今回、noteを始めた理由
ずっと興味があったけど、なかなか手を出せなかったnote。
SNSが生活にここまで根付いたこの時代で、表現することのためらいや発信することへの恐怖は以前ほどは感じなくなって来た。
だからこそこのタイミングで始めることにした。
色々考えた上で、noteがベストである。と思った。その理由を3つほど挙げてみようと想う。
①頭の中の思考整理
②本音を見つける
③嫌われる勇気
①頭の中の思考整理
普段の生活で頭の中がクリアな状態でいることは基本的になくて、常に思考を巡らせている。
特に1人の時は自問自答を繰り返したり、
時には答えの無い悩みにはまってみたり、
時には楽しい未来の妄想にふけてみたり、
とにかく忙しい。
複数の言葉達が頭の中に乱雑に散りばめられているのを少しでも整理するためにnoteに書き出そうと思った。外部に排出すれば少しでも軽くなると思ったから。
②本音を見つける
おしゃべりが大好きで、大切な人、大好きな人の前で嬉しくて自分ばかり話を続けてしまう。
なのに、なぜだろう?
伝えたいことが上手く伝えられてないように思うのは。
伝え方のスキルが不足気味。
話しながら話の着地点を見失うこともしばしば。あとは、聞き手の反応が良いとエピソードにアレンジが加わる。誇張は基本中の基本。それは、スパイスだしそれはそれでいいとして。波に乗れると調子良く口がまわるから、止まらなくなる。勢いで話をするから、感覚で面白いさを優先した話をしてしまう。そこに、自分気持ちが反映していないこともある。
面と向かって言葉を交わすコミュニケーションの中では間だったり、その時のノリと流れが邪魔をして自分の本当の気持ちが置いてきぼりになることが多い。スピード感のある会話に本音が追いつかない。自分の心を乗せた言葉を発するまでのタイムラグに気まずさを感じ、すぐさま仮初の言葉で代替する。
だから、文字におこす。文章にする。
これにはその場のノリは通用しないし、必要ない。
じっくり自分の気持ちに耳を傾ける猶予がある。急かられることない自分だけのタイミングで書き出した文にたびたび驚くこともある。あゝ私、本当はそう思ってたのか。って。
③嫌われる勇気
好かれる。とか、嫌われる。とか、周りに私がどう映るか。とか、どう思われるか。とか…
そんなことばかり気にしていたから、自分の本当の気持ちを歪曲させて伝えてた。というよりそれすらサボってた。
平均点を目指した受け答えでは、私の心はこもってない。それでも、角の無い表面的な言葉なら嫌われるという恐怖は軽減される。
だって、気持ちを文章で綴るとポエムだって後ろ指差すじゃないですか。
だって、語りだすとなに自分に酔いしれてんだって後ろ指差すじゃないですか。
だって、気持ちを表現するってそういうことじゃ無いですか。
気づいたら敵を作ることもあるし、気づいたら嫌われてることもある。
勇気の無い私はそうやって自己表現の機会を諦めてきた。
けど、胸の内を打ち明けたいというこの欲はもう理性で制御するのが難しくなってきた。
だからもういいや。嫌われようが、後指や陰口を言われても糞食らえだ。自分の欲に従うことにしよう。
少しづつだけどさ、育ってきてる。
嫌われる勇気が。
以上、
①頭の中の思考整理
②本音を見つける
③嫌われる勇気
が今回、note始めた理由!
万歳!表現の自由!
正解とかそんなものはなくて、私が感じたものが答えだから。ただそれだけのことだから。
はじめまして。
これが本当のわたしです。
どうぞ、よろしく。
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