに繋がっているのと同じような印象すら受ける。

■出典
・横浜市ホームページ:https://www.city.yokohama.lg.jp/(2019/07/12現在)


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