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「水音」を聴く共同生活――『あなたに安全な人』(木村紅美)考察(1)

今回は、木村紅美さん著『あなたに安全な人』(河出書房新社)についてご紹介します。
本作はコロナ禍の真っ只中だった2021年10月に刊行され、翌秋に、ロバート・キャンベル氏選考の第32回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞しています。

静かな不穏さを感じさせる、この不思議なタイトルと書影のイラストに惹かれて購入しましたが、内容もその通りでした。読んでいる間は終始、果てしない閉塞感と湿度に息がつまりそうになります。ラストの後味も決していいものとは言えません。しかし、二度、三度と読み返していくうち、作品から幽かに感じられた光、救いと呼べるようなものを掴めた気がします。

こちらの記事では『あなたに安全な人』の、あらすじ・考察・感想をまとめています。作品の結末にも触れますので、読了後の閲覧をおすすめいたします。
また、こちらで取り上げる考察や感想は、一読者の見方であり作品の読み方を限定する意図はございません。作品を味わう上での一欠片にでもなれば幸いです。

あらすじ

東北の町に暮らす46歳の妙と34歳の忍は、コロナ禍の春に出会います。排水溝の清掃、不審者からの警備、塀の落書き落としと、妙は便利屋の忍を頼るようになり、やがて住み込みでの警備という名目で共同生活を始めます。

妙は、過去に教え子を自殺に追い込んだかもしれないというトラウマ、東京からの移住者・本間さんの不審死に対する罪悪感を抱え、生徒の父親による脅迫と本間さんの亡霊に怯えていました。忍もまた、警備の仕事で誤って女性を突き飛ばし、殺してしまったかもしれないというトラウマを持っています。

二人は秘密を明かすことなく、わずかな会話と置き手紙、鈴の音でやりとりし、最低限の接触による共同生活を確立していきます。

妙は忍に対して教え子や本間さんの影を重ねはじめますが、一方の忍は体調不良を機に粗食となり、ついに「ごはんは、明日かあさってまで、いりません。」とメモを残します。忍を気にかける妙は、思い立って本間さんに花を供えに行った帰り、忍への食事を「明日もあさっても、鈴が鳴る限り用意してやろう」と心に誓うのでした。

考察

本作は、妙と忍の二人の視点が交互に切り替わる形で、物語が進行します。
「人を殺してしまったかもしれない」という似たトラウマを抱えた二人が、共同生活を通じて心を通わせていくのかと思うと、物語はまったく予想外の結末で幕を閉じました。ラストの描写で、二人は正反対の方向へ進んでいくのです。

忍は、はじめこそ妙の家の食事に物足りなさを感じていたものの、腹を壊したのをきっかけに油を受け付けなくなり、やがて絶食をはじめます。その後の様子については詳細に描かれていませんが、ラストでは、妙の呼びかけにも「息も絶え絶えっぽく鈴を鳴らし」、「外は零下なのにヒーターの作動音はしない」と、明らかに不穏さを漂わせています。

一方の妙は、忍ほど大きな変化は見られないものの、共同生活を始めてから買い出しのため車で遠出するようになり、電車でしか行けなかった海までも車を走らせるようになります。ラストでは思い立って本間さんへ花を供えに行くなど、はじめより行動的になった印象です。

妙と忍の関係はタイトル通り、互いが互いにとって「安全な人」であるという均衡のもと、絶妙なバランス感で成り立っていました。しかし、ラストの展開で、その構図が一挙に崩れ去ったような印象を受けます。

このラストの展開は何を意味するのか、二人はそれぞれの救いを得ることができたのか、物語内の要素を拾いながら考察してみました。

まずは象徴としての「水」から、二人の関係性について紐解いていきます。

「水音」を聴く共同生活

本作において印象的なモチーフはいくつかありますが、最も象徴的なのは「水」だと言えます。二人の関係性は「排水溝」の逆流に始まり、共同生活では終始、互いの「水音」に耳を澄ませています。ここでは、作中の「水」が象徴するものについて、大きく3つに分けて見ていきます。

恐怖の象徴としての「水」
本作の「水」が象徴するものとして、最もわかりやすいのは恐怖です。
妙のトラウマとなっている元生徒・陸の死因は、海での溺死でした。さらに舞台である東北の町には、今もなお、津波の影が色濃く漂っています。

他にも「水」の描写が見られます。例えば、もともと神経質で被害妄想の強い妙は、雨音の中に「不審者の足音」「だれかのすすり泣き」を聴いて恐怖します。

(前略)うつらうつらするうち雨音が大きくなり、音に紛れ、青空クリーニングのほうからだれかの足音が近づく。足音は坂道をのぼり、門のまえで止んでインターホンが鳴った。(後略)

