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最悪な経験は未来への自分らしさを肯定するための貯金なのかもしれない

最近少しの間距離を取っていた友達と盛り上がる話がある。女子って大人になるに連れて自分のいるステージやフォーカスが変わるから少し遠のいてしまうタイミングがあるということだ。

たまたま流れてきたyoutubeのラジオでも同じようなことが語られている。そりゃそうだ、ないものねだりで隣の芝生ばかり見てたり、悔しかったり、仕事は上手くいっていても、家庭はうまくいっていても、隣を見たら自分が持っていないトロフィーをたくさん持っている人がSNSには溢れている。


人間はすごく貪欲な生き物だから
手に入るとまた新しい何かを、手に入れたくなる衝動=生きる欲望なのかもしれない。

少なくとも私は29歳の時に、5年来の友人をまとめて4人くらい無くしたことがある。

その時、私は離婚してから3年目。それなりに仕事も行き詰まって、恋愛も行き詰まって八方塞がりの状態で、自分のことがあまり好きではなく自信が持てない時期が続いた。

その時を改めて振り返ると人との比較で自分を奮い立たせていたと思う。(それが失敗の根源だった)

現在は、人は人、私は私という考え方を身につけられたので生きるのがすごく楽になったのだが、不思議なことに自分に余裕ができた頃にぽつぽつと縁が切れた友人から連絡が来たりした。

そして、35歳となる今年その4名のうち3名は今では親友と呼べるほどの仲を復活させているのだ。

最近は、若い頃からの恋愛遍歴みたいなのを、『海のはじまり』や『THE BOYFRIEND』でフラッシュバックする機会があるが、少なくとも色々人と関わり合いを持ったり、毒親を持ったり、最悪な男と付き合ったことによる将来の財産は大きく、自分が自分らしくあるべき基礎を丹念させてくれたのは紛れもなくその最悪な体験の数々であると思うと、『なんだ、そんなに悪いことじゃないのかもしれない。』と思えてきた。

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