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「ギ酸が流れ出す!!」と彼は言った(今際の国のアリス感想)

そんなセリフは本編には無い。
しかし、
感想をつづっていくと
そこに終着した。

Netflixスタート、漫画フィニッシュ

当時、Netflixで1stシーズンを見ていた。
最近、2ndシーズンを見た。
おもしろかった。

上から目線でものを言えば、
決して5点満点中の5とは言わない。

ただ、
これを受けて学ぶべきテーマがあるのでは、
この作品の背景はどうなっているのだろう、
と好奇心が湧いた。

眼球の根が乾かないうちに、
続けざまに漫画も読むことにした。

漫画も面白い

1日3冊、
くらい。

3日で3冊。

いつの間にか18冊。

読み終わった。
お、おもしろ。

決して作品としては、
「5点満点中5点だぜ!!」
というものではない。
(どこまでも上からのお目め)

しかしながら
裏を返すと、

読者の想像の余白や
読んだひと各人の価値観に
判断を委ねている点が多いともいえる。

絶対的な正義や
普遍的な価値を提示しない
という意味で。

よって、
「自分の価値観とは」
「自らならどう考えるか」
「あの質問にどう答えるのか」
「どんな選択をするのか」
考えさせられるということ。

つまり、
自らを考え直す機会になる、
という視点でいえば
5点満点中
15点だ。

Netflixシーズン2を見終わったあとの感想(積極的にネタバレするつもりはないが、感想を書く都合上このへんからネタバレぽいの出現)

こういうエンドか。

でも、
💗のクイーン戦以降の展開で感じたのは、
結局意味付けは自分でするしかない
ということ。

とても分かる気がする。

真実はどれだっていい。
未来人の余興なのか、
宇宙人のアレなのかなど。

結局は自分がどれを選び
どんな行動をするか。
(文にすればするほど、陳腐み増しますな)

おそらくどれでも正解で、
実際のところホントはどれが真実だったのか
というのは分かりようがない。

この作品この作者が選んだラストが
これだったとして、
その後に実は違う夢オチだったどんでん返し、
それが真実、
なんてことも在りうる。

考えてもしょうがない。
(ポジティブかつ、混沌ではない意味で)

話が逸れると、
ブラックミラーバンダースナッチのように
分岐ストーリーの
マルチエンドにするのもいいなと思った。

マンガを読んで感じたこと

まず、漫画と比較してのドラマについて。

キャラ集約や端折られはあるものの、
それでもうまくエッセンス詰め込んでいて
よくつくられていると思う。

当然の当然のことをいえば、
描ける量がドラマより漫画のほうが長い分、
漫画のほうが
一人一人のキャラが魅力的に見える。

そして、
死んだキャラクターであっても
回想シーン?で活躍
なんてのは素敵。

そしてそれは、
集合的無意識という
テーマ設定の補強でもあるのかな、
今書いてて気づく。

漫画のいちシーン(扉絵?)にて、
🖊ミラン・クンデラ
📗存在の耐えられない軽さ
が登場。

積読してたが、
そろそろ読めというきっかけか。

好きなセリフ

“私は自分が見たものしか信じない”
とても共感する。

最後の加速、ミステリー化、テーマ回帰

最後の最後でミステリーが加速し毛色変わる。
“意識は脳とは別個に存在する可能性がある”

ドラマ、漫画を共通した芯のテーマ。
意識とは個々人それぞれにあるものか、
集合的なものなのか。

確かに脳に収まっているのではないのでは、
というのは時々思う。

意識とは何か、自我とは何か。
自分自身として思うのは、
意識や自我とは
海岸に落ちている
一粒の砂のようなものではないか
ということ。

あっさり拾えてしまうし、
簡単に抜け落ちてしまう。

臓器移植で記憶が移っちゃう
なんてのも砂ならありそう。
さておく。

漫画 最終話での、
何のために生きているのか、
という質問も興味深い。

ここまで読んだうえで
この質問を投げかけられると
逡巡&煩悶してしまう。

決して嫌なのではない。

質問に対して向かい合おうとする気持ちになる、
本気のレスポンスをしたくなるということだ。

なぜ生きてるのか。

まず思うのは、
この質問自体が、
・何らかの答えを考えさせる
・答えを放棄させる
・質問を拒否させる
おおよそ
どれかの回答を迫るようなものともいえる。

つまり質問をすることで、
いくつかの枝から
答えを選ばせるように仕向けるような。

もし今その質問を自身がされたら、
どう答えるだろう。

真っ当には答えずに
なぜ人は生きる意味を探すのか、
という根本を考えて
思考がゆらゆらしそう。

一般論としては、
生きる意味が合った方が生きやすいから、
ということは言えるだろう。

でも実際、
生きる意味を持ったから
人間は生誕したのか?
違いそう。

さておく。

この漫画のどこかで、
この考え・問いは真理だなーと思った。
具体的には忘れた。

そして、
人生の全然違うシーンでも、
この考え・問いは真理だなー、
共通してるなー
と思ったことがあった。

漫画で感じたそれも、
人生で感じたそれも、
表現はちがえど
本質は同じ疑問だ。

真理って
10個くらいしかなくて
それを個々人の別々の言葉で表現しているだけ。

真理って10色で、
でもそれを色の名前で表現してはならなくて、
物や事象で表現しなければ縛りで
手前どもは生きているのかもしれない。

この真理は赤だが、
赤とは言ってはならないので、
ある人は薔薇のようなもの、
ある人は血のようなもの、
完熟したトマトのようなもの、
イチゴ、チューリップ、陽にかざした手、炎、ハツの内部、
などなど。

最後にディスぽい締めをすると、
漫画からドラマ移行したときに発生する
やむを得ない事象について。

漫画でのセリフの温度感と、
演技者がドラマでやってもいい温度感って
どうしても違う。

漫画でも普通に感じたセリフも
ドラマだと、
そんなセリフ日常で使わなくない?
と思ってしまう違和感の言葉。

例えば、
「虫唾が走る!!」
というセリフがまさにそれで、
現実で言わないよな~
と感じてしまった。

ただこればっかりは、
原作をリスペクトしたからこそ、
できるだけセリフやキャラクターを
そのまま用いよう
という気持ちの表れでもあり、
致し方ない。

逆触れの例示をすると、
魔改造されセリフ改変祭りがイイかと言うと、
嫌だ。

リスペクトを感じる分
今回の仕上がりがいいと思うので
文句はない。

ということで、
どう言い換えれば
人が演じるドラマのセリフとして
自然な会話になるかを考察してみる。

虫酸とは、
虫の酸なわけで、
それが走る、
とは。

ギ酸が流れるということか。

「ギ酸が流れ出す!!」
と彼に言わせよう。

ということで

伏線の振返りも楽しそうで、
漫画読み返すのもアリに思える。

ルイスキャロルの
不思議の国のアリス
も買ってしまった。

問いを生む、
良い作品でした。

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