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悪意のない善意ほど怖いものはない

 はい、もう言いたいことはタイトルで言い切ってしまった感じ。
しかし、これは多かれ少なかれ、人生の中で人間関係に揉まれる中で、実感としてみんなが持っている感覚ではないかと思う。

 なんで急にこんなことを言い出したかというと、長年の友人との関係が急激に変化してしまった理由のひとつだからだ。残念なことに、ちょっと付き合いづらくなってきてしまい、申し訳ないけど一方的に連絡をフェードアウト的な感じに(きっと相手も気づいているだろうけど)止めてしまったのである。

 ざっと20年以上の付き合いのある人である。出会った時の状況を話すと、現在の年齢まで暴露することになるので、そこは差し控えておく。ただ端的に言えば、同性でちょっと感性の似たところがあって、たまに思い出したように連絡をとるだけで、お互いを完全に切り離すことはない関係、といったところであった。もともと性格が似ている、というわけではなかった。感性とは別のものだし、なんというか、むしろ正反対みたいなところはあった。 

 私はどちらかというとドライなタイプだ。理屈が通らないことはいやだし、根性とか精神論とかいうのは相容れない。人からは俯瞰でものを見ているとよく言われる。その自覚もある。あえてそうしている、という認識でもある。いつもちょっと冷めた眼で見ている人、と思われているみたい。
だけど。
誰にでも、何にでも、「反対側」というのが存在する。私もそうだ。説明がややこしいけど、私にもウェットで情にもろい部分がある。おせっかいだし、どうでもいい小さなサプライズを仕掛けるのが好きだ。個人的なことを付け加えておくと、私は自分自身に仕掛けられるサプライズはあまり好きではない。特に大人数を巻き込んだものは困る。自分の反応で、サプライズを仕掛けた人がガッカリしてはいけないと、余計なことを計算したり考えたりするから、どういう顔でいればいいのかわからなくなる。かといって、おおげさに飛び上がって喜んでみたり、omgなどと叫んでいきなり嬉し涙を流したりもできない。フラッシュモブでプロポーズされたりしたら、全力で逃げ出す自信がある。だから、人に仕掛ける時も、小さなさりげないサプライズを心がけている。理屈で説明できないけど、直感で動くことはよくある。でもやっぱり根性とか精神論はキライだ。
 一方で、その人は、なんというか情の塊みたいな人だった。自分ではドライだと言っていたけど、私からは全然そんなふうに見えなかった。ドライというよりも、ただなんというか見限った人に対して冷たい、というところはあった。人のいいところを見つけるひとだから、私なら素通りしてしまうようなちょっとしたところを、すごいすごいと褒めてくれたりすることもあったし、ずいぶん以前にちょっとお世話になった人のことを、ずっと覚えていて、感謝している、と何度も口に出して言ったりもする人だった。そして、理屈だけでは全然動かない人だった。まず自分でぶつかってみないと、それが難しいことだと実感できないと言っていた。私は理にかなっているかどうかを大切にしていたけど、その人はその意味で全然違うタイプだった。

 ずっと、時々連絡をとる関係、だったのがある時、その人の仕事を手伝って欲しいと言われた。友人関係に仕事を持ち込んで良い結果になるわけがないと思った私は、何度も断った。が、結局、何度目かの依頼で引き受けることになった。そう、その人は私なんかよりずっと忍耐強い人なのである。
 その人は、私の仕事ぶりなどは知らないはずだったけど、若いうちに管理職を経験したりしたことを知っていたから、私のビジネス感覚について、何か勘違いしていた可能性はある。
 しかしながら、私はビジネスそのものには興味がない。会社員としてそれなりにそつなく働いていたけど、あくまで雇われた身で波風立てずに、居心地よくいられることを優先していたから、何かを成し遂げたいだとか、自分で何事か立ち上げてみたい、とかいった願望は持っていなかった。その人が、こんな感覚の私に何を手伝ってもらいたいと思っているのか、甚だ疑問だったけど、自由にいつでも意見を言って欲しい、軌道修正してほしい、というのでそういう立ち回りなのだと思って引き受けたのである。

