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イタリアのインテリアデザイン理論(下)

 後半では、キッチン等のデザインプロジェクトを見ていきましょう。冒頭の図は、キッチンのフェラーリとも言えるエラム社のキッチンですが、完成品から、途中のデザインプロセスを推測するのは困難です。かくして、企業秘密とも言えるデザインプロセスを開示するような書籍を発売したValcucina社には大いに感謝します(滅多にそういう本はありません)。本noteも、『商品開発・管理研究』Vol.18(2),pp.44-66の拙稿「イタリアのインテリアデザイン理論ーキッチン(cucina)および浴室(bagno)との関連で―」に基づいています。

1.ヴァルクッチーネ社の事例

前noteの図1に従うと、キッチンは動かせないタイプの家具です。「偉大な文明においてはあらゆるものが無意識のうちに芸術作品である」とポンティが述べるように、工業製品としてのキッチンも芸術作品として考えられます。図1は、キッチンのデザインプロジェクトの基本的な考え方を記したもので、キッチンの機能を隠して目立たなくする⇔隠さない、キッチンの機能を一か所に集める⇔集めない(機能が拡散)、リビングと連続したオープンスペースのキッチン⇔非オープン型キッチン、という三つの対立軸を用いてプロジェクトの狙いを定めることができます。

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たとえば、図2は、リビングキッチン―キッチンの機能分散―キッチンの機能を隠さない、というコンセプトに基づくアークリネア社のキッチンプロジェクトの例で、他方の図3-1,3-2は、リビングキッチン―キッチンの機能集中―キッチンの機能を隠す、というコンセプトに基づくヴァルクッチーネ社のキッチンです。図5が示しているのは、リビングとキッチンの完全な一体化(融合)を狙いとした実験的(意欲的)なプロジェクトであり、キッチンの設備はことごとく棚やスライドドアの向こう側に隠されていて目立ちません(細かいところでは、蛇口も収納可能となっており(図3-2のB)、さらに、蛇口の形状もキッチン全体とのバランスを考えて直角のかたちとなっています。)。

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 図1を用いて新たなキッチンプロジェクトの大まかな位置づけを決めた後に、具体的なプロジェクトを走らせるに際して、まずキッチンのタイプ分けを考えます(図4)。

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(a)~(h)の内、キッチンの美観およびキッチンから見たリビングの良い眺めをもたらす、という点で最も望ましいのは、天井から吊り下げられたレンジフードを備えた(g)島型のキッチンであり、島型のキッチンでも下部に空間があって、向こう側を見通せる方がすっきりとしていて洒落ているとヴァルクッチーネ社は考えています(図5)―すっきりとした眺めという点で、レンジフード同様、天井吊り下げ照明の採用も勧められます。

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すっきりとした美しい眺めのキッチンを作るためには、レンジフード/シンク/冷蔵庫やTV等の家電/オーブン/机/天井照明といったキッチンを構成する要素の位置を決めてから、電源工事および配管工事をしなければならず、そうしないと、電源ケーブルやコンセントそして配管/排気孔といった視覚公害をもたらすものが視界に入って来てしまいます(図6)。テレビも電源コードが存在しないような給電の仕方が望まれるのであり、電源コードの絡まり(groviglio)があれば、うっとりするような舞台装飾(suggestiva scnografia)としてのキッチンを実現できません(取っ手もない方がすっきりします)。要するに、電源工事や配管工事は最後に実施すべきものであって、この順番を間違えると美観を創り出すことはできないのです―どうしても配管が視界に入ってきてしまう場合は、吊り天井(soffitto)等を活用するなど何かで覆って目立たたなくする必要があります(その場合は、天井が低くなって圧迫感を感じるようになるので、キッチンの高さを少し下げる方が良いということです)。

