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冴えてるお金の与えかた

※ 如何せん20年以上前のことですので、記憶が判然としない部分もあります。
※ 賢い投資術、とか、お金の稼ぎかた的な記事ではなく、子どもとお金の話です。

【小遣い無き青春時代】

「年齢連動制」、「成績連動制」、「お手伝い制」、「無制限」・・・・・

小遣いの制度は、各ご家庭ごとに話し合いの上、様々な形に落ち着くかと思うが、

「特に明確な理由はないが、基本的には無し。」


などという謎の制度(いやこれは制度とは呼ばない。)がこの世にあることを知る人は少ないと思う。僕の家は、この残念な方向に希有な小遣い制を採用していた。(一応断っておくと、子どもにお金を持たせるのは不安だったようで、決して虐げられていたわけではない。あと、貧乏だった訳でもない。特に根拠はないのだが、この時代の中流階級の親たちは子どもにどうやってお金を与えるべきかという情報にアクセスするのが難しかったのではないかと考えている。)

「え?どうやって遊んでたの??笑」と思うだろうが、テレビと友達のおかげで、意外となんとかなっていた。アニメやドラマ、バラエティなどテレビ番組はタダで見られるし、プラレールや道具の必要な外遊び(野球など)は友達の家で遊ばせてもらっていたので、あまり困ったことは無かった。

ただ流石に年頃になるとゲームなど、友達と同じものを揃えないと遊べなくなってしまう問題にぶつかる。ここではじいちゃん・ばあちゃん・お年玉・クリスマス・誕生日・親の気まぐれから、勉強を頑張ったご褒美などまで、考え得る全てを動員してなんとか手に入れていた。

なので、小学校、中学校の時分は、ミニ四駆、ポケモン、スマッシュブラザーズ、ドラクエ、ファイナルファンタジーなど、メインストリーム(と当時信じていた)のコンテンツには触れていたので、友達との話題や遊びについていけない、ということはなかった。

高校くらいになると流石にそれでは賄えないので、(私立につきバイトは禁止。)幾ばくかはもらっていた記憶があるが、成績や素行により激しく縛られていたし、お金の話(たかだか千円そこそこの額で。。)になると毎度喧嘩をしていたような気がする。(※今別に親と仲が悪いとかはない。)


【得られなかったもの】

しかし、やはり色々なところで支障をきたしていたと思う。

・初めて漫画を買ったのは中学校に上がってからだった。
・初めてCDを買ったのは高校に上がってからだった。
・初めてカラオケに行ったのは高校2年だった。
・友達とご飯に行く時も親にお金の話をせねばならないと思うと少し憂鬱だった。
・気に入った服を買ったのは大学生になってからだった。
・部活(サッカー)のスパイクはいつも一番安いモデルだった。
・本当に美味しいものや美しいもの、心地よいもの、価値のあるものに触れる機会は殆ど得られなかった。
・未だにブランド物に疎い。服や時計、装飾品などは特に。

総じて周囲に比べ明らかに遅れており、価値観もズレていたし、自分は何が本当に好きなのか、何が本当に欲しいのかが、分からなかった。。こうなってしまうと、社会に出てから苦労する。自分で稼いだお金で色々なものに触れ、ようやく人並みにはなったが、そこの帳尻を合わせるのにはかなりの労力と費用を要した。


【得たもの】

とはいえ、災い転じて得たものもある。

・娯楽が少なかったので、その代償としてか、勉強はできた。幸い数学や物理など理系科目を学ぶことは楽しかったので、苦痛ではなかった。
・周りをあまり気にしない人間にはなった。(空気を読めないとも言う。)
・「所有」に対する欲求は人よりもかなり少ない。
・数少ないゲームをやり込みまくる過程で、根気は育ったように思う。(FF7は全キャラレベル99まで上げたし、親が気まぐれに、バザーで10円で買ったスーファミのゲームを何十時間もやり込んだりもした。(ちなみにソフトは『ファイアーエムブレム紋章の謎』と『METAL MA2』という知る人ぞ知る往年の名作だった。親という生き物はこういうミラクルを時々起こす。)
・アニメから始まって、漫画やゲーム、ラノベなど、幼少期から現在に至るまで、物語、虚構に触れる時間は非常に多かったので、そこから感じ取ったものは今でも自分の血肉として残っており、言動の一つの指針になっている。

これらは、(もちろん自分の努力もあるが。)親の方針の結果としてもたらされたものであり、現在の自分がある程度幸福な生活を送れていて、社会に出てから苦労しながらも自分の好きなものや審美眼を根気強く養う努力ができたのは、これら、「得たもの」の賜物だとも言える。

また仮に、親に価値のある物として何かを提示された時、素直にそれを受け止めて何かを感じ取れたかというと、甚だ疑問である。

なので、どんな育て方をされても、結果はあまり変わらなかったようにも思う。



【思春期の子どもは美しいものを直視できない?】

元も子もないことを言ってしまったが、思春期の子どもは、自分の興味のあることにしか食指を動かさないし、どんなに価値があるものでもそう簡単にはその価値を認めたりしない。思春期特有の自意識が邪魔をして、事物に対して自分がどのように感じているかを素直に受け取る回路がうまく働かなくなるのだと思う。

