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{就活}まだ終活してない人の、ただ書きたいだけの雑記

就活してます。コザクラインコちゃんです。

この前初めて二次面接を受けました。思ったより深く聞かれなかったけど、それが逆に怖い。笑

まあダメならダメで、最終行けたらラッキーで。

タイトルどおり、ただ書きたいだけの雑記です。暇つぶしにお読みいただけたらと思います。

みんながnoteに「就活で大切だと思ったこと」的な内容を投稿しているのを見て、「ああ、ちょっとお腹いっぱいだわ」と読まず終いなこの頃。

たぶん、ほんの何年前かまで、自分で言うのもなんですが、「意識高い系」みたいな性格でした。
好きで意識高くなってたというより、
将来に対する不安から「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」みたいな感じで。

だけどコロナになって、留学行って帰ってきたら、
「だめだ疲れた、もう頑張れない」
ってなってました。なんで?笑

そんなこんなできっとあのままの私なら「大手行かなきゃ!」みたいな勢いで、
ありとあらゆる就活のハウツーを詰め込み、こんな時期までには内定をちゃんと持っていたんだろうなと。

でも今の私はまだ就活しているし、
何なら3月までに「受けよっかな~」と考えていた企業にはことごとく落ち、普通にまた企業を追加しようかという段階です。


最近「自分らしさ」が流行ってるじゃないですか。
流行ってるって言ったらいやな言い方だけど、自分らしさを大切にしようって思う人がそれだけ増えてるっていうか出てきたというか。

私は外に出ると自分らしさとか、よくわからなくなってしまうんですよね、
もっと正確に言えば、毎日毎日外にいて、「自分」に戻ってくる時間が無いと、外とごちゃ混ぜになって、
気づいたときには
「あれ?私って何がしたいんだっけ?そもそも私ってどこ?」
みたいな状態になるわけです。

コロナなんて無かったので、外とごちゃ混ぜになって全く「自分」が無いまま気づけば20年くらいは経っていたということになります。

だからコロナ以前に自分の意思で何かをした記憶がほとんど無いんですよね、肉体的には生きてたけど、そもそも精神生きてたか?っていう。

今思えば空っぽだったなあ、と。
空っぽな人間でしたね、ほんと。
自分が空っぽだから、どうしたらいいかわからなくて、ずっと「正解」を探してた。

正解なんて無い
という言い方と
正解なんて人の数ほどある
という言い方

2つあるのが面白いなあと思います。

私たちは、少なくとも日本の教育を受けてきたのであれば、
「正解」はいつもそこにあったような気がします。

正解というか、
道に迷ったときに進む方向はもう、ある程度見えていることが多かったのではと思います。

就活してる人ならなおさら、
大学まで来たってことは「大学行っていい会社に入る」みたいな。
正解なの?って聞かれたらわからないけど、
みんな大体そうしているからそうじゃない?みたいなね。

ま、多数派の選択が「正解」「正しい」みたいに見えてしまうのは仕方ないことかなと思いますが。

だから色んな選択肢が取れるんだとなった時、
「どうしたらいいんだろう」
「どうするべきなんだろう」
「どうするのが正解なんだろう」
って疑問が湧いてくる。

でも
「こうしたらいい」も、
「こうすべき」も
「こうするのが正解」も、無いんだよね、
そうなんだよね、って今なら思えます。

こうしたら正解って無い。
私は人の数ほど正解があるというより正解は無い、という言葉の方が好き。

そっちに行けば正解って、どうしてわかるの?
誰がわかるの?
誰が教えてくれるの?
それはほんとうなの?

って想像してみたとき、
わかんないな、っていうのが正直なところかと。

その道に進めば後悔しない、なんて誰にもわからない。

苦労はしないかもしれない。
でも成長しなくてどことない焦りを感じるかもしれない。
成長はするかもしれない。
でも自分の時間が少なくなってしまうのかもしれない。

どの道に進んでも
何かしらの後悔はするのだと思います。

後悔した時
不満が大きくなった時、
道を変えようかどうしようか

またそうやって悩んで、道を選択して、進んでいく。

そうやってなんとか、なんとか人生を生きていくのかなと思ったり。

どうするのが正解? は無い。

そこにあるのは

どうしたい?

だけなのだと思います。

ともすれば無意識的に「どうしたらいいんだろう?」と考えがちな私たちですが

意識して
「私は、どうしたい?」
という質問に置き換えてみたい。

もう、”正解探し”は卒業する。

就活が早く終わらないので開き直ったコザクラインコちゃんなのでした。