最近の記事

サクラサク

彼の人と急に連絡が取れなくなった。 勉強に没頭しているのだろうかと思ったが、試験日を一週間ほど過ぎてもやはり音信不通。 何かあったのかと、自宅に行くべきか悩んでいた時、突然電話がなった。 問題の本人である。試験結果が出るまで誰とも話したくなかったそうだ。 努力に努力を重ね、未来を勝ち取った彼女にこの句を捧げる。 初月に 季節はずれの 桜咲く

    • 原発と地方銀行

      これはもう随分むかしのことだ。ただし私の妄想だが。 ここに書くことはすべて想像で妄想で事実とは異なる。万が一、事実と合致することがあったとしてもそれは偶然だ。 そのことを十分に理解した人だけ読んでほしい。 https://note.com/krhr029/n/ne9ca85710444 こちらでも書いたが、電力会社と原発、その周辺の自治体は密接に繋がっている。 ただの妄想なのだが、どうしようもなくひどい話で、今でも悲しく、怒りを感じている、というふりをしている。 その昔

      • まだ母がいる己への自戒

        先日、とある家から救急車がサイレンを鳴らしながら発進するのを見かけた。 急病人を乗せたところだったのだろう。 いつだったか、母が同様に運ばれていくのを涙を流しながら見送ったことを思い出した。 帰宅して、茶の間で休んでいると父が突然言った。 「去年の今日だぞ」 老けたせいもあるが、よく父は突然なにがしかを言い出す。なんの前振りもなしに。 「なにがさ」 出来るだけ興味を持っているような、しかし、わざとらしくないよう素っ気なく聞き返す。 「静子が倒れたの」 そうだったのか。 20

        • 福島第一原発事故による避難者は得をしたのか損をしたのか

          この投稿は私の妄言であり、ただの想像で創造なフィクションである。 そして、妄想なりにあれやこれやと裏を取るために調べた。ネットで。 自分の知識の至らぬ部分を補うために、事実確認的なことをネットでしたものの、やはりこれは妄想なのである。 事実ではない。 これが肝要だ。これから書くことは事実ではない。 果たして福島原発周辺に住む人々は被害を受けるばかりだったのか。そこに私は常に疑問を持っている。 wikipediaによれば、1960年前後に地元出身の国会議員やら東京電力の役員

        サクラサク

          老い、30年後の自分

          今月、5月20日。 父からこれから検査入院すると電話があり、とりあえずかけつけると、その日は帰宅し、翌日改めて入院となった。 これから病院を出ようとした時からの話である。 「薬もらうの時間かかるんだよなぁ」 もっともなことだ。医療機関のすぐそばにある調剤薬局はとても混む。 父は朝に病院に来て、点滴などを受け、解放された現在夕方の5時。 とても疲れているはずだ。ゆえに提案した。 「とりあえず、家まで行くから、帰って休んだら?薬はすぐに俺がどこかの薬局に行ってもらってくるか

          老い、30年後の自分

          "炉心はありません"

          ドラマ「チェルノブイリ」より #テレビドラマ感想文

          "炉心はありません"

          神頼み

          そろそろ起きて仕事をしようかと思っていたところで珍しく携帯電話が鳴った。 相手は父である。しきりに短い言葉を繰り返している。 どこそこの病院にいる。 そのまま検査入院になった。 血が足りない。 薬を持ってきてほしい。 老人らしく要領を得ない話し方だ。 血が足りないってなんだ。ルパンか。 とにかく、月に数回のいつもの診察のつもりで来たら、そのまま検査入院が必要と言われ帰れない。 そこでいつも服用している薬をすべて持ってきてほしいとのことだった。 父に指定された時間まで、ま

          神頼み

          母の日

          週明けの月曜だから、5月14日のことだ。 大分遅れたが、母の日のプレゼントを届けに行った。 向かう先は老人ホームである。 去年の秋、母は脳梗塞で倒れ、その後病院で治療やリハビリに取り組んだものの、右足は麻痺、記憶に障害を残した状態で退院。車椅子生活となった 父はまだ初期段階ながら癌を患っており、私も丈夫とは言えない。兄に至っては、まあなんというか、いずれ語る機会もあるかもしれない。 ともあれ、自宅に帰ってきてもらうことを諦めた。 大変もどかしいことに、いまは世界的なコロナ

          母の日

          最後には母の不味い炒飯と父の油にまみれた炒飯を

          アメリカの刑務所には死刑囚に対して「最後の食事」という習慣のようなものが存在する。 その詳細についてはご存知の方も多いと思うので割愛。 私がこの「最後の食事」というものを知った時、もしくははっきりと認識したのは大学生くらいの頃だった気がする。 当時は、すぐ自分だったら~という、もしもの話が大好きで、これについても考えてみた。 頭に浮かんだのは、母の味が薄く具材も少なく不味いチャーハンと、父が作るドーム型の油にまみれたチャーハンだった。 これは、あれから30年近く経ったいま

          最後には母の不味い炒飯と父の油にまみれた炒飯を

          二人でスターバックス

          二人でスターバックス

          Beautiful World

          ゲンドウがユイと再会した時、隣にいた彼女が突然つぶやいた。 もしも願い一つだけ叶うなら 君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ #シン・エヴァンゲリオン劇場版

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          花に至る病

          どれほどの時間が過ぎたのだろうかと思ってしまうほどに、あれからたくさんのことがあった。 実際には何年も経っているわけではなく、いま強い風に煽られるこの体のように、ほんの少しの間、これからも続くであろう人生のわずかな瞬間、心が揺さぶられていただけだ。 当時の自分は未来永劫に苦しみが続くと感じていたし、いまでもそれが無いわけではない。 塞がらない傷からあふれ出る灰色に濁った感情にいつまでも定まらぬ思考が水平線の向こうへと追いやられ、記憶が茫洋としてしまう。 それでも彼女の

          花に至る病