例えば、朗らかな秋の日に美しい景色をを目にした時に、今であれば、身体が周りの空間に向かって広がってくような感覚や、肌を撫でる涼やかな風、適度に暖かい陽の光、キンモクセイの甘い香り、美味しい空気、普段より深く息が吸えるなど、自分の身体がその環境をどう感じているかを、素直に受け止めて、心地よいと感じられる。

しかし、思春期の時分においてはそういう回路より「どう感じるのが”普通”か」、「今ここにいる自分がどう見えているか」、そういった自意識の回路が先に働いてしまい、素直にその価値を直視することができなかったりする。そしてこの状態でお金を使って何かに触れても、そこから意味のあるものを持ち帰ることは難しい。自意識の回路(今で言うSNSの承認欲求的なもの)に回収されてしまうからだ。

つまり、大人になってから親に対して、もっと自分にお金を使い、美味しいものや美しいもの、心地よいもの、価値のあるものを教えて欲しかった、と思う一方で、それを中学・高校の時期に素直に受け止められたかと言われると、少なくとも僕は自信が持てない。


【思春期までが勝負?】

事程左様に、思春期に突入してしまうと、お金を与え方にかかわらず、親が影響を及ぼせる範囲外に子どもは行ってしまうのではないかと、自分の経験を振り返って改めて思う。

故に、思春期よりも前、まだ「お金」も、「銀行」も、「働く」も、「消費」も、「投資」も理解できない年齢で、親としてお金についての一定の価値観を提示し、制度として家庭に実装せねばならないという、「なにそれ無理じゃない?」というミッションに挑戦しなければならないということになる。

さて、どうしたものか。。。


【妄想ケーススタディ】

子どもの欲しがるものの値段はたかが知れているので、別に買ってあげても良い。
しかし、のべつまくなしに与える訳にはいかないので、なんらかのルールを設けることになるが、どう言うルールが良いのだろうか。

■CASE.1 : お小遣いスタイル
幼い時から小遣いを与える方式はどうだろう。これはベーシックインカムに近く、「天から降ってくる限られたお金を大事に使う」という行動様式になるので、ケチになりそうだ。しかし、物を大事にする心は育ちそうである。(ちなみに我が家の息子はプラレールで電車を投げたり、アンパンマンの人形を踏んだりと、イマイチ物を大事に扱わないイヤイヤ期(現在2歳)の真っ最中につき参っています。。)

■CASE.2 : 欲しがったら一通りひたすら与えるスタイル
ただのダメ人間になるので、これはNG。
(ちなみに、我が息子は最近、「ホシィ(欲しい)」という単語を覚えてひたすら連呼しており、その言い方がかわいくてついと買ってあげたくなってしまうので、参っています。。。)

■CASE.3 : 本当に欲しいものなのかを親と一緒に考えるスタイル
本当に欲しいのかを考える思考は身に付きそう。なぜ欲しいのか、自分に必要かを説明する過程で色々な力が育まれそうである。その一方で、子どもとの駆け引きが必要になる。駆け引きに失敗すると口八丁でごまかすことを覚えそうである。
(ちなみに我が息子は明らかに欲しくなさそうなものでも「本当に欲しいの??」と聞くと「ホォシイ!!」と言ってくるので参っています。。。)

■CASE.4 : お手伝いスタイル
これは親の家事を学び、感謝する、手足を使うので器用になるなど、様々な効果がありそうである。しかし、実はこれを社会では、「サラリーマン」と言うのだと、中田敦彦氏がYoutube大学で言っていた。なるほど確かに与えられた仕事をこなすことは出来ても、自分で仕事を作る力は身に付かなそうである。
(ちなみに、我が息子は最近皿洗いが楽しいようで、夕食後に息子の食器を一緒に洗っている。手伝ってくれるのは嬉しいし楽しいのだが、せっかくお風呂に入って綺麗な寝巻きに着替えたのにびしょ濡れになってしまうので参っています。。。)

■CASE.5 : お勉強を頑張ったらお小遣いを与えるスタイル
勉強をする動機がお金になってしまうので論外。勉強は金払ってやるものです。
(ちなみにここからは流石に息子も未突入の領域なので本当に妄想の産物です。)

■CASE.6 : 村上世彰スタイル
村上ファンドで有名な村上世彰氏は、小学3年生で高校卒業までのお小遣いだと、100万円を渡され、父親が飲んでいたビールの銘柄の株を買ったところから、株式投資を始めたのだそうだ。
ここまで極端でなくても「投資」という概念を教えるのは大事なことなのだろう。とはいえ、お金に飲まれてしまうリスクはある。(実際、村上氏は「なんだかんだ言ってもお金は好き」と言っている。幼少期の経験がどこまで影響しているのかは分からないし、僕はそれを良いとも悪いとも思わないが、僕にとってはお金は手段でしか無いので、お金が目的になるような方針は少なくとも当家には合わない。)

