まだ母がいる己への自戒

先日、とある家から救急車がサイレンを鳴らしながら発進するのを見かけた。
急病人を乗せたところだったのだろう。
いつだったか、母が同様に運ばれていくのを涙を流しながら見送ったことを思い出した。

帰宅して、茶の間で休んでいると父が突然言った。
「去年の今日だぞ」
老けたせいもあるが、よく父は突然なにがしかを言い出す。なんの前振りもなしに。
「なにがさ」
出来るだけ興味を持っているような、しかし、わざとらしくないよう素っ気なく聞き返す。
「静子が倒れたの」
そうだったのか。
2020年10月2日、母は脳梗塞で倒れ、半身不随となり、記憶障害が残った。

前日、私は兄と口論していた。
兄は何十年もまったく働かない純正のニートである。
しかも頭がおかしい。言うまでもないがおかしいだけでなく悪い。
今風の表現をするならば、メンヘラで情弱だ。情弱にありがちなことだが、思い込みも強い。
いま大流行で世界中が欲しがってるワクチンも打たないつもりらしい。自分がよしとする製薬会社のものでなければ。
ちなみにこの地域は大体ファイザーである。

そんな兄に3年ほど前、包丁を向けられ殺すぞと脅された。
家庭内のこととは言え、当然警察を呼んだ。
ところが、本人は反省していると嘘を吐き、親が冗談でやったことだからと警察に説明したため、なにもなかったことになった。
もともと仲が悪かったこともあり、それから口論が絶えなかった。

10月1日、また私は兄と口喧嘩をしていた。
母は怒鳴り声が嫌になり、奥の間に引っ込んだ。
耐えきれなくなった父は間に入って怒鳴った。
「母ちゃんが倒れたら、全部お前らのせいだぞ。そうなったら、絶対承知しないからな」
そんなことより、この早くゴミ屑の処分をしてくれよと父を心の中で罵った。
小さい頃から兄に虐められ、しかし、彼を反面教師とし、出来ないながら努力してきたつもりだ。
捻くれながらも真面目に、挫折しながらも真っ当たらんとやってきたつもりだ。
だが、家庭内の不公平感はいつも自分の中に巣くっていた。
兄が不出来で反省をしないのは、両親の責任が大きいと考えている。
いまでもそうだ。
だから思った。
「早くこのゴミ屑を追い出すなりなんなりしてくれよ。家を俺に継がせたいなら、怒鳴るより先にやるべきことがあるだろう」
そんなことしか考えなかった。いつも通りのことだった。

翌日、昼過ぎに茶の間へ行くと、父が大声で母に呼び掛けていた。
母が自力で起き上がることができないらしい。
呂律も回っていない。
慌てている父に今度は自分が怒鳴りながら119番に連絡した。
その夜、自分のせいだと動揺した。
ストレスも脳梗塞を引き起こすトリガーとなるらしい。
兄は我儘を言ったり大声を出すだけだった。両親にしてみれば、我慢すればいいだけのことらしい。
だが、自分はあれこれと意見を言うから、逆の面倒くさいようだ。
揉め事の種らしい。

ともあれ、母が入院して最初の数ヶ月はあれやこれやと心配した。老人ホームに移ってからも交際相手のアドバイスに助けてもらいつつ差し入れをした。
だが、春先からは自分のことばかりで手一杯になった。
やはり先日、彼女が言った。最近、母に会っているのかと。
事情を説明するとお説教を受けてしまった。当然である。
今月には母の通院に付き添うことにした。こんなご時勢だから、本当は良くないことなのかもしれないが、ホームの入居者で病気のある家族には、通院先で会うことで顔を合わせることが出来る。逆にそうでもしなければ会えない。
最近は母へのクリスマスプレゼントを選んでいた。
だが、私も障害を持つ身である。言い訳になるが、やはり日々のことに忙殺される。
おそらく、母と話せる時間はあともう何年もない。容体が悪化したわけではないが老いは残酷だ。必ずその時はやってくる。

そして今日、父から老人ホームからの封書を見せられた。
いままでオンライン面会のみだったが、窓越しの直接面会が可能になったとのことだった。
母が喜ぶものは一体なんだろう。

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