 数年の間、友人に雇われる関係を続けたけど、今年、ついにそれを解消することになった。意見が欲しい、手伝ってほしい、で始まったと思っていたけど、どうやらそうではないことに気づいてしまったのである。結論としてその人は、私のことを、能力があるのにそれを発揮できないでいる可哀想な人、と思っていたらしいことが、もろもろの会話から見えてきてしまったのだ。また、私とは正反対の泥臭い根性論を大切にするその人は、まずとりあえず、もがき、あがき、叩いているうちに鉄は磨かれるかもしれない、という考え方だったのだけど、私にはそれがもどかしくて見ていられなかった。なぜなら、その多くが、世の中ではすでに答えが出ていることだったからだ。専門家の知識があればよいだけのところで、何もわからない素人が長時間もがいてどうする、というのが私の意見だった。それこそ、お金があるなら専門家をひとり雇えばいいだけのことだった。もちろん、きちんと根拠をあげて仕事らしい言葉遣いでその意見は伝えたけど、その人は、もがくことで人は伸びる、と主張して頑として聞き入れなかった。まぁとりあえず、私の意見はわりといつも、すげなくされていた。期待に沿わなかったのかもしれないけど。
 その人の私に対する、なんというか誤解は他にもあった。
 私がドライに一歩下がって俯瞰していることも、その人は、失敗を恐れる私に成功体験がなく、自信がないための行動パターンであり、人生の中で修正すべき悪い癖であると思っていたようだった。これは、ビジネスで成功したいなら、冷めた眼で見ていないで泥臭く精一杯もがくべきだ、と直接言われたからわかったことだ。ビジネスで成功したい、などと一度も言ったことはないし、思ったこともない。なぜ、こんな勘違いが起きているのだろう。ふたりで話し合うことになった。そしてやっと、その人のその人なりの「善意」が明らかになった。

 その人は、自分の事業に関わることで、私が生涯やりがいのある仕事を見つけるのではないか、と思ってくれていたらしい。それだけなら大変ありがたい話に聞こえるんだけどね、「生涯やりがいのある仕事を、あなたは今やっていないのでしょう、可哀想に」となぜ言えるのだろう。私が仕事の愚痴みたいなものを、その人に聞かせたことはないし、ビジネスで成功する夢、を語ったこともない。仕事を与えてあげないと可哀想、に見えていたことに私は少なからずショックを受けた。それに、私は自分に自信がないから俯瞰しているのではない。泥臭くもがくのは、たしかにまっぴらごめんだけど、それしか方法がないなら私も反対はしない。もう答えが世の中にあるのに、自分が知らないだけでやり方を模索してもがくのは、無駄だと言っているだけなのだ。それに私は自分の仕事で俯瞰する癖を最大限に活かしている。どこで何が問題になっているのか、冷静に見つけることができていると思うし、それを解決するための最短で最善の方法を提案するためにも、俯瞰の眺めは必要なのだ。それのどこが、自信がないための逃げ、なのだろう。その人は、私が泥臭くもがくことの重要性を知ることで、俯瞰を手放すべきだと思っていたという。

 2人でのミーティングの最後に、こう言われた。生涯のやりがいを見つけて欲しかった、悪い癖を手放して欲しかった、自分に自信を持って欲しかった、だからこのチャンスを与えたのに、それを活かさなかった、つまりあなたはその程度の人なのだ、って。

 ごめん。まったく理解できないわ。 

 なんで、全部、自分が与える側なのか
 なんで、私の天賦の才能が悪い癖なのか
 なんで手放すとかなんとか、人から決められなきゃいけないのか

 それに、私は、自分のすべてじゃないけど、自信持ってるよ

 すべては、その人の私に対する「善意」であって、本気でその人は私のためになると思っているから、私の反論というか、意見は全然聞き入れられなかった。根本には、可哀想だから私が導いてあげるのだ、があって、それに基づいて行動する信念は、私には持ち得ない忍耐強さがあったから、私には逃げきれなかったのだ。本気で、本当に、その人には悪意はなかった。本当に、それが全部、可哀想な私を救うために必要だと思っていた。だからこそ真剣だったわけで、でもそこでどうなって、その誤った認識に基づく善意が発動されたのか、いまだにわからない。
 ただ、悪意がないから、本当に、一生懸命なのだ。そして、自分の正しさを信じて疑わないから、私からの意見や反論は無視すべきものになる。こんな不均衡が、仕事を手伝って、手伝うよ、なんていう関係に昇華できるはずもない。
 だから、私をその程度だと思うなら、もう切ってくれ、と言った。
 わかってもらえなくて残念だ、とその人は言った。
 まだ、わかっていないんだ、とこっちも思った。

 無邪気、という言葉にも怖さがあるけど、大人の善意も怖い。結構本気で、人の人生を振り回しに来る。善意だから、断る方に罪悪感が残る。
でも私は、申し訳ないのだけど、自分が自分らしくいられる方を選んだ。私の能力を悪い癖だと言われるなら、それはそれでいい。でも、かりに悪い癖だとしても、手放すかどうかは本人が決めることだ。私は悪い癖も全部、自分だと思っているから、それで人を傷つけるのでなければ、私のままでいたい。
 思った通り、友人関係に仕事を持ち込むのは、私の場合悪手だった。一緒にいようとすることで、お互いに無理を重ねることになる。
 だから、私がその人から離れることは、私なりの善意だ。
 きっと、その人はそれを、まったく理解できないわ、と思っている、だろうな。
 悪意も善意も、正反対の他人から理解なんかされないのだ。
 


 
 


 



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