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2021年11月に読んだ本

2021年11月に読んだ本

1 岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』
見つけたのはABC(青山ブックセンター)。買ったのもABCだったと思うけど、新宿の紀伊國屋だったかも。
ちょっとよく分からない話が多かった。それは英語と前提条件が分からないから分からないのか、それらが仮に分かっていたとしても分からないのか。いろいろな人の短編が収められている本というのはなかなか全体像が掴みにくいのが常だが、この本はそれを逆手に取っているという感じ。岸本佐知子好きは読めばいいと思う。

2 吉村萬壱『前世は兎』
吉村萬壱を知った本。結局他の本から読むことにはなったがこの本を探していたのだ。西荻窪・音羽館で購入。
狂ってはいるのだが普通に生活している、その生活がやたらリアルで、こういう人いるかもな、と思わされる。でも多分こういう人はあんまり外に出て来ないから出会えないんだろうな。木下古栗ほど笑いに振り切っていない、微妙に説話っぽい雰囲気を醸しているのがまたよい。何か現代に対する批評とか人生の教訓とかを読み込みたくなる。完全に術中にハマっている。

3 千葉雅也『アメリカ紀行』
千葉雅也の日記のような紀行文。吉祥寺・古書防波堤で購入。
力の抜き方がかっこいい散文。エロい。この文体がのちの小説につながっていくのだなとわかる。真似したいが真似できないだろう。かっこいい。

4 ミュリエル・スパーク『バン、バン! はい死んだ』木村政則訳
何て不謹慎なタイトル。ABCでイギリスのブラックユーモアの女王というキャッチコピーに魅かれ、めちゃめちゃ不謹慎なタイトルの短編集を出していることを知り、その場に並んでいなかったのでAmazonで購入した。ごめんABC。
かなり期待して読んだのだが、思ったよりパンチがない。ルシア・ベルリンとかミランダ・ジュライの方が破壊的で面白いと思ってしまう。たしかにブラックではあるのだけど笑えはしない。必ずしも笑える必要はないのだが、何か各方面に気を配ったビジネス毒舌みたいな感じがして物足りない。アメリカの根も葉もない竹を割ったような語り口に慣れ過ぎてしまったのか。

5 西加奈子『夜が明ける』
西加奈子5年ぶりの長編、とのこと。新宿の紀伊國屋で購入。
私は『サラバ!』『i』以来3冊目の西加奈子。西加奈子の小説には「恵まれていることに対する引け目」の感情がよく描かれているが、この作品でもそのテーマが重点的に扱われている。この「恵まれていることに対する引け目」ってない人にはまったくない気がするし、昔あった人もなくなっていく人が多い。だからこのテーマを書き続ける作家がいることはひとつ意味があると感じた。私は十代、毒親育ちでもいじめられているわけでもないのに病み散らかしていて「恵まれているのに何かすんません…」という居た堪れない気持ちで過ごしていたから、このテーマは結構身につまされるものがある。
主人公の救われ方は『サラバ!』と同じといえば同じ。すげえ「善人」、別に世間知らずがゆえの善人ではない(実際に世の中にいる「善人」はただの「世間知らず」)ほんまもんの「善人」が周りにいて、そいつが立ち直りのきっかけをくれ、本人は自分で「表現」することによって救われていく。
主人公の決して美しくない人間臭い感情を描くのは相変わらず上手かった。西加奈子は半分弱読むとそこからは一気に読み切れる。筆力が高い作家だからこそ、個人的には西加奈子には「表現」という究極の救済手段を持たない人の救済を描いてほしいなと思う。「表現」を支える側、よい書き手ではなくよい読み手の救済を。

6 サキ『サキ短編集』中村能三訳
これもABCで知ったのに古書防波堤で購入。まじごめんABC。
不謹慎ではないブラックユーモア。露悪的ではない高い風刺力。筒井康隆はたまに限度を越えてしまうので嫌だったのだけど、サキはそういうことがない。その限度の感覚が合う気がする。もっと読みたいが何て検索しづらい名前よ。

7 不吉霊二『ぜ~んぶ!不吉霊二』『HELLO! MY FRIEND 2』
下北のイベントで本人から購入。これで不吉霊ニ作品は一通り揃ったのではないか?
1作目の漫画であり、たしかにその後の作品と比べると荒削りなのだけど、この時点からすでに不吉霊二。硬派でめっかわ。これからも追っていきたい作家である。

8 レイモンド・カーヴァ―『大聖堂』村上春樹訳
レイモンド・カーヴァーは明らかに私好きなのに何で今まで読んでこなかったんだろう。荻窪・Titleで購入。
面白い。よくできた作品だ。労働者階級の失敗者ばかりが出てくるのだけど最後は若干じわっと温かい光の一条がある。無駄のない洗練された文体。一番最初に一番面白いものを読んでしまったが、他も村上春樹訳で読もうと思った。

9 スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳
村上春樹のこれまでの人生で巡り合ったもっとも重要な本3冊、のなかの1冊らしい。その3冊の中でも1番かもとのこと。村上春樹がそこまで言うならと思い購入。一度Amazonで古本を購入したが状態があまりよくなかったので何と新刊書店(新宿の紀伊國屋)で買い直した。
たしかに面白い。言ってしまえばご近所騒動の話でこじんまりしているのだが、とにかく文章が上手すぎる。原文で読めたらもっと分かるんだろう。一人ひとりのキャラクターがちゃんと粒立っていてそれぞれがそれぞれの行動原理で動いている。が、その行動基準も生身の人間と同じように変化し、互いに影響を与え合う。ギャツビーの口癖「オールド・スポート」はそのまま「オールド・スポート」と訳されていて笑った。