39頁

(前略)門のまえで佇むだれかのすすり泣きを耳が捉えた。鋪道を伝い近くの側溝へ流れこむ水の音を聴きまちがえただけかもしれない。

40頁

この時、自分の空耳を疑い警察を呼ぶこともできない妙は、便利屋の忍に見回りに来てほしいと依頼しますが、忍が妙の家に向かうあいだに雨足は弱まっており、さらに忍が家から出ていった後には、再び雨音が大きくなる描写があります。

「水」を恐怖の象徴として捉えているのは、妙だけではありません。忍視点の描写においても、恐怖は「水」に例えられます。

 九時をすぎると外は雨が降り始め、忍はこんどは眠れなくなった。雨音がうねって大きくなってくると、それは、川が増水し土手を乗り越え町に向ってあふれだす音に思え、この家は船になって、自分と女のふたりがそっぽを向きあったまま果てのようなところへ流されてゆく空想に浸される。

124頁

 外で起きていることをろくに知らないでいると気分は安らぐようで、この安らぎにはいつあっけなくひび割れ足もとに穴があき、ぶ厚く張っていたはずの氷の下に広がる暗く冷たい水の底へ投げ出されるかわからない、ひりつくスリルがある。(中略)ここは、冬の湖ではなく夏の女の家だと言い聞かせる。

130-131頁

忍視点での描写では必ず、妙の家についても触れられています。「町に向ってあふれだす」水に対し、「船になって」「流されていく」家、「暗く冷たい水の底」ではなく「夏の女の家」。忍にとって妙の家が、恐怖から逃れるための方舟身を守るためのシェルターのように描かれているのです。

そして、この物語の起点である「排水溝のつまり」は、まさにこの、恐怖の象徴としての「水」が用いられています。日頃から欠かさず掃除しているにも関わらず逆流した排水溝は、特別大きな悪事をはたらいたわけではないのに、小さな積み重なりのために行き詰まってしまった、妙と忍の人生を象徴するかのようです。

救いとして描かれる「水」
本作では、恐怖と対照的に、救いの象徴としても「水」が描かれています。

例えば、妙にとって、海は元生徒の溺死というトラウマを蘇らせる場所であると同時に、トラウマからの救済を内包した場所でもあります。

 九年ぶりに地元へ帰ってから、妙は、季節ごとにむしょうに海を見たくなった。(中略)ところどころに、骨組みはそのままに一階だけすっぽりなくなったぼろアパートや、黒ずんで傾いた廃屋が取り壊されないで残っている。潮風に吹かれ、一八九六年六月一五日、一九三三年三月三日、二〇一一年三月一一日、明治時代からの大津波のあった日を、おまじないみたいに唱える。
 高台にのぼり、輝きわたる深い藍の海を眺めていると、及川陸の死は、流されて亡くなったおびただしい人の死に紛れてゆく錯覚がしてくる。瞬間、胸のうちにつっかえつづけているものが消える。

90-91頁

妙は、過去に大津波の起きた日付を「おまじない」のように唱えています。津波という圧倒的な脅威を思い浮かべることで、一人の少年の水死という事実を矮小化して、自身のトラウマを打ち消そうとするのです。

さらに、妙は恐怖に直面した時、必ず喉を潤す描写があります。元生徒・陸の父親を名乗る人物からの留守電を聞いた時、車や塀に書かれた〈ひとごろし〉などの落書きを見た時、男から「出てけ」とごみ袋をぶつけられた時、電車が鹿を轢いて急停止した時、恐怖を感じた時にはその後に必ず飲み物を飲む描写が入ります。これも、妙が「水」に救いを感じていることを象徴的に示しています。

忍視点の描写では、一人で川を眺める場面が印象的です。忍は川までのジョギングを日課にしており、川辺のベンチで携帯をいじるなどして暇を潰しています。兄家族から疎まれている忍にとって実家は決してくつろげる場所ではなく、川辺で過ごす時間により安心を抱いているように感じられます。

象徴的なのは、妙に水をもらう場面です。妙と初対面の時、忍はもらった煎餅にいきなりかぶりつき、激しくむせます。そこで妙はコップに注いだ水道水を渡してやるのです。

忍が塀の落書きを落とす時の見張り番をした際も、妙は水道水を与え、さらにその後、水筒に麦茶を用意してやります。住み込みで警備をしてもらうようになった後も、冷蔵庫には水分を絶やさず準備していることが描かれます。

喉の渇きを訴える忍に対して、全体を通して、妙は「水」を差し出し続けているのです。忍にとっても、差し出された「水」が救い、もっと言えば、活力生命力の象徴であったと読むことができます。物語の終盤で、忍が妙から差し出される食事および水分を絶っているのも、象徴的です。