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図7は、研究対象としてのクオリティの高い‘かたち’を備えたレンジフードの例です(彫刻として美しいかたちの研究を企業内の研究所で実施しましょう;雲形のフード(b)なんてのは面白いです。)。優れたかたちを備えたレンジフードは、目立つがゆえに、キッチンの景観を構成する重要な要素である―優れた美観を備えたかたちには、自分以外の諸要素を背景に退かせる効果があり、そういった仕方で眺めを創り出すのがデザインの営みです。言い換えれば、目立つモノと背景に退いて目立たないモノとの対比関係を創り出すのがデザインであると言えます。

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一般に量産される工業製品からは詩情が失われますが、ヴァルクッチーネ社のレンジフードには職人のガラス工芸が用いられており(図8)、W.D.ティーグ(Teague)やD.デスキーといった「職人と協業しない米国の工業デザイン」と対照的です―いわゆるIDEOのデザイン思考でもアーティストとしての職人との協業を通じて、製品に詩情をもたらすことは等閑視されていますので。A.アールト(Aalto)、T.ヴィルカラ(Wirkkala)、F.アルビーニ(Albini)によると、真のインダストリアルデザインは、民族精神の表出、言い換えれば職人の手工芸の経験を(産業的あるいは近代的な仕方で)再錬成することであり、他方、技術至上主義に陥っている工学的な設計に拘る米国のデザインは、競争に勝つことによる市場独占や投機を目的としており、製品の美的価値を第一目標としていないので「資本家的なデザイン」であるということです。

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 図9(左)は、換気扇のモーターを室外に置くことで騒音防止を達成できることを示しており、他方、右図では、煙が通りやすいように90度の角度を避けつつ、蛇腹状ではない滑らかな排気ダクトを使うように指示しています。

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そして、図10は、人間工学的に見て望ましいパターン(B,D,F,H,J,L,N)を示したものです(視野や使いやすさから見てA,C,E,G,I,K,Mは避けるべきパターン)。

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 図11は、ヴァルクッチーネ社が提案する、“キッチン前方に設置された幅20cmくらいの水路のような溝(canale atrezzato)”であり、これには、皿掛け、家電や食材置き場、電源コンセント、ガス栓、まな板や包丁の収納スペース、揚げぶた式の収納、スライド式の板といった用途を設定できます―この溝の下部に配管や電源設備一式(配電盤)を置くことによりキッチン下部のスペースも有効活用できます(各家電の背後に電源コンセントを置く必要もなくなります)。

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 図12のAからPは、予想される子供の行動と起こりうる事故のパターンを示したものであり、事故が起きづらいということもキッチンのクオリティに含まれます。

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そして図13の下段は、望ましい照明パターンを示したものであり、日中、蛍光灯を点灯しなくともキッチンが明るいように、自然光の取り込みが考えられるべきであるけれども、直射日光を和らげるべく、ブラインド状の日除け(frangisole)があった方がよいということです。

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 以上見てきたように、クオリティの高いキッチンを作るためには、デザインプロジェクトへの巨額の投資を行い、キッチン設備の配置、景観、人間工学、安全性、照明といった多岐に亘る点を検討しなければなりません。

2.浴室の事例


 寝室の向こうにあるクローゼットのように、閉鎖された空間である浴室は、プライバシー(内密)の幸せな広がりを体感できる“インテリアの中のインテリア”であり、浴室にいる時間が長ければ、キッチン以上の重要性を持つこともあるでしょう―かくして湯舟、洗面台、蛇口、便器などはオーナーのテイストを反映したものであることが望ましいのです。図14は、浴室に関する新たなデザインプロジェクトの位置づけを考えた事例で、バッチのフラワーレメディをテーマとした浴室なら、天井・床・壁に花のモチーフが描かれているでしょう。

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実際には、図15で示されるような浴室の諸要素を配置していくこととなります。

