KS-Creative

元ウォルト・ディズニーのクリエイティブディレクター。 Fラン大学時にWスクールで「アー…

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元ウォルト・ディズニーのクリエイティブディレクター。 Fラン大学時にWスクールで「アート」を学び、映像・CMディレクターを経て、ディズニーにジョイン。 世界最高峰のクリエイター達と共に、テレビ・映画・配信作品・ゲーム等、様々なクリエイティブの開発・監修・プロモーションに携わる。

最近の記事

【第10話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

師匠「Cさん」との出会い 私のTVCM案件も、実績と共に「指名」が増え、平均「年20本」は監督し、ビジネスとして安定してきた。 ある日、会社から「TVCM担当プロデューサー」として「Cさん」を紹介された。 Cさんは私より一回り年上で、元「大手レコード会社の音楽プロデューサー」だった方で、今でも名曲とされるアニソンを数多く輩出した方だった。 経歴も性格も「ロック」な方で、口癖は「面白くねークリエイターなんてクソだ」で、実際に何人ものクリエイターと衝突してきた「異端児」だ

    • 【第9話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

      TVCM監督への再挑戦 オンライン編集室の立ち上げから半年も過ぎると、いじわるディレクターSさんのムチャ振りも落ち着き、他のレギュラーも増え、編集室はフル稼働状態になった。 そこで私は最初の約束通り「編集業務はアシスタントに任せて、自分はTVCM監督に挑戦する」というリクエストを会社に出した。 会社は初め「せっかく軌道に乗ったので、編集業務に軸を置いて欲しい」と説得してきたが、「エディターになるつもりは無いので、ならば会社を辞めます。TVCM集中を認めてくれるのであれば

      • 【第8話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

        新たな挑戦 先輩Mさんのアシスタントとして参加した「初TVCM企画」は見事に競合コンペを勝ち抜き、私は「クリエイティブ制作」として協力した。 この時「次こそは自分の企画で監督として」と強く誓った。 その頃、会社の組織にある変化があった。 当時、最先端だったオンライン編集ソフト「Avid DS」を導入した「オンライン編集室」が社内に設立されたのだ。 会社の狙いとしては ◾️外注していた「編集作業」の内製化(コストカット) ◾️マルチな社内ディレクター育成(案件取得)

        • 【第7話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          TVCMへの挑戦 一橋グループ大手出版社の映像制作チーム「A社」に入社して約1年経ったある日… とあるプロデューサーが「TVCMの競合プレゼンに挑戦したい人いる?」と皆に募った。 競合プレゼンの相手は大手広告代理店のクリエイティブディレクターや有名CM監督ばかりだ。 普段「映画」や「アニメ」ばかり制作しているチームメンバーは皆「畑が違う」と沈黙していたが、私と先輩Mさんの2人が手を挙げた。 私はキャリアパスとして「CGという特定ジャンルのクリエイター」で終わるつもりが

        【第10話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

        • 【第9話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

        • 【第8話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

        • 【第7話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第6話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          大手も結局… 念願の「一橋グループ大手出版社」映像制作チームでの正社員生活が始まった。 この企業を仮に「A社」としよう。 チームで「歓迎会」を催して頂いたのだが、入社祝いとして「A社の顔であるキャラクターの寝袋」を貰った。 早速「嫌な予感」しかしない…。 業務が始まった。 業務内容はA社が保有する原作やキャラクターの「映画」「テレビアニメ」「テレビ番組」「プロモーション映像」のCG制作とVFX制作だ。 一部は「絵コンテ制作」や「監督」を任される事も。 正直、作業は

          【第6話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第5話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          経験者としての転職活動 という事で、業務委託と並行し「TVアニメシリーズ」「劇場作品」「某有名ロボットアニメのフルCG作品」をポートフォリオとして転職活動が始まった。 1年半前の大学・アートスクール新卒時の就職活動と比べて「こんなにも反応が違うのか!?」という驚きがあった。 以前は書類・作品で「門前払い」だった有名ゲーム会社や映像制作会社が、気持ちの良いくらい書類通過する。 面接しても「ぜひ来てほしい」という熱量が感じられて、つい舞い上がってしまいそう。 やはり業務委

          【第5話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第4話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          過酷な労働環境 劇場作品の完パケ(完成)が半年後に迫り、製作陣もイッキに忙しくなった。 業務委託チームは、朝10時から作業し、ランチは抜き、夕方16時からスタジオでカット試写、夕飯を食べ、再び28時まで作業、イスで仮眠、3日に1度銭湯へ行く。 をくり返す日々。 一方で少数の正社員は10時〜20時位で働く。 業務委託チームは疲弊していった。 家に帰る時間など無いし、帰る気力もない。その時間があるなら1分でも多く仮眠したい。 生き残りサバイバル そんな日々が2ヶ月も

          【第4話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第3話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          底辺クリエイター 私と同期の業務委託は10名いた。男性8名、女性4名だ。 業務委託チームはひとつにまとめられ、チーフディレクターとアシスタントディレクター率いる約30名の傭兵集団だった。 正社員と業務委託の勤務体制は明らかに違い、正社員は労働時間を管理され、我々業務委託は「納期に間に合わせる事」以外は決まりがなかった。 担当作品は「新作テレビアニメ」と「劇場作品」が同時に進行で、新人はアニメ用語で「バンク」という「過去に作ったシーンのアニメーションや演出を生かして、キ

          【第3話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第2話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          Wスクール開始 私は大学4年の4月から、Wスクールで夜間のアートスクールに通った。 大学3年までに卒業に必要な殆どの単位を取り、大学4年次は週1〜2日の登校、授業のない日中はバイトをして資金を貯め、夜間にアートスクールに通う日々。 アートスクールには、高卒、大学生、社会人、現役クリエイター等、様々な人が集まっていた。 イラレやフォトショ、デッサン等から始まり、3DCG、アフターエフェクト、プレミアまで「デザイン」「動画制作」に必要な知識・技術を学ぶ。 沢山の仲間がい

          【第2話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          【第1話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道

          はじめに 就活に挫折したフリーランス映像クリエイターがディズニーのクリエイティブディレクター(責任者)に這い上がるまでの実体験をここに記す。 Fラン就職活動の現実 始まりは大学3年生の夏、いわゆるFラン大学の私は就活において「学歴」という壁にぶち当たっていた。 大手・中堅の企業を含めて50社程に応募し、書類選考を通過したのは5社程。 因みに、第一志望は「一橋グループの大手出版社」 もちろん書類(学歴フィルター】で落ちたのだが、この企業は後に私の人生に関わってくる。

          【第1話】底辺クリエイターからディズニーのクリエイティブディレクターへの道