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Onlineで日本語を教える|なぜ始めたか #1

 こんにちは、こゆきです。オンラインで日本語を教えています。

 今日は、私がほぼ本業としているオンライン日本語講師の仕事について書きたいと思います。そもそものきっかけ、今の状況や問題点、これからのこと、またレッスンの内容や工夫について、何回かに分けて、いろいろ思いつくままに書きたいので、時系列に整理してお話できるかどうかわかりませんが、同業の方やご興味のある方、通りすがりの方に読んでいただけると嬉しいです。


 もともと、言葉については並々ならぬ(?)興味を持っていた私ですが、教える仕事にはほとんど興味がありませんでした。そんなたいそうなこと、私にはとてもできません、みたいに思っていたフシがあります。例えば学生時代、家庭教師はもっとも時給の高い、いわゆる割りのいい仕事だったので、友人たちもやっていました。でも、私には無理だと思っていました。時給なんか安くていい、教えるなんて無理、と思っていました。そもそも恐れを感じていました。だって、教えるって、難しいでしょう?

 会社員として約18年ほど働いていた間、否応がなく指導する立場になったことがあります。やってみたら、実際のところ、教えることを苦手だとは感じませんでした。ただただ、責任が重い、と感じました。つまり、私は教えることの責任を、ちょっと過剰に認識していた可能性があります。もちろん、そこに責任もあるし、怖さもありますけど、それは誰に何を教えるかにもよるわけです。そんな単純なことに気づくのに、大人になるまでかかった、そんなビビりの私がオンラインで日本語を教えようと思ったのにはいくつか理由があるので、最初にそれを書きたいと思います。

1: オンラインレッスンに出会う

 あの、パンデミックでなんだか世界が八方塞がりになったような、そんな頃のことでした。私は相変わらず、語学を趣味として楽しんでいました。家で自分のペースで楽しむのに、これほど適した趣味はないと思うのだけど、興味のない方にはなんのこっちゃであることも、よくわかっているつもりです。その頃、私はスペイン語の勉強を始めたところでした。パンデミック前に出かけたスペインで、自分用のお土産に、レシピ本をいくつか買ってきていたのですが、内容をちゃんと読んでみたくなったからです。最初は、写真を眺めて、美味しそう、とか、あのレストランで食べたのに似てる、とか、そんな感じで楽しんでいたのだけど、やっぱり作り方にも興味がわいてきました。書いてある単語を検索したり翻訳カメラをかざしたりしているうちに、だんだんと中身を読みたい、と思うようになったわけです。
 かの有名なDuolingoで勉強を始めました。すぐに基礎部分を覚えたつもりになった私は、さらに欲を出しました。英語で、読めるのに話せない、で、さんざん苦労した経験があります。それを無駄にするまい、と早くからネイティブとの会話も練習すべきだと考えました。そこで、すぐにオンラインでレッスンを受けられるサービスを調べました。いまでこそ、当たり前に感じますけど、なんというか、出かけていくより安くてしかもマンツーマンでレッスンが受けられる、なんて完全に私の希望通りで、やらないわけにはいきませんでした。
 それから私は週に1〜2回、スペイン語のオンラインレッスンを受けることにしました。


最初は美味しそう、と楽しんでいただけのスペイン語のレシピ本

2: 先生楽しそう

 レッスンで出会ったスペイン語ネイティブの先生たちは、みんな楽しそうでした。いや、もちろん大変なことはあるはずで、それも私なりに想像はしていました。予想外の質問をされるだろうし、ちょっと強引な要求をする人もいるかもしれない。マナーがいまいち、な人もいるだろう。でも、オンラインだから、直接面と向かってネガティブな空気を感じ取ることは少ないはずです。私は会社員時代に接客業に従事していたこともあり、ほんっとうに、面と向かって罵倒される経験を何度もしていて、それがない仕事というだけで、なんか安全な気がしたわけです。ここはちょっと、私の敷居が低いのかもしれません。
 続けて受講して仲良くなった先生に、直接聞いてみました。
 楽しいですか?って。
 先生は、もちろん!と笑って答えたあと、こう言いました。

自分の話せる言葉を話したいという人に教えるのは、とても楽しいことだよ。もちろん、自分が無意識にやっていることを、理論的に理解しなければいけないし、教えるというのは一種のテクニックだ。だから、学ぶ必要はあるけど、それが楽しいなら何も問題はないよ。

