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お寺のソーシャルアートデザイン

ソーシャルデザインとか、ソーシャルイノベーションとか、ソーシャルアントレプレナーとか、専門領域からすると違うんだろうけど、素人からするとよく違いが分からない。

ちょっと最近はソーシャルデザインについて考えてる。なんで、デザインなのか。

greenzでは、こう定義されている。

ソーシャルデザインとは「社会的な課題の解決と同時に新たな価値を創出する画期的なしくみをつくること」

うん、分かるような、分からないような。

デザインについてもう少し探求したく、面白い記事をみつけた。NewsPicksがオリジナルで提供する『日本人だけが誤解する「デザイン」の正体』のなかで、東大の山中先生という方が語っておられること。

デザインの本質は、「形」ではなく「設計」です。つまり、単なるスタイリングではなく、その背景にある機能や技術を理解した上で、見た目を調整することが、本当の意味でのデザインなのです。

なるほど、設計なのか。それならば、greenzの「画期的なしくみ」がよく分かる。

山中さんの記事では、アートとデザインの違いに話題がうつる。興味深い。

まずアートは、簡単に説明すると自己表現です。だから、そこにおける美しさは、作品の見た目ではなく、そこから得られる感覚のことを指しています。
怖かったり、嫌な思いをしたり、悲しかったり。そうした感情が作品から滲み出ていて、それを受け手が感じられた時に、美しいと思うのです。
(中略)
同じ絵画を見たとしても、画家の感情やギミックに気がついて、それを美しいと思える人もいれば、全く何も感じない人もいるのです。

なるほど、アートはあくまでも自己表現。だからこそ、その表現を通して、観る者の完成が揺さぶられ、そのときに感動という心の動きが生じる。一方で、普遍性はない。好きな人がいれば、嫌いな人もいる。草間彌生氏の展示を見に行ったときに、僕は強烈に生きづらさや苦悩を感じたけど、一緒にいった友人は「めっちゃ水玉だったね」ぐらいのものだった。

一方でデザインは、デザイナーの作品ではなく、問題解決の手段でしかありません。
(中略)
そのため、デザインにおける美しさは、機能と外観が、直感的に結びつくものだと言えます。だから、iPhoneやダイソンのドライヤーなど、世の中の大半の人が、同じものを美しいと思うのでしょう。
逆に言えば、プロダクトやサービスの機能を損なうようなものは、美しいデザインとは呼べません。

なるほど、デザインは課題解決のためのツールだと。商品を美しく見せるための手段であり、その商品を大半の人が美しいと思わなければならない。さらに、その商品の機能が最大限に発揮されないと美しいデザインとはいえない、と。すげー、美しいデザインって厳しい。

僕はお坊さん。お寺のソーシャルデザインを考えている。お寺のサービスや機能、資源を最大限に発揮して、地域や社会の課題解決にコミットでき、しかもそれが大半の人に受け入れてもらえるのが、美しいお寺のソーシャルデザインか。

そう思うと、おてらおやつクラブは改めてすごいなー、美しいなー!グッドデザイン大賞だもんなー。

僕になにができるかな…それよりも、なにがしたいか!だな。したいことを、どこかのフェーズで、美しいデザインにこしらえるのは重要な気がするけど、最初から美しいデザインにすることを狙うと、なんだか味気ない気もするな。

そうか、僕がやりたいのは、お寺のソーシャルアートデザイン!なのかもしれない。

なにごとも欲張りすぎるのはよくない。うん、欲張りすぎだな。

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