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1954年にポンティがデザインしたZeta seriesや、1970年代初頭にカスティリオーニがデザインした標準浴室の要素は、洗面台・便器・ビデ・湯舟だけでその数は少なかったけれども、現在のプロジェクトでは図15に示されるように多数の要素を配置しなければならないため、「(湯舟やビデといった)標準装備品が占める(塞ぐ)スペースと、人が様々な用を足すのに必要な空間との間の否定的あるいは肯定的な関係」を研究しなければならない、とデ・フスコは指摘しています。ビデは日本の浴室空間には存在しないけれども、国際輸出商品とするには必要でしょう―浴室の椅子(sedia da bagno)と呼ばれたビデを発明したのは、ルイ16世時代の家具デザイナーであるJ.C.Delafosseでした。将来の浴室は、「浴室の壁の厚みの中に、主要な要素が格納されるようになる」とデ・フスコは述べています。
 多田道太郎氏の説によると、日本人は、田植えの時期や出漁のタイミングを身体全体で受ける“風”を通じて体感してきたため、季節の移り変わりを肌で感じられるように風呂に入って肌を綺麗にしておくことは生産のための必須条件であり、死活問題であったということです。他方、19世紀になっても英仏では湯舟に浸かるのは富裕層に限られ、シャワーのみが一般的でした。便器/ビデと浴室が一体化し、(泡風呂にしたりして)他人とお湯を共有しないので追い炊き機能がなく、シャワーと湯舟が一体化するか、シャワールームが湯舟と別にある西洋の浴室は、日本の浴室構造と著しい対象を為していますが、蛇口・湯舟・シャワーヘッド等の種類が日本と比べて極めて多く、また複数連結しても美しく見える洗面台(図16)などの装備品があるので、そのデザインプロジェクトは、デザイナーのファンタジーを刺激すると言えるでしょう―キッチン同様、浴室においても配管等は見えてはいけません。

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図16から言えることは、量産される設備備品であっても、複数連結した場合に美的な“完成形”があるということです。たとえば、霧・雲・水滴・多数の葉・花束などには、各要素の集合体として完成した“かたちの美”を見出し得るのであって、技術工学的な設計(工学としてのデザイン)が、最終的なかたちの完成形を持たないのと対照的です―たとえば、ポンティがデザインしたピレリタワーは、かたちの面から見て完成形なので、それ以上何かを付け加えたり、取り去ったり、部分を変えたりすることはできません。その姿は、ナイフが逆さまに立っているかのようで静と動の微妙なバランスを感じさせるものです。

3.イタリアのインテリアデザイン理論上・下のまとめ


見て楽しめるように詩情を感じさせる壁(棚)/床/天井等を備えた部屋(stanza)は、どのように家具を替えても常に美しく秩序を保っているのであり、そういった部屋を持った家こそが、単なる住居(casa)ではなく、人間が幸せに暮らせる理想の家(ドムス;domus)なのです。ポンティは、素材および表現に応じた“壁(棚)⇔床⇔天井”間の相応しい対応関係を考え、そういった動かせないタイプの家具において詩情を表現するのに幾何学を用いました。また、インテリアデザインの場合、室内を歩くにつれて、あるいは階段を登ったり降りたりするにつれて、様々な眺めが現れ、そういった眺めを楽しめるようにしますが、キッチンをデザインする場合でも、室内の景観がすっきりとしたものとなるように、レンジフード/シンク/冷蔵庫やTV等の家電/オーブン/机/天井照明といったキッチンを構成する要素の位置を決めてから電源工事および配管工事をすることで、電源ケーブルやコンセントそして配管/排気孔といった視覚公害をもたらすものを視界から消すことができます。
デザインとは、未来の利用者と一体化したデザイナーが、将来のライフスタイルを踏まえた新たなデザインコンセプトに対して“美観を備えたクオリティの高いかたち”を付与することであり、そうすることで、目立つ美しいかたち以外の諸要素を背景に退かせて目立たなくすることができます―そういった仕方で眺めを創り出すのがデザインの営みであると言えます。言い換えれば、目立つモノと背景に退いて目立たないモノとの対比関係を創り出すのがデザインなのです。
 そして、アーティスティックな才能を備えたデザイナーには、G.C.アルガン曰く、「詩情を欠いた醜い景観が、美しいかたちを欠いた仕方で増殖してカオスとならないように尽力することを通じて、公衆のテイストを導くミッションがある―というのも公衆は、絵のような色彩豊かなもの言い換えれば絵画のように眺められる自然美を愛するので、彼は公衆に対して、世界の現実の様相から美的な配置(秩序)の経験や喜びを引き出し、そして不快やつらさを伴わずにそういった世界の中で暮らす仕方を教える」ということです。

