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忘れられない先生

義務教育を9年間も受け、高校・大学と進学すれば誰にでも忘れられない先生がいるものではないだろうか。自分の忘れられない先生は恩師とは全く違う。恩師の自分なりの定義は長期間に渡って自分の指導に携わり好影響を与えてくれた人を指す。その忘れられない彼に指導を受けたのは中1の頃、わずか1年。彼が自分にとって忘れられない存在になった理由は彼のぶっ飛んだ経歴と人生観に圧倒されたからだ。

出会いはブラジルのインターナショナルスクール。ブラジルに行ってみたいという理由だけで来伯して雇われた刺青だらけのアメリカ人。23歳。国語(English)担当。

初授業。

バッグからナッツを出してつまみ始めると同時に空いていた机に胡座をかき話し始めた。イメージとしてはイェール大学の『死とは何か』の表紙に載っている教授。こんな感じ。

何を話し始めるのかと思ったら、子供の頃の万引きの話や数年前犯罪者だと誤解され牢屋に数日間監禁されたことや自分の妻をいかに愛しているか、など派手な自己紹介を繰り広げた。旅の話や先生という職業に対する自分の考えまで85分(1コマ)話すだけ。ただ決して怖さはなく、変でもなければ、その話に飽きもしない。周りを巻き込む彼の話し方に、彼の世界観に、自然と引き込まれていった。

その後も授業のカリキュラムに従っているとは思えないような授業の展開をしていく。ブラジルの銃規制問題に関して、肯定派と否定派に分けバチバチに議論させたり、チャイルディッシュ・ガンビーノの『This is America』のMVにハマりそのビデオを授業85分を使って何十回も再生し分析する授業など多岐に渡った。
先生のお母さんの誕生日に、授業中にスカイプを繋いで全員で祝ったり、みんなでおやつを食べたり。てか、そもそも半分くらい授業ではなかった。

修学旅行では立ち入り禁止になっていた滝に1人で突っ込んでいって他の先生に怒られていたのも印象的だった。

ただ驚いたのは、たった1年半で彼はブラジルを去ったこと。理由はコロラド州でカウンセラーを目指しながらロッククライミングを本格的にやりたいだとか。彼にとってブラジルでEnglishの先生を担当するのはちょっとした人生の通過点でしかなかった。ただその通過点で彼の授業は、他の先生の授業よりもはるかに多くのメッセージを心に響かせた。

今どこで何をしているのだろうか、旅をするたびに増えると言っていた刺青には何が追加されているのか、非常に気になる。

クリチバーノ1212

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