私の知っている私が私だとは限らない


 自分のことは自分自身が一番良く知っていると思います。
 しかしながら自分のことなんて自分自身が一番良くわからないと思うこともあるでしょう。
 どちらも正しいのではないかと思っています。
 私の知っている私、主観で捉えた私。
 他者から見た私、客観で捉えられた私。
 どちらも等しく「私」です。
 そして、どちらも等しく「私」であることは間違いないのに、その「等しいはずの私」は全く同じではありえないという現実が存在するため、その矛盾に心を痛めたり、苦しんだりするのだと考えます。
 この現実に直面した際、第三者から何かを決めつけられたり、否定されているような感覚、自分自身のことを理解してもらえていない、わかってもらえないという気持ちになってしまうものですが、この認識の違い、齟齬を生み出したものは何なのかと考える気持ちを持つことは大切なのではないかと。
 これは私のせいでしょうか。
 私のせいじゃないのでしょうか。
 自分の気持ちを押し殺した立ち振舞い、接し方をしたことはないでしょうか。
 理解してもらうために思いや考えを伝える努力はしたでしょうか。
 最初から対人関係、あたたかい関わりを諦めてしまっていた自分が心のどこかにいたことに目をそらしていないでしょうか。
 周囲の人々の無理解や無関心からそのような性格や気質になってしまうという事実や現実は当然存在しています。
 そして、周囲の人々はおろか、自分自身やこの世界そのものを憎み、嘆き、悲しみ、諦め、何もかもを手放そうとしてしまうことは、とても寂しい現実であり、私と第三者の理解や認識の齟齬から発生する心への影響というものが生み出す終着点のひとつであるのは間違いないと感じます。
 さて。
 ここからが本題になります。
 こういった経験をした「私」がその先へ歩みを進めようと思えたとき。
 私の知っている私が私だとは限らないという視点、考えは必要かなと思っています。
 第三者の知っている私がある意味において何かしらの問題や自分自身の心の本質である可能性は十分にありえます。
 精神的に疲弊しているときに色々と考えたり、疲弊してしまう根本的な原因をきちんと捉えようとするのは現実的ではありません。
 物事を認識する力や、感情の波が悪い方向に向いてしまい誤った思考に陥る原因を生んでしまいます。
 心が元気な状態なのかどうか、きちんと確認出来るような自分なりの何かを日常的に用意しておけると安心が生まれるでしょう。
 きちんと声が出ているか、出ていないか。
 人としゃべることに抵抗を感じるか、感じないか。
 外出に抵抗を感じるか、感じないか。
 物事の考え方や受け取り方に何か違和感や不安感のようなひっかかりはないか。
 一日のはじまりにちょっと自分と向き合う時間を用意したり、少し意識して自分の感情や感覚を掴めるようになれば体調管理や精神衛生に役立ちます。
 そして、これは心の調子が良くないときはやっちゃダメということを決められるようになっておくのも自分のためには大事かと考えます。
 負の感情や感覚に囚われている際に考えたり、行動したり、決断したりすべきではないことは非常に多いので、こういうときには可能な限り負担になることは考えないのが得策でしょう。
 とりあえず休めるだけ休んで心の平穏を取り戻すことを心がけましょう。
 そして、心の平穏、元気、日常を取り戻せたときに己の存在や思考、認識や感覚に疑問やひっかかりを覚え、自分なりの解が得たいと思ったとき。
 もしくは己の心の内に解決したい問題の答えがあるのではと感じたとき。
 私が思う私と、あなた(第三者)が思う私を重ね合わせてみましょう。
 齟齬が発生していますか。
 発生していたなら原因は何故生まれたのでしょうか。
 原因があったとしたらそれは誰かのせいなのでしょうか。
 誰かのせいにして解決したり、心が晴れやかになるようなことなのでしょうか。
 見て見ぬふりをしてきた本当の私が本心として存在してはいませんか。
 自分が悪いとか、誰かが悪いとか、良い悪いという話ではなく、自分自身が理解出来なかったこと。
 受け入れたり、気づいたり、伝わってこなかったりしたこと。
 わかった気になっただけだったり、誤解していたり、誤解させていたりしたこと。
 全く何も無いということはないと思います。
 生きてきた中で抱え込んでしまったもの。
 自分という人間と付き合い。
 自分以外の様々な関係性の人間と付き合い。
 沢山の出来事や感情を浴びて。
 己の心の中でこんがらがってしまった無数の糸を少しずつほどいていくことで、己を知り、他人を知り、知らなかった己に気づき、物事の見え方や捉え方や感じ方、心そのものがクリアになっていき、ちょっとずつ心の中にあったぐちゃぐちゃな気持ちや、ずっと自分が気づかなかった精神的負荷が浄化されていきます。
 今回の文は筆者の現在進行形の経験からくるものを記したものですが、非常に感覚的な体験や心理を可能な限り文章というかたちにしたものなので、理解しづらい点や共感出来ない点も多いかと存じます。
 ただ、筆者と近い感覚や経験をお持ちの方にとっては何かしらの足しになるやもしれないと思い、今回、このような文を記してみました。
 仮にですが、この文を読んでわかるけれどわからないという感覚になった方は半年後、一年後にこの文を再び読んでみてください。
 ひょっとしたらぴたっとはまる何かを得られるかもしれません。

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