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洗脳教育にどっぷり浸かった

ARTってのは教育です。
すばらしいものです。
STEM教育に、ARTが入り、STEAM教育になった事は何度も紹介しました。

感覚・直観を鍛えるなんて枠でおさまらん。
ARTを生み出す見知は非常に個人的なものです。
個人に内包される視点、
量産品ではないその人オンリーの希少性、
そう独創性がある。それを養う事が可能。
いやいやそれって、令和が1番求める人材やんか!('ω')
それがART。

何度も言ってきましたが、また言いましょう。
日本のART教育は、ARTの本質を無視してきました。
描かせる、作らせる、歌わせる。という技能教育ばっかり((゜.゜)
残念極まりない。

学校という思考操作所に通うとあら不思議!
ARTは「美術」という教科になり、評価の対象に大変身!!♡
全員「正解」を言わないといけなくなるのです!!
じゃないとね、テストで落とされるという罰を背負うのですよ~。

こうして<学校>という洗脳所から出た者は「知識を披露」するだけのARTになっていくのです。
そりゃそうや。
前提知識を美術で求められた者の自然摂理よ。
作家にまつわる暗記した知識、オペラを聞く際の正解の心構えを説いたりしだす始末、、、
もうどうしようもないな。

前提知識の鑑賞が正解であるという思考の者は、ARTを鑑賞してはいない。
<前提知識を確認している>のです。
例えばそういう者が「この曲は良いな」と言う場合、その「良い」ってのはその人が想うのではなく、誰かが見つけた視点の<良い>なのです。
前提知識の中で<評価されていた>のをなぞっただけです。

日本にはあちこちにARTの本質を愚弄する仕組みがあります。
この前モーツァルトの曲の解説書にこう記載がありました。


「この曲を作った時、モーツァルトは病に伏していました。
なので、この曲には悲壮感が漂っているのです」

はあ?(゜.゜)

はあ???(゜゜)

で、実際に聞いて「悲壮感が漂ってるな。」と??
それは前提知識をなぞっただけ。
解説書を正解として、その正解に気持ちよく浸かっただけ、、、、
これのどこがART。
Aと言われて、Aと答える。そこのどこにARTの魅力がある。
そんな洗脳もんは宗教に任せりゃええ。

ハッキリ言いましょう。
<悲壮感が漂う事>

<病に伏している事>
は、ま~~~~ったく関係ないです。

そこに気づいてください。

病床に伏した人間って100%悲壮感が漂うの??(';')
ほんまに??
僕は病院勤務が長いけど、そんな事例あったかな~。

むしろ病であろうが、
「簡単に病に負けない!」と力強いエネルギーを見てきたな。
家族が待ってるから、笑顔でいたい」って人もいたな。
「こんな時こそ、明るくいたいな」って人もな。
「自分が祖父と同じ病になって始めて苦しさが想像できた」と言う人もいた。

で??
解説書はなんて??

「この曲を作った時、モーツァルトは病に伏していました。
なので、この曲には悲壮感が漂っているのです」

「それってあなたの感想ですよね?」

ってなるわ(笑)
そら「ひろゆき」になるわ。
なんであんたのただの1感想が、解説書やねん。
ARTの世界の者なら、見た者・聞いた者の感性を育ませろ!!
何<正解>みたいに言うとんねん。

病に伏した人間が、どうなるのかは
さっきも記載したように千差万別ですねん。

人間が病に伏した時の反応に正解なんてあるはずないやろ。

日本には、本当にこういう<個の感性を育ませる>事を邪魔する仕組みが多い。
しかも悪気なく。
しかし、悪気のない悪が1番悪い。

何億回でも言うが、<正解>なんてない。
それを教えてくれるのが<ART>。
人の数だけ<感想>がある。
<想い>がある。

頼むから、せめてARTの世界にまで<正解>を持ち込むな。

美術館とかでうんちく語るな。
それはWikipediaに任せろ。
そういう知識を正解として語る者がいるから、みんな委縮して
「自分が感じたように感想を言語化」

できひんねんやろ(';')

ARTの世界は、個が無限に可能性を広げられる世界。

他人が土足でトイレを使いにくるなって話。

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