10 ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』細井直子訳
西荻窪・今野書店で見かけ気になっていたものを新宿・紀伊國屋で購入。本当は見つけたときに見つけた店で買いたいのだけど。
まずとても装丁が美しい本。ブックデザイナーでもあるらしい。無地の扉かと思いきや、その章の題材にあった文様が浮かび上がってくる。

そして「はじめに」と「緒言」は詩のように美しい。

すべての本と同じように、本書もまた、何ものかを生き延びさせたい、過ぎ去ったものを甦らせ、忘れられたものを呼び覚まし、言葉を失くしたものに語らせ、なおざりにされたものを追悼したいという願いによって原動力を得ている。書くことで取り戻せるものは何もないが、すべてを体験可能にすることはできる。かくしてこの本は探すことと見つけること、失うことと得ることの双方を等しく取り上げ、存在と不在の違いは、記憶があるかぎり、もしかすると周縁的なものなのかもしれないということを予感させる。

図鑑や標本箱のような本。本を読んでいるというよりは美術館や博物館に来ている感覚になる。

11 レイモンド・カーヴァ―『頼むから静かにしてくれⅠ』村上春樹訳
レイモンド・カーヴァ―をがつがつ読んでいこうということで初期の短編集を。新宿・紀伊國屋で購入。
この本にはⅡがあって2冊合わせて『頼むから静かにしてくれ』なのだが、Ⅱの方は月を跨いでしまったのでまた来月。それにしても最高のタイトルだ。しかし表題作はⅡの方に収められている。

12 レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』村上春樹訳
これも村上春樹がこれまでの人生で巡り合ったもっとも重要な本3冊、のなかの1冊。もう1冊はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』らしい。ドストエフスキー、1冊も読んだことないな…。内容は知っている作品が多いけど。(大学4年のとき取り損ねていた般教の単位を「ロシア文学Ⅰ」で回収したのだ)
たしかに面白い。そして村上春樹が訳者あとがきで指摘しているように、この作品は『グレート・ギャツビー』と物語の構造が似ている。しかし『グレート・ギャツビー』より物語が派手なので(ミステリーだからね)、『ロング・グッバイ』は純文学があまり分からない人でも楽しめると思う。が、読書に不慣れな人には厳しい長さである(文庫本で本編がP594ある)。でも面白いので一気に読めるよ。読書好きはぜひ。
村上春樹は訳者あとがきでこう書いている。

チャンドラーの登場人物たちは――ヘミングウェイ的な意味合いにおいてはということだが――戦わない。ボクサーのように正面きって戦いを挑むことはない。それは目には見えないし、立てる音も聞こえない相手だからだ。彼らはそのような宿命的な巨大な力をまず黙して受容し、そのモーメントに呑まれ、振り回されながらも、その渦中で自らをまっとうに保つ方策を希求しようと努める。そのような状況の中で、彼らに対決すべき相手があるとすれば、それは自らの中に含まれる弱さであり、そこに設定された限界である。そのような闘いはおおむねひそやかであり、用いられる武器は個人的な美学であり、規範であり、徳義である多くの場合、それが結局負け戦に終わるであろうことを知りながらも、彼らは背筋をまっすぐに伸ばし、あえて弁明することもなく、自らを誇るでもなく、ただ口を閉ざし、いくつかの煉獄を通り過ぎていく。そこでは勝ち負けはもう、それほどの重要性を持たない大事なのは自ら作った規範を可能な限り守り抜くことだいったんモラルを失ってしまえば、人生が根本的な意味を失ってしまうことを彼らは知っているからだ

そのような崩壊の危機を眼前にした、あるいはその接近を予感した人々が示す美学と徳義こそが、チャンドラー作品を彩るいくつかの鮮やかな魅力のひとつになっている、と村上春樹は書いている。これはやられたってくらい本懐を言い得ている。人生の意味において一番大切なのはがこの「個人的な美学、規範、徳義」だと、私もそう思う。

13 千葉雅也・國分功一郎『言語が消滅する前に』
対談集。新宿・紀伊國屋で購入。
私が一番興味深かった部分は第二章のハンナ・アレントの孤独ソリチュード寂しさロンリネスの違いについてから始まるくだり。ハンナ・アレントは孤独ソリチュードを「私が私自身と一緒にいられる状態」、寂しさロンリネスを「私自身と一緒にいることに耐えられないために、他の人を探しに行ってしまう状態」と定義している。そこから今の世の中はどんどん孤独がなくなっていて、孤独な経験がないからすぐに寂しくなってしまうんだと言う。孤独は周りからズレているときに起こる。勉強することが周りからズレることだとすれば、それは最終的に孤独をきちんと享受できるようになることだと。私は「地頭はいいけど学のない人は孤独に弱い」という持論を持っているのだけど、その話ともつながったのでなるほどと思った。孤独に弱い頭のいい人はビジネスには向いているのかもしれないけどやっぱり本質的なところで人として弱すぎると感じる。

今月は長めの小説を複数読めたのでよかった。100年残っている名訳の名著を立て続けに読むと他の小説にそれだけの強度はないということが分かってしまうね。

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