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心理職を目指したけどやっぱり辞めた話

2018年の4月、僕は大学に編入学した。専攻は心理学で、始まったばかりの心理職の国家資格「公認心理師」の要件を満たすカリキュラムだ。


数年前、僕は体調を崩してしまい、少しの間仕事を休んだ経験がある。

なぜそんな事になったのか?という純粋な疑問に対する答えを探して、またその最中に感じた会社や医療機関の不思議な対応、そして同じような人が周りに多発していてそれを何とかしたいと思い、心理学を学んでみたいと思った。

色々と聞いていると、心理職も民間のカウンセラーもコーチも、そういった当事者の経験(もしくは近しい人が当事者となった経験)を持っていることが多い。

これは自分が他人を癒すことを通して、自らもまた癒されたいという欲求があるから、という考え方がある。実際、カウンセリングの理論にはそういった関係性を述べている内容もある。

この理論を見たときになんとも言えない気持ちになったのを覚えている。確かにそうかもしれないという気持ちと、しかし自分はそうではないと、そう思いたい気持ちの両方があった。

それは心理職についてネットで調べていた時に、当事者が心理職を目指すことについて、

「そんな病んでる奴に相談したくない」

という書き込みを見たからかもしれない。

僕も自分の傷付きを受け入れられていないところがあったのだと思う。


そもそも心理職ってなんだかよく分からなかった。普通の生活をしていても出会わなかったし、何なら自分が当事者になった時もまったく出会わなかったのだ。

著名な心理師の方が、カウンセラーを目指す人こそカウンセリングを受けてみた方が良い、ということを仰られていて、確かにそうだなと思って受けたこともあるけど、具体的に自分がそうなるイメージを持つまでには至らなかった。(でも受けた方が良い)

だから僕はこの大学で実習を受けてみたいと思った。それは少しの期間かもしれないけど、実際に職場に入って心理師の隣で働きを見るのが1番理解ができるはずだ。


働きながら学ぶのは多少大変ではあった。実習までの要件を満たす成績を修め、実習はある程度の期間が必要なため、会社の節目の長期休暇を当て込み、なんとか実現させた。

実習では、とあるクリニックで心理師の方の下に付き、日頃の仕事の様子を見させてもらった。

心理職は主に「見立てる」ということをする。

この「見立てる」とは、クライエントの困っていることがどこから来て、今後どうしたら生きやすくなるのかを様々な視点から考えていくことだ。

クライエントの生育歴や既往歴、家族構成、検査の結果、話す話の内容や話をする様子など、ありとあらゆる情報をフル活用して「見立てて」いく。

心理学的知見はもちろん、病気や薬などの医学的知見、福祉制度の理解なども必要で、そして何より向かい合うクライエントから情緒的なことを含めて多くの情報を得るスキルが必要だ。

とても労力が掛かるし、最初だけではなく、常にこの視点を持ってクライエントと接している。

医師の方を悪く言うわけではないが、圧倒的にその人を見るという意味では心理職の方がじっくりとクライエントを見ていると感じた。


変な言い方になるけど、僕は心理師の方がクライエントを「見立てる」のがとても好きだった。

それは相手の何かを言い当てるみたいなことではなくて、相手そのものをとてもちゃんと、立体的に、多面的に見るからだ。

困っている現状や原因だけではなく、必ずその人の活かしたり育てていける部分や、助けになりそうな支援まで見立てていく。

それはその人にあらゆる角度から光を当て、可能性をそこに見て、そして何よりも信じることだ。

普段の生活でこんなにじっくりと人を見たり、見られたりすることなんてあるだろうか。

社名や肩書きで仕事をして、社内では1度貼られるとなかなか剥がれないレッテルが簡単に貼りつく。SNSではアイコンや少しのテキストがその人を表して、その間をとてつもないスピードで簡素なコミュニケーションが飛び交う。

そんな日常とは真逆の世界がそこにある。


実習が終わって感じたことは、僕はきっとこのことを知りたかったのだろうということだ。

こんな風に目の前の相手を思って、信じる世界があること、そしてそれが社会を作る仕事として成り立っているということを、確かな実感として得たかったのだと思う。

やっぱりそれを知ることは、僕にとっての癒しだったのかもしれない。


その上で僕は、今のところ心理師を目指さないことを決めた。

心理職の仕事をとても尊敬しているし、憧れもある。これからも自分で学ぶとも思う。でも僕が得たかったのは人を堂々と癒せる肩書きや資格ではなかったように思う。

だからこそこの本当に得たかった学びを通して、今の自分が出来ることを自分なりにやりたいと思っている。


実習の最後に大学の先生がこんなことを話していた。

まだ始まったばかりで、このまま進むのも、もちろん戻るのも自由です。戻ることも決して恥じることではないですよ。

なぜこの場でそんなことを言うのだろうと思った人もいるかもしれないが、そんな僕の場合は「優しいことを仰るもんだな」と聞いていた。


掴んでは、手放して、の繰り返しだ。

でも今回掴んだものの感触は、しっかりと手の中にある。

これが本当の学ぶということなら、この先もずっと学んでみたい。その中で、自分も知らない、もっと好きな自分に出会ってみたい。そう思っている。




読んでくださって、ありがとうございました。







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