母の日

週明けの月曜だから、5月14日のことだ。
大分遅れたが、母の日のプレゼントを届けに行った。
向かう先は老人ホームである。

去年の秋、母は脳梗塞で倒れ、その後病院で治療やリハビリに取り組んだものの、右足は麻痺、記憶に障害を残した状態で退院。車椅子生活となった
父はまだ初期段階ながら癌を患っており、私も丈夫とは言えない。兄に至っては、まあなんというか、いずれ語る機会もあるかもしれない。
ともあれ、自宅に帰ってきてもらうことを諦めた。

大変もどかしいことに、いまは世界的なコロナ禍で面会もままならない。
だから、何か生活に必要なものを渡すにしても、建物の入り口でスタッフに預けることとなる。
用意したのは、赤い花のハーバリウム。そして先月、晴明神社で買ったお守りだ。
後者は彼の女性が買ってくれた。何故か彼女は母に優しい。母が退院する時も大変高価なチョコレートを贈ってくれた。

本来ならば、余計なものを増やさないように化粧箱までは渡さないところだが、母にふたを開けてみてほしくて、わざとそのままにした。
お守りも樟で出来ているという小さな木の箱に入っている。

母のいる老人ホームは郊外だ。自宅から少し車を走らせる。
気が乗らない。いや、足を運ぶことが面倒なのではない。
スタッフに渡したところで、母のベッドから良く見えるような位置に飾ってくれるとは限らない。母がそれを花と認識するか分からない。お守りをお守りと認識するかなんて分からない。果たして、本当に母が喜んでくれるか自分の目で確認しようがない。甲斐があるのか想像できないことに努力するのは苦手だ。

中学生か高校生の頃だったと思う。イベント事というか、クリスマスやらバレンタインやらが好きな母は、母の日にお金を渡すからカーネーションを一輪、近所の花屋で買ってきてほしいと言った。私は断った。恥ずかしかったのだ。母の日にカーネーションを買うということが。
なんて親不幸なことをしたのだろう。母は世の習わしというものに便乗して、ささやかな喜びにひたりたかっただけなのに。
それを叶えるには、ただ少し歩いて、カーネーションを一輪くださいと言うだけなのに。なんてことをしたんだ。

沈んだ気持ちをコントロールしながらも車は着いた。
降りた。渡すべき物を手に取った。
入り口に向かって歩き出す。歩幅が狭い。憂鬱な時の歩き方だ。
足を前に出す。狭い。

建物の前まで来ると、スタッフを呼び出すチャイムを鳴らした。そして、換気のために開けっ放しになっている両開きのスライドドアの前に立つ。
初老の背の低い太った女性がやってきた。
白いナイロン袋の中身を説明して、申し訳ないが母に渡すときに箱を開いて見せてほしいと頼んだ。
そして、帰ろうと頭を下げて、見上げた視線の先に母がいた。距離にして10メートルほどだろうか。
玄関を入ってすぐの談話室に、自分の真正面に座っていたのだ。
母はすぐ自分に気付いた。
スタッフが横で袋からプレゼントを出して説明している。
ハーバリウムを箱を開け母に見せて、すぐに閉じた。
そうじゃないだろう。プレゼントだぞ。もっとよく見せてやってくれよ。
お守りの扱いも同様だった。
母が何か言っている。聞きとれない。
母がまた何かを言っている。聞きとれない。

たまらず叫んだ。
「待ってるから!」
母は返した。
「どこで?」

どこで?どこでだって?あんなに家に帰りたがっていたのに。病院で面会するたびに、帰りたい、こんなところにはいたくない。今日退院すると言っていたのに。
なのに、母がこんなところに馴染んでしまっている。
私は顔を下に向けて、歯を食いしばった。悔しい。
涙と鼻水がだらだらと垂れる顔でまた叫んだ。

「家に決まってるじゃないか」

母は笑っている。スタッフは母に、息子さん感極まって、とか説明している。他の入居者たちが見ている。

「親不幸でごめんよぉ!」

また顔を下に向けた。
もう駄目だ。これ以上は迷惑になると考え、母に大きく手を振って、そして母も手を振り返すのを確認してその場を去った。

車の中で、大きく叫んだ。二度も叫んだ。
そして、歯を食いしばる。
歯が痛い。歯茎が痛い。
突然、私は思い至った。生きて顔を合わせる機会はいまが最後かもしれない。愛していると、産んでくれてありがとうと言うべきではないか。
謝ったことは何度もある。しかし、心からの感謝はない。
ありがとうと言わなければ。どうしよう。また行ったら迷惑だろうか。どうしよう。
迷った挙句、私はそのまま帰ることにした。また会えると考えたわけではない。スタッフに迷惑がかかると確信したわけでもない。でも、なにか消極的な感情が湧いて車を出した。

道中、何度も歯を食いしばった。歯が痛い。歯茎が痛い。
あまりの動揺で、このまま運転することは危険と判断し、コンビニに寄り、1年以上も飲んでいなかったコーラを口にした。
落ち着いたら、またエンジンを掛けた。

自分から初めて祝った母の日は最悪だった。

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