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「幸せ」って声に出していったらブチ切れられた話

私は生まれつき感情を言葉にだして発散する癖がある。

何かを食べたら「おいしい~!」

綺麗なものを見たら「綺麗~!」

幸せな時は「幸せ~!」

そしてこれは誰かとこの幸せな状態を共有したいからである。

しかし、この前友人にLINEでダイエットと婚活がうまくいってて幸せ♡と送ったら、自分の身の回りには幸せであることをわざわざ幸せという人がいないから理解しがたいと一掃された(笑)

しかし、私からするとなぜブチ切れられたのかは謎である。(ちなみに既婚女子)

いつもの私なら「ま、別に関係ないし人それぞれ考えた方があるからいっか」ってなるんだけど、過去にも同じようなことを言われたことがあるなあと思いだしたので少しその人の立場になって深堀してみようと思う。

例えばその人の気持ちになってみれば「幸せ」っていうことをわざわざ口にださなくても自分の中で幸せを感じてればいいじゃんと思うのかもしれないが、なぜ私はわざわざ口に出しているのか。

結論私は自分の幸せを誰かと共有したいし共感したいと思う人間だからなのである。それっておかしいことなのかな~?

SNSとかにもよく、美味しいとか楽しいとか幸せとかを掲載してるんだけど、それって見る人によっては「自慢」にみえるのかもよ?と別の友人に言われた。

なるほどね~、つまりは私自身云々っていうよりかは見る相手の感性によって、私はそういう人にみられるのか~。と頷いたのである。

アドラー的にいうと「それって私の問題じゃなくて、相手の問題じゃね?」っていう結論に達した。笑

たしかに私も婚活で病んでたりPMSの期間になると、世の中で発信されている日々の情報に対して穿った視点でみてしまうことがある。

子供載せてる人に対して嫌悪感いだいたり、日常を載せてる人に対して「自慢」だなこれはと、もくもくしたフィルターでみちゃうことってあるなあと。

そう考えるとSNSってすごく恐ろしいものだなあと思うけど、そんなビジネスでやってるわけではないのに一人一人の気持ちに寄り添った投稿なんてできねえわwってなったので、特に気にする必要性もない。

人って、「親しいから言ってあげてるけど」とか「あなたのために言ってあげてるけど」とかっていう言葉を使うけどそういう言葉を最初につける人ほど、なんていうか「自分の型」にはめようとしてくるし、私個人としてしてはあなたのかけている眼鏡と、私のかけている眼鏡は度数も違うし、同じ度数の眼鏡かけて同じ絵を見ていても、見てる場所が全然違うし、それぞれ価値観は違うからわかりあえないことだってあるんだよって思っちゃうんだよね~。

こういう細かいストレスが蓄積するのはお互いの関係性にもよくないし、付き合う人を変えるべきだよっていう信号なのかもしれないな。

すごく勉強になりました。

私自身いいものはいいって人にすごく進めたくなるタイプなのでいつまでも柔軟に生きていたいと思うけど、自分と違う考え方を許容できないのは理解できるけど、それで人を見下したりするような昔の自分にはなりたくないなと思いました。

これって大人ならではの人間関係問題なんだろうな~。

年齢を重ねれば重ねるほど大切な価値観が明確になるし、譲れることが少なくなっていくから自分の思考や見識だけにとらわれないような考え方や生き方を身に着けたいものだ。

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