■CASE.7 : プレゼンテーションスタイル
「それを手に入れる事でどのようなメリット・利益があるのか?」を論理的に説明しなさい、というスタイルで思考力や交渉術は身に付きそうだが、なんというか、少々了見が狭いのではないかと感じる。いわば企業と投資家のような関係である。「リターンがあるかどうかなんて分からないけどそこまで言うならBETするぜ!」という決断も時には必要なのではないだろうか。
大体、「ポケモンを買ってあげるメリット」なんてどう説明すればいいんだろう?どう取り繕って建前を並べても、煎じ詰めれば「欲しい」という本音に帰結する。親相手に建前を並べることを子に求めるのは、社会に出た時に上司を説得する上では役に立ちそうだが、情熱で相手を動かすことはできないし、論理を超えた爆発力のようなものは育まれないのではないか。建前と本音が乖離する言葉は親子の間であまり使うべきでは無いのだと思う。

■CASE.8 : 商人ごっこスタイル
これは芸人の西野亮廣氏が言っていた案だが、「毎月500円渡し、これを増やしてみろ、と言う。そして、浪費したら500円は消滅し、投資したら500円は増える、これを身を以て体感させる。その上で親がすべき「唯一」のことは、「お金を増やしたければ、困っている人を探して、その問題を解決すればいい」と教えてあげることだ。」そうである。なるほど小額の村上世彰スタイルで、遊び的要素もあって楽しそうである。この「困った人」つまり、「課題」を探すということは言わば、「デザイン」、「サイエンス」の領域であり、「商人」の手法だ。


本当に「唯一」なのだろうか?他にもお金の増やし方はあるのではないだろうか?例えば、「楽しい」は??お話でも、絵でも、音楽でも、歌でも、遊びでもいい。何かを生み出し、その価値に見合う対価を得る、という方法もあるのではないか?「クリエイター」とはそういう職業だ。


話の中で、西野氏は「ボールペンを100円で買って親に150円で売る」という例を出していたが、ここで、「なぜペンなのか?」を考えることが、実は大事なのではないだろうか。つまり、なぜ自分が行動して解決する必要があるのか、という所がポイントで、自分にしかできないことだったり、自分が好きで、思い入れを持てる事柄でないと、大人でも続かないように思う。
例えば、地球のどこに住んでいるかも、何語を使っているかも分からない人たちが飢餓や治せるはずの伝染病で、毎日何人も亡くなっているということをなんとなく認識はしているが具体的に行動を起こす人がほぼいないのは、「偽善は悪だ」とか「世の中の人全てを救うことなんてできない」というような高次元の話ではなく、もっと根本的に「どう考えても自分が行動する理由が見つからないから」だろう。

もちろん、経済やお金の仕組みを学ぶには適切なのだが、楽しくなければ子どもは付き合ってはくれないだろう。

色々なお金の与えかたを妄想してきたが、どれもイマイチ冴えない。。。


やっぱり、お金を得る”過程も”楽しくないと、人生はつまらない。


【CASE.9 : クリエイタースタイル】

「楽しく稼ぐ」を子どもと遊びながらやるには、やはり子どもの好きなものを絡めつつそこにお金を流し込む仕組みを考えると良さそうだ。例えば、電車が好きなら「電車博士」になってもらい、親に何かを教える、親はそれに対して対価を払う。それを原資に材料を仕入れ自分が作りたいものを作ったりする。初めは親が買ってあげないと成立しないだろうが、形になればフリマアプリで売れるかも知れない。

これなら、自然と本来の意味での投資と回収のサイクルを理解することができる。あるいは、モノの価値・価格は相対的なもので、モノに対する彼我の価値の差分がお金の移動を自然と発生させる、という経済現象の理解にもつながると思う。

そして、価値を生み出すためにお金と時間を自分自身に投資しなければばならず、そこをケチったらジリ貧になる。だから、お金を使い美味しいものや美しいもの、心地よいもの、価値のあるものにアクセスしなければならないのだ、ということを子どもながら知ることができるのではないか。

という訳で、まだまだ先の話ではございますが、当家は「クリエイタースタイル」を採用してみたいと思います。結果が出るのは何年後になることやら。。。笑


【まずは自分がクリエイトせねば】

子どもにお金について教える時期まで、まだ時間があるので、今のうちに仕込んでおいても損はない。何より、「クリエイタースタイル」を実践するためにはまず、自分で何かをクリエイトしないといけない。


さぁ、手を動かそう。


何を作ろうか。


そうだ、妻がずっと欲しがっていた手作りスカートを縫おう。


いつか、息子が電車博士を名乗り電車のことを教えてもらう日を夢想しつつ、、、






・・・・すみませんいい感じに書きましたが、スカートは妻に無理矢理作らされているだけです。ミシンなんて使ったことないし。ていうかなにこれ、仕組みが全然分からない。上糸と下糸って何?何ですぐ糸切れるの?まっすぐ縫えないし。。。

・・・・というわけで今のところ、全く楽しくありません。少し縫うとすぐに糸が「ガタンっ!!」という音を立てて無残に千切れ、その度針の穴に糸を通す作業がもう、、、参っています。。。。


クリエイターへの道は、険しい。。。


_ノフ○ グッタリ

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