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習慣を見直す

習慣化することは難しい

誰しもが良い習慣を身に付けたいと思うものです。しかし、悪い習慣とわかっていてもなかなか止められないし、良い習慣を取り入れようと思っても実践するのが難しい。さらにいえば、自分で気づいていない良くない習慣も多くあります。

良い習慣の典型的な例としては、早寝早起きとか、早起きしてランニングやジョギングするとか、毎日読書をするなどというのがあげられるでしょう。

逆に悪いのは、ダラダラと夜更かししてしまうとか、間食してしまうとか、生活に運動を取り入れらないなどがあるかと思います。

脳科学的にも、新しく習慣化させることは難しいといいます。なので、悪い習慣だなと思っていつつ止められない、逆にこれを習慣にしたいと思ってもなかなか取り入れられないというのは、おかしな話でもなく、単純に意志が弱いというのでもなさそうです。

一説には、習慣化されるまでに2,3か月かかるともいいます。また、習慣にするには、一気にではなく少しずつ行っていくのが良いとされます。毎日ランニングしようというのなら、初めは5分とか10分とかでも良いのでしょう。まずはランニングに毎日取り組むことを体が覚えなければなりません。

私の場合、出家してお寺で住むようになってから、瞑想を習慣にせねばと思った際、いきなり毎日1時間の瞑想を行うというのは無理でした。まずは毎日15分の瞑想を行うことにトライしてみて、継続していくと、徐々に体が覚えていくのがわかりました。それとともに、苦なく瞑想を継続できる時間もどんどんと長くなり、30分でも1時間でも安らかに坐っていられるようになりました。

意志が弱くて三日坊主になるのではなく、意志があってもなかなか習慣化できないので、環境を整えることや目標をもつことなどによってモチベーションをもつことも1つの手です。読書を習慣にするなら、手に取れる範囲に本を置いておくとか、ランニングであれば、スマートウォッチをつけて、消費カロリーが可視化されるようにするとかです。

私の瞑想のケースでは、まず瞑想を深めるとどうなるのかという意欲があったことと、それを朝の勤行のついでに瞑想を行うという方法によって習慣化することができました。

僧侶の習慣

お寺の場合、本山のような大きなお寺であれば、何人もの僧侶がいて、役割分担もあり、朝起きてからの境内の掃除や勤行の時間が決まっているので、僧侶1人1人の意志は関係なく、自動的に様々な物事が習慣化されていると思いますが、私のような一檀家寺にいる僧侶にとっては、掃除等の作務や勤行、瞑想修行をどのようにして習慣化するかは個人次第であり、そこには自由度がありつつも、向上心や菩提心、信心を保っていく努力がより必要とされます。

私自身の朝の習慣としては、勤行の前には境内の掃除を終え、それから勤行および瞑想することがルーティンとなっています。瞑想を習慣にする前の段階として、早朝に掃除をして勤行を行うという一連の流れが習慣化するまでにも、割と時間がかかったように思います。習慣化されてしまえばなんてことはないのですが、初めのころは面倒だなと感じることも多くあったと思います。

仏教では、戒・定・慧の三学を重んじます。定とは、瞑想によって心を一点に集中させたり、心の乱れを抑えていくことであり、慧とは、智慧のことで正しく物事を見る力を養うことです。この両者を身に付けるためにも「戒」が大事になります。戒律の戒のことです。

厳しい規則という側面もありますが、「戒」という語は、śīla(シーラ)というサンスクリット語の翻訳語であり、元来は習慣という意味があります。なので、戒は悟りへの良い習慣であると捉えることもできるのです。

仏教修行における戒律は習慣の意味合いもあり、それは悟りへの最適化された生活の仕方を規定するものであるといえます。乱れた生活によって心が散乱して、智慧が養われないということにならないように、できるだけ行うべきことの習慣化をすることが大事です。そして、その決まりからなるべく離れてしまわないように、日々忍耐したり、精進する努力が求められます。

自らの習慣を見直す

修行僧の習慣を真似てみたいと思う人はあまりいないと思いますが、普段何気なく生きている中で、自らの習慣を見直して良い習慣を取り入れていくことはより良く生きるためには大事なことです。

人生100年時代といわれますが、寿命が延びても心身が不健康である時間が増えれば幸福とは言えません。良い習慣を身に付けることは、健康寿命を延ばす効果も期待できます。

仏教修行において良い習慣を身に付けることは、悟りへの道を歩んでいるということですが、一般の人にとっては、より健康で、より心が豊かでいられるようするためにも、自らの習慣を見直すことも大切でしょう。

例えば、食事や運動の例をあげてみましょう。近年、糖質制限のダイエットが話題になっています。ご飯の量を普段の半分にするとか、糖分の入っている食品を控えるという手法によって、瘦せようという試みです。

これは、普段意識せずに茶碗一杯のご飯を摂取するという習慣の見直しといえます。ご飯を減らした分は野菜とか肉などで補えば、それなりお腹もいっぱいになるので、人によってはさほど苦がなく習慣化できると思います。

体を動かすのが嫌な方は、歩いたり階段の昇り降りする場面を無意識のうちに避けがちだと思いますが、ちょっと意識を向けてみて、エスカレーターではなく階段を使ったり、歩ける距離だと思えば車や電車を使わないで歩いてみたり、という試みをしてみると良いと思います。

また、現代はIT時代であり、色んな技術が次々に出てきます。ただ歩く行為にしてもポケモンGOやドラクエウォークは斬新な発想で、単に面倒な徒歩がアトラクションに変わるわけです。

無意識で行っていることについてよくよく考えてみて、違う視点を見つけて新たなトライをしてみるのも良いでしょう。


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