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眞藤さん、マーケティングって何ですか?

創業を機に、熊本の制作会社さんで「おじさんの知恵と経験」を月に1回程度お話しすることになりました。
最初の顔合わせ会のとき、最後の方でその会社の社長さんから無邪気な感じで尋ねられました。
「眞藤さん、マーケティングって、何ですか?」

なんという壮大なテーマ。
でも訊かれたからには何とかそのご質問に応えなければなりません。
社員さんのほとんどは20代。
もしかすると系統的なマーケティングの勉強をしていないかもしれないし、そのうちの数人は大学で学んだかもしれないし、あるいはクリエイティブの勉強の中で学んでいるかもしれない。

小さいけれど忙しい会社です。
20人ほどの会社と聞いていますが、セミナーに参集するのは6名程度。
彼ら彼女らの学びたいという気持ちには応えたい。
いろいろ考えた結果、まずは僕が大学時代に文学部心理学特殊講義で教わった志津野知史先生の1回目の講義を踏襲することにしました。
それはマーケティングの定義の説明。
先週行ったこのセミナーの模様をかいつまんでnoteに採録します。

あの校舎の2階の部屋で志津野先生に学びました。

さて。
マーケティングという現象があり、作業がある。
そんな話を枕としつつセミナーを始めました。
マーケティングは英語です。
だからまずは英和辞書でその言葉の意味を調べます。

まずは僕が中学生の時に使ってた旺文社の『シニア英英辞典』。
Marketing 名詞
1.市場で売買すること
2.[市での]買い物
わかりやすいですね。でもビジネスとしてのマーケティングが出てきません。子供には不要な要素だと思われたのでしょうか。
この辞書を使っていたのは1977年頃のことです。

次に高校時代に使っていた辞書。三省堂の『新クラウン英和辞典』です。
Marketing 名詞
 1.(市場における)商品の売買
 2.マーケティング
   →商品の生産から販売に至るまでの全活動
やっとビジネスとしてのマーケティングが出てきました。
主には商品の売買という意味ですが、新たに、あるいはその次の意味として、ビジネス分野としてのマーケティング。
この辞書は1980年頃に使っていました。

いま手元で使っている辞書ではどうでしょう。何冊かありますが手軽に引ける三省堂の『ウィズダム英和辞典』を見ると。
Marketing 名詞
 1.マーケティング
   (市場調査、商品企画、宣伝広告といった企業活動を指す)
 2.市場での売買、(特に食料品などの)買い物
来ましたねー。やっと社会がイメージする意味として一頭最初にビジネス領域としてのマーケティングが躍り出ました。

このように、マーケティングという言葉自体、日本で一般的になってきたのはそう古いことではありません。
では、辞書の世界を離れて、オーソリティーがまとめたマーケティングの定義を見てみましょう。

世界的にはアメリカマーケティング協会(American Marketing Association)の定義が有名で、いわゆる定番とされています。志津野先生の講義の際にも第一義的に引用されていました。
このAMAの定義はよく変更されることでも有名です。

1948年の定義
「マーケティングとは、生産者から消費者または使用者に向けて製品及びサービスの流れを方向づけるビジネス活動の遂行である。」

1985年の定義
「マーケティングとは、個人や組織の目的を満たす交換を創造するために、アイデア、製品、サービスの概念化、価格づけ、プロモーション、流通を計画し実行するプロセスである。」

2004年の定義
「マーケティングとは、顧客に対して価値を創造し、伝達し、提供し、また組織とそのステークホルダーに利益をもたらすやり方で顧客関係を管理するところの、創造的機能でありかつ一連のプロセスである。」

2007年の定義
「マーケティングとは、顧客、得意先、パートナー、そして社会一般にとって価値ある提供物を創造し、伝達し、交換する活動であり、一連の制度であり、プロセスである。」

上記の訳は『商経論議 第49号第2・3合併号』(上沼克徳氏論説)に拠りました。それぞれの詳しい説明については
https://kanagawa-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=11976&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=21 を参照してください。

で、これまでのマーケティング定義には「商品やサービス」「提供する主体(企業や組織)」「価値創造」「顧客」「流通・交換」「プロセス」という普遍のファクターがあることがわかります。
一方で、ウェブを検索すると、2004年から2007年という短い期間の間に大きく変わったことに驚くブログが多数あります。
多くは言葉の選定の改訂という視点で大きく変わったことを検証するもの。

でもこの改訂の大きなポイントは、それまでの顧客との関係づくりから社会一般という概念を容れて顧客との関係をつくるという流れへの大きな変化だと僕は捉えています。
この間に同時進行的に起きていたのが「WEB2.0」によるコミュニケーションの大変革です。