4.日本との比較


『犬と鬼』を記したジャパノロジストのA.カー氏の診断によれば、電線や看板のせいで街並みが醜く、コンクリートによって海や山の自然景観も破壊された日本は「近代化に失敗した国」であり、海外旅行やハワイに別荘を買うのは、醜い景観から逃げ出すためではないか、と指摘しています。しかしオフィスであれ、自宅であれ、屋外よりも屋内にいる時間の方が長いため、屋内の眺めをよくすることでQOLを上昇させることができるでしょう。衣装が個人の集団に対するメッセージであるのと同様、インテリアは、家族等の集団の社会全体へのメッセージです。言い換えれば、自分達の好み(テイスト)で選んだ調度品を客人に見せることで、自分達が何者であるのかを表現/上演するための舞台装置がインテリアなのです。庭や浜辺の内側から外側へ向けての眺めや、オフィス/学校/教会/病院/船などの乗り物にもインテリアが存在し、たとえば、カーは、部屋がごみごみしておらず、インテリアを美しくしようとするのが外資系企業のオフィスの特徴だと述べています。その外資系企業も、1990年から2021年にかけて日本からの撤退が完了していますが、その遠因として、屋外あるいは屋内であれ、視覚公害をもたらす景観が考えられるでしょう―結局、QOLを上昇させる眺めが良いところに人もカネも集まるのではないでしょうか。芸術作品のような工業製品に囲まれた暮らしの空間を実現することで、疎外された生ではなく、(冒頭述べたように)普段から幸せを感じられるライフスタイルを取り戻せるはずです―遊びも勉強も仕事も家の外で行うことで家事の必要性がなくなった遊牧民的なライフスタイルは、東京のような大都市でのみ可能かもしれませんが、家族の解体を促進するでしょう。

 詩情溢れる建築・デザインを手がけたという点で、20世紀最高の建築家兼デザイナーはG.ポンティだと思いますが、彼は、たとえば病院のインテリアは、「病人が常に生命に属しているという印象を与えて慰めるべき」だとしています。イタリアの病院の建築プロジェクトとしては、天井照明が星空のようで綺麗、病院内部にまでパイプ内部の反射を利用して日光を取り込む、壁に絵画を設置、子供が楽しめる部屋や屋外には公園を用意、上空から見た病院の姿が有機的なかたち(フォルム)、直線的に見渡せて刑務所のような廊下としない、といった特徴がありますが、ポンティが、Corriere della seraに載せた一連の記事なども読んでみたいところです。

図版出典(文献についてはresearchmapに掲載された拙論を参照してください):

冒頭:https://www.youtube.com/watch?v=cD1kNY2ALuA&t=184s、図1:De Fusco(2002)、De Fusco(2007)のp.18,p.264、De Fusco and Martino(2012)のpp.3-25、『ル・コルビジェ書簡撰集』p.185、『エスプリ・ヌーヴォー』pp.171-172、『建築を愛しなさい』および『ジオ・ポンティとカルロ・モリーノ』中のプランチャート邸に関する記述を踏まえ筆者作成、図2: https://www.arclinea.com/eng/products/thea、図3上: Centazzo(2007),pp.162-163、下:p.129、 図4: Centazzo(2007),pp.6-9、図5左: Centazzo(2007),p.149、右:p.155、図6: Centazzo(2007),pp.94-95、図7: Centazzo(2007),pp.96-101、図8左: Centazzo(2007),pp.138-139、右:p.135、図9: Centazzo(2007),pp.92-93、図10: Centazzo(2007),pp.50-54、図11:Centazzo(2007),pp.55-56、図12: Centazzo(2007),pp.110-113、図13: Centazzo(2007),pp.106-107、図14:Di Martino(2011),p.65、図15:Poletti(2002),pp.20-21、図16: Dardi and Martino(2011),p.70


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