見出し画像

イタリア:デザイン起業家列伝(7/15)

本noteでは、ザノッタ社とカッペリーニ社を取り上げましょう。デザイン敗戦から日本企業が立ち直る指針が今回も得られるでしょう。なお、本noteも拙著『イタリアのデザイン思考とデザイン経営』の第5章に基づいています。

1 ザノッタ

アウレリオ・ザノッタ(Aurerio Zanotta)が1954年に創業したザノッタ社は、これまで128名のデザイナーと550以上のプロジェクトを実施し、そのうち298のプロジェクトが世界中の48の博物館で展示され、内51が各種のデザイン賞を受賞するなどデザイン性の優れた家具分野で大きな足跡を残してきた企業です。脚本家のトニーノ・グエッラ(Tonino Guerra)の整理によると、ザノッタの製品ラインは、詩情を表現する系列―サッコ・ブロウ・セッラ(sella)・プリマーテ(primate)・アッルナッジョ(Allunaggio)―、技術そして形態上の研究を踏まえた系列―フェスト(Festo)・マルクーゾ(Marcuso)・ブリッロ(Brillo)―、典型的なタイプの家具の再販―チェレスティーナ(Celestina)・クマーノ(Cumano)・レオナルド(Leonardo)・インペリアーレ(imperiale)―、20世紀初頭のイタリアの建築家達が手掛けたデザインの再販―ボットーニ(Bottoni)・ムッキィ(Mucchi)・テラーニ(Terragni)・モッリーノ(Mollino)などの作品(27)―、に分かれるということですが、忘れられた過去の巨匠の作品を再販するのは、ガヴィーナの手法を踏襲しているといえるでしょう。なお、アウレリオの娘のエレオノラ(Eleonora)は、現在、同社のアート・ディレクターとして、デザイナーとの協業、企業イメージ、プロモーションの調整(カタログやコミュニケーション・ツールなど)などに関わる一切を取り仕切っているということです。2017年にはイタリアの家具会社Tecnoがザノッタの株式の80%を購入したが、両社は別々の生産・デザイン・経営体制を維持しています。

1.1 デザインマネジメント

アウレリオは次のように証言しています。「モノが備えている詩的なクオリティ、それは、機能や商業上の考察を超えた、言葉では定義できないような何かであるが、そういった詩的なクオリティを見失わないようにしたい。…インテリアを構成する家具調度類の場合、品の良さ(gusto)・伝統・感受性・記憶・思考の深さが(インテリアの)文化であり、我々を取り巻くモノを統べる能力である。また、(インテリアの)文化とは、我々の五感を理性的なものにすると同時に五感を刺激して感受性を磨き、生活の質を改良することである。…インテリア産業は、公衆の受動的な要求を満たすことに留まらず、未来の必要性を予感するように努力し続けなければならない。私は、かたちの刷新だけでなく、(かたちが包み込んでいる)内容物(中身)の刷新も行いたいと考えている。流行を作り出す様なモノを求めているわけではない。というのも、流行は、未来志向ではなく過去に属するような大勢順応主義だからである。…デザイナーが考えたアイディアを製品化するには、技術面を含めて様々な研究が必要だが、売り上げが必要であるのは、そういった研究にかかる費用を賄うためである。頼るのはデザイナーではなく製品であり、製品が妥当であれば、市場を創造してくれる。」

画像1

このような考えに基づきアウレリオは、ファンタンジーの要素を盛り込んだ新たな生活様式を公衆に提示すべく、積極的に見本市(展示会)への出展を実施します。息子のマルティーノ・ザノッタ(Martino Zanotta)によれば、父の基本的考えは、高価ではないけれども他社とは区別されるような製品を作るということであり、たとえば、他社では狂っているとして軒並み製品化を断られたサッコ(Sacco;袋の意)という前例のないソファーを製品化したことなどがその例です(図1)。サッコは、イタリアの公共放送RAIのテレビ番組で紹介されたことにより、経済的に成功を収めましたが、コピーが容易であったため、同社はその後、アルミダイカスト法を用いたE.マーリによる椅子のトニエッタ(Tonietta)など、コピーされないような特殊なテクノロジーを用いるようになっていきます。サッコと同様に、同社に大きな利益をもたらしたのは、ブロウ(Blow)というポリ塩化ビニル(PVC)製の椅子でした(図1)。ブロウの実現は1967年のことですが、当時、PVCを製造していたプラステコ(Plasteco)という会社では、ムッカ・カロリーナ(Mucca Carolina)という小さな子牛の玩具を作っていただけで、高度なPVC溶接の技術は持っておらず、鋳型用として直径1m以上もあるアルミニウムの重たい板を平らに矯正するため、デザイナーのパオロ・ロマッツィ(Paolo Lomazzi)は、アウレリオと一緒にロンバルディア中を探しまわったということです。その結果、要望に応じてくれる旋盤工を見つけ、何とか鋳型の制作に成功したということですが―その後、プラステコ社は事業範囲を拡張し、PVCで大きな屋根などを作るようになりました―、このように、デザイン経営を実践する起業家の特徴として、デザイナーのアイディアを実現するために、技術・素材面での解決策を模索すべく東奔西走することが挙げられます(モローソのnoteで記したように、芸術家・職人が手作りで制作したものをどうにかして量産することもデザイン起業家は考えています。)。図2がザノッタの共起ネットワーク図であり、協業したG.アウレンティや、建築家のPaolo Lomazzi、そしてサッコの名前などが出現sいています。