UGC(User Generated Communication)と言われるコミュニケーションの定着。マスコミュニケーション主体の言論空間ではなく、個人が発信する情報が多くの人を巻き込み世論を作る可能性があるメガコミュニケーション時代の幕開けです。

実際にこの20年間で世界の総情報量、そしてわたしたち一人ひとりが1日に受け取る情報量は数百倍・数千倍に増えています。その結果、その多くが受け流される、つまり私たちは人類史上初めて「情報を受け流すスキル」を身につける必要に迫られているわけですが、その過程で「右から左に受け流す〜」というギャグが流行ったのは象徴的な事象でした。

上記はYouTube「吉本興業チャンネル」。 このアスペクト比が懐かしいですね。

いまや企業や商品どころか、政府までレピュテーション(社会の評判)を無視できなくなりました。顧客の方だけを向いていると、ビジネスも政策も実行しにくい状況です。
AMAの定義はまさにこのような社会も視野に入れていたのではないでしょうか。

1960年ころ。もちろんWEB2.0などは予見できないにしても、極めて大雑把に今の社会全体まで見越したようなマーケティング定義をした人がいます。
セオドア・レビットさん。元ハーバードビジネススクール名誉教授。
彼のマーケティング定義は
「企業活動は『財務』と『マーケティング』が基本。そのマーケティングとは最終的に−本当は出発点なのだが−顧客を獲得し、維持する活動全てを意味する」。

全ての、というところがミソ。
マーケティングで考慮・配慮・行動すべき領域はいわゆる4P・4Cに留まらないことを示唆しています。
状況により、企業等の組織づくりや人づくり、そして経営まで含みます。
近年日本国内でも経営レベルにCMO(Chief Marketing Officer)を置き、成功する企業も増えてきました。
顧客へのビジネス効率向上としてのマーケティングだけではなく、まさにレピュテーションまで容れた企業活動をマーケティング領域に含んだ流れです。

僕はマーケティング実務者で研究者ではありません。
そんな僕でも日々の現場作業の中で、上記のような時代と社会の要請による定義の変化を肌で感じてきました。

1989年にマーケティングプランナーとして働き始めたころ、自分で意識していたマーケティング定義はこのようなもの。
「マーケティングとは、商品、企業、組織、地域が生活者にそれらを販売・利用および認知理解や満足意識を求める際に、生活者との間につくるべき全ての関係づくりである。」

そしていま意識している定義は、
「マーケティングとは、商品、企業、組織、地域が行う市場創造であり、生活者との間につくるべき全ての関係づくりである」
です。
あらゆる需要が飽和しきった社会には市場の創造が必要です。
そしてレピュテーションが大きく企業の存続を左右する時代には、顧客に限定せず、広く生活者をも視野に入れるべきです。

そんなことを若い皆さんにお話しした約1時間でした。


説明の後は質問タイム。

いくつかの質問が出たのですが、その中でこれはnoteにも書いておきたいというものがありました。

「眞藤さん、本は読んだ方がいいですか?」

質問した方はほとんど本を読まないのだそうです。
僕は小学生の頃からずっと本を読んできましたが、近頃は大学生の方に尋ねるたびに「本は読まない」という話を聞くので、もうあまり驚きません。

たまに読んでいるのを見ても「ノウハウ本」「啓発本」が多いようで、それは心の滋養が必要な時期に栄養ドリンク飲んで一時の活力を得ているだけなんだけどなーと思いながら眺めています。

彼への答えは一択です。
「読んだ方がいいです」。

本は知識を得るために読む。
そういうこともありますが、大事なことは別のところにあります。
それは「書いた人の思考回路に自分の脳みそを預ける」という行為です。
本は著者の思考の流れを文章という形で表したもの。
それを文字を通してなぞり、自分の脳みその中にその著者の世界観を再構築して意味を読み取るという行為が読書です。
自分の思考様式は横に置いておいて、著者の思考様式を借りて自分の脳を走らせるということです。
自分のOSではない、他者のOSを自分の脳裏に再現すること。
そうして得られるのは、他人の考え方(思考様式)を体験するということ。
考え方の多様性を「文字面で知る」のではなく「実際に自分の脳みそでシミュレーションする」という行為です。
それこそが、考え方の多様性を身につけるということにつながります。

社会のことをより広くより深く知るには、そういう読書が欠かせません。

しかも、ずっと前になくなったソクラテスやルソーや、荻生徂徠や中江兆民や、もちろん生きている田中泰延さんの思考様式まで自分の脳裏で体験できるのです。
こんな時空を超えたコンテンツはありません。

そういうお話しをしつつ、なんと手作りのお昼ご飯をご馳走になって、この日のセミナーは終わりました。

手作りのお昼ご飯。キッチンがあるクリエイティブスタジオ、いいですね。

大変美味しゅうございました。おご馳走様でした。


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