 あぁ、はぁん、と私は英語っぽい相槌を打ちながら聞きました。スペイン語を話す人はあまりそんな音は出さないのだけど、それすらあんまり知らなかったからしかたありません。私は、言葉について学ぶことなら、いつだって好きだし、それが日本語であっても同じで、飽きることはないだろうという謎の自信がありました。だから、なんだ、それだけでいいの?とすら思ってしまったのです。
 それに、もう一つ、私にとって朗報がありました。

 それは先生が、実は人見知りだ、ということです。

 そう、これはわかる人にはわかるはず、なのですが、人見知りはざっくり大胆にふたつに分けることができます。はい、見るからに人見知りかそうでないか、です。先生は「そうでないほう」の人見知りでした。そしてこれも、わかる人にはわかるのですが、そうでないほうの人見知りは、人見知りが見ればわかるのです、あ、この人、そうだなって。私は先生がそうであることを見抜いていました。そして、本来言われたくないだろうことも知っていますが、あえて聞いてみたわけです。
 先生、本当は人見知りですよね、って。
 笑いながら返ってきた答えは、やっぱり、でした。なんでわかるの、と言いながらも、教えてくれました。

本当は僕は人見知りなんだけど、適度な距離で会話ができるならそれはとても楽しい。

 めちゃめちゃわかる。

 私は、プライバシーにぐいぐい入ってこられるのも、なんだかよくわからないけど説教垂らし始められるのも、嫌です。(みんな嫌だと思うけど)
でも、会話って自分の気づかなかったことを発見したり、思ってもみなかったことが急に動き出したりする、そんなきっかけになることがあって、それが楽しいと思うわけです。それに、外国語で、その言葉を使わなければ話せなかったかもしれない人と話せて、さらに、たとえほんの一瞬、表面的でうっすらしたものであったとしても、なにかをお互いに理解できることがある、なんて、人生の中で宝物みたいな瞬間じゃないですか。ちがいますか、どうでしょう。そんなわけで、私は、人見知りですが会話は好きです。矛盾しているように思われるかもしれませんが、大変合理的にこれはあり得ます。 
 さらに先生は、うまくいかない時も、不適切な態度をとる人も、必要なら自分から切り離すことができる、とも言いました。
 うん、これも大事なこと。誰かの役に立ちたければ、自分も守らなければいけないのです。無駄なストレスと精神的負担は、できるだけ避けるべき。私が、先生のような働き方が私の理想かもしれない、と言ったら、それなら試してみるべきだと思う、と答えてくれました。さっき言ったでしょう、いやならやめたらいい、それだけだよ、と。
 うん、それだけ、だよね。なんだか、重く考えていた自分がバカみたいだと思いました。やってみてダメなら消えればいいだけだ。

3: でも何から始めたらよいの

 何から始めるか、実は決まりはないはずです。私の場合は、個人でサイトを開設して、などということは考えていなかったので、語学学習プラットフォームに登録することにしました。消える時に、一番手続きが簡単そうでしょう。サイトによっては、経験がなくても登録できるところもあるので、そもそも消える前に「現れる」のも簡単そうです。まずは、登録済みの先生や講師の方のプロフィールを見ていたら、どうやら「日本語教育能力検定試験」というのがあるらしい、ということがわかりました。(というくらい、私には日本語教育に対する知識がほぼありませんでした)他には、420時間もの長時間にわたる講習を受ける、大学で勉強する、などさまざまな方法で日本語を教える職につく方がいらっしゃることを知りました。早く始めたかったので、講習を受けている時間はありません。端的に言えば、お金もなかなかなので、ちょっと踏み出せませんでした。だって、ダメなら消えるつもりなので。
 最も最短距離に思えたのが、試験に合格すること、でした。年に1回しかないとはいえ、その段階では講習を受けるより早く、なんらかのゴールに辿り着けるスケジュールでした。よし、これしかない。私は、まず試験に合格し、それからプラットフォームに登録しようと、考えました。それまでは、いろいろなサイトを見て、どのプラットフォームが良いか、どんなプロフィールが訴求力があるのか、調査の期間にあてよう、そう思ったのでした。

 さて、右も左もわからない私、このあとちゃんと進んでいけるのか、こうやって客観的に見ても不安しかありませんが、これは今から約2年前の話です。その後の2年、「ど」がつく素人の私は、まだ消えていないようです。
試験に関することは、話が長くなりそうなので別にしますが、この後は、登録から初レッスンまでのことを書こうかなと思っています。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。
 もし、これから始めようと思っている方がいらっしゃれば、その応援になると嬉しいですし、経験を積んでいらっしゃる諸先輩方におかれましては、どうか温かい目で素人を見守ってくださると幸いです。

 それでは、また🫡


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