気配としての「水」
最後に取り上げるのは、互いの気配としての「水」の効果です。妙と忍は共同生活を始める以前も、その以後も、互いの存在を知る方法として流しの音、洗濯機の音、トイレを流す音など、「水音」に注意深く耳を澄ますのです。

 階下の水音が止まり、男が洗面所から仏間へ引っこむ気配が伝わると、妙は部屋から出て独り言を呟き階段を降りた。(後略)

118頁

(前略)二階にもトイレがあるようで水を流す音を聞き取った。風呂場の裏側を通っている排水管を水が勢いよく流れ落ちる。(後略)

120頁

(前略)女は、よいしょ、と呟き廊下へあがると、襖越しにはなにも尋ねてこないまま洗面所へ進み入った。手洗いとうがいをすませ、シャワーが床を打つ音が伝わる。
 女は、風呂場から出ると洗濯機を回した。洗濯槽の回転する唸りと水音が家ぜんたいに響き、引き戸から出て廊下を居間へ進み、なにやらぶつぶつ呟いて家事をこなし、二階へ向う。トイレの水音が聞こえる。

124頁

 翌週、男もおかしくなったらしいのは、夜中、ひっきりなしにトイレにこもり水を流す音でわかった。(後略)

135頁

こうして水音で互いの行動を把握しようとするのは、二人が最低限の接触での共同生活を心がけているからです。コロナ禍という大前提がありつつも、二人の距離感にはソーシャルディスタンス以上の注意深さが感じられます。例えば、共同生活を申し出る際の妙のセリフは非常に印象的です。

「このまま、けっして、顔は見あわせないで。互いの気配は、ときどき、幽霊がいるのかな、とでもびくっとさせるくらいに漂わせるのが理想です。(後略)」

128頁

妙が、この共同生活について、忍の存在それだけに価値を見出していることがわかります。妙はここ数年で人付き合いをほとんど断ち切っていることから、人間関係において必ず発生するしがらみを過剰に恐れていると推測できます。

そのため、忍との共同生活にあたっても関係性を構築するための可能性をあらかじめ排除しているのです。忍に対して無駄な情が湧かないよう、あえて顔を見ないよう心がけている描写も見られます。

忍もまた、そんな妙の思いを汲み取り、自身の気配をなるべく感じさせないよう心がけています。妙が一階にいるあいだは排泄をこらえているというほどの徹底ぶりです。忍もまた、社会の中で人に騙され、疑われ、理不尽に非難されてきた過去があるからこそでしょう。

妙と忍はそうした距離感という点において、互いにとって「安全な人」でした。互いに干渉しない、秘密を探ったり打ち明けたりもしない、ただそこにいるだけの人です。

人間は社会の中に生きる限り、決して、加害と被害を避けられません。それを肌身で感じてきた二人にとって、この共同生活は、最後の挑戦だったのかもしれません。それが不可能なことだと知りながらも、可能な限り加害せず、被害を受けずに生きるための最終手段でした。

水音を通して気配を探り合う描写によって、そうした二人のあいだの絶妙な緊張関係が見事に表現されているように感じます。

感想

今回の考察では、本作で「水」が象徴するものについて読み解いていきました。

海や川、湖は、彼らにとって恐怖の象徴であるとともに、救いをもたらす場所でもありました。これは対比的に捉えることもできますが、彼らにとっての救いとは、自身の傷よりさらに強大な恐怖のことであると読み取ることもできます。

実際に、妙と忍には共通して、自身の傷をあえて抉ることで、トラウマを昇華しようとしている部分が見られます。妙はすすんで海を見に行くほか、元生徒からもらった手紙をまるで形見のように大事にとっており、何か不安を感じると見返す癖があります。忍は自身の手のひらをライターで炙るという自傷癖があるほか、自分が突き倒した女性が野鳥研究家と知ってか、鳥を目で追う様子がたびたび描かれています。

トラウマに対して、克服ではなく、より大きな傷で紛らわそうとする二人の姿には一種の諦念を感じました。仕方がなかった、私のせいじゃない、過ぎたことを考えてもどうしようもない、そうして自らに諦めを言い聞かせることで、心を落ち着かせようとしています。二人にとって「水」とはそんな無常感の象徴とも言えるかもしれません。

排水溝のつまりを直した忍は妙にとっての救世主であり、水を差し出し続けた妙は忍にとっての救世主でした。彼らを奇妙に結びつけた場所が、水道の止められた「青空クリーニング」だったのも決して偶然ではない気がします。

今回の考察・感想は以上です。
次回は、奇妙なラストの展開について、今回の考察を踏まえつつ読み解いていきたいと思います。

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