画像2

2  カッペリーニ

カッペリーニ社を率いるジュリオ・カッペリーニ(Giulio Cappellini)は、ミラノ工科大の建築学部を卒業した後、ジオ・ポンティのスタジオで働いていましたが、ブリアンツァの家具職人であった父―エンリコ・カッペリーニ(Enrico Cappellini)―が1946年に設立した会社に1976年に加わりました。その後、ミケーレ・デルッキや大学の同級生であったロドルフォ・ドルドーニ(Rodolfo Dordoni)などとの協業を経て、イタリアの企業として初めて、外国人デザイナーと常時協業する体制を作ったことで知られています。デザインに傾注した経営を行ってきたこともあって、その幾つかの家具は、ニューヨークのMoMAにも展示されています。なお、カッペリーニ社は、2004年から前フィアット会長であるルカ・コルデーロ・モンテゼーモロ(Luca Cordero di Montezemolo)が主導し、高級家具のフラウやカッシーナなどに出資するファンドのシャルム(Charme)傘下に入りましたが、これは、グローバル化に対応するには企業規模が小さすぎるからであり、これによって、起業家がイメージする将来の生活様式をユーザーに提示するというよりも、美しくて立派な(bello)製品を幅広く提供し、ユーザーに選ばせるようになりました(つまりマーケティングの論理を採り入れました)。

2.1 デザインマネジメント

小さな会社であるがゆえに、マジストレッティやカスティリオーニなどの巨匠にデザインを依頼するのは気が引けたこともあって、カッペリーニは世界中を旅して才能ある若手デザイナーを発掘してまわりました(かくして外国人デザイナーとの協業が多いのは、舶来品崇拝、外国崇拝に陥っているのではないということです。)。1982年の訪日時に倉俣史朗氏と出会い、日本人がキャビネットを家族で共有し、家族にとって大切なものを引き出し上段に、自分のものは引き出し下段に格納する習慣に驚いたということです―ここから、ダイナハ(Dinah)[図3]と呼ばれる背の高い引き出し式整理箱(キャビネット)が生まれました。また、「日本人は、企業と同一化し、ホンダのような大企業のために働いているときに充実感を感じているが、自分は大企業のためにデザインしたくない」と述べる倉俣に驚き、「倉俣は我々が知っているような西洋人デザイナーに近い」と評しています。ジャスパー・モリソン(Jasper Morison)との協業では、考える人の椅子(Thinking Man’s Chair)[図3]のプロジェクトがあり、元々室内用だった椅子を屋外で使えるように、ありとあらゆる部分をチェックし、降ってきた雨の水滴が残らないように工夫したということです。モリソンのデザインの仕方は、極めて細部までスケッチするのが特徴であり、他方、小さくて丸い金属製の照明器具をデザインしているトム・ディクソン(Tom Dixon)は、ヘビメタ族であり、部品を集めに事務所に来るが、スケッチはしません。そのほかシドニーのバーのためにグラスやボトルをデザインしたマーク・ニューソン(Marc Newson)などがいるということですが、カッペリーニは、デザイナーの個性およびデザインの仕方に関する洞察に優れています。

画像3

カッペッリーニは、「金融機関出身の経営者は、自分の家に置けるような家具を基準にして(自分の家にトーネットの椅子があればそれを基準にして)自社製品を選好してしまうが、デザイン起業家の場合、自社を代表するような製品を選好するのが普通であり、言い換えれば、たとえばカルテルのようなオフィス用のプラスチックの椅子を作っている起業家(アノニマ・カステッリ)の場合、自分の家に置きたいかどうかという観点に捉われず、自社の製品ラインを意識して家具を製造することができるだろう。」と述べています。また、「マーケティングに従いすぎると、既に市場に存在しているような製品を作ってしまうので、最初に製品を作り、次に展示するのがよく、カッペリーニ社の企業イメージに合致しなければ、市場シェアを取れると分かっていても(マーケッターではなく起業家の判断として)製品化しないー要するにイタリアのデザイン起業家は、市場の求めに応じて何でも製造するドイツとは異なる。」とも述べています。共起ネットワーク図(図4)に現れているフラウやカッシーナに対するカッペリーニの評価は、以下のようにまとめられます。

画像4

カッシーナの5倍の売り上げを誇るイタリアNo.1家具ブランドであるフラウは、デザイン重視というよりも職人による手仕事と素材のクオリティに力点がかかっている富裕層向けのブランドであり、そのビジネス上の特徴として世界中の劇場に対して椅子を提供すると同時に、クルマの内装を手掛けている点が挙げられるということです―ダッシュボードを作るために革をプレスする技術を用いて、なぜ家具を作らないのか不思議に思うということです。フラウの国内と海外売り上げの比率は8対2となっています―かくして、海外ではチェスター・ソファ(Chester Sofa)などの方が有名です。一方で、カッシーナ・カッペリーニ・アリアスなどの比率はその逆であり、カッペリーニは現代的なクラシック(Contemporary Classic)、コルビジェの家具を再販したことからカッシーナは近代的なクラシック(Modern Classic)ブランドだと位置づけられるということです。デザイナーの国籍に拘わらないカッペリーニは、イタリアとは異なる文化的背景を持った若手デザイナーに対して、カスティリオーニなどの大物デザイナーのデザイン・スタジオで働いた結果、“カスティリオーニもどき”にならないように注意を促しつつ、ゼロからデザイン・プロジェクトを走らせることの重要性を述べています。その他、デザインのオリジナリティを確保するために、2001年のミラノサローネの期間中の展示プロジェクト(図5)では、ジャスパー・モリソンに対して「天井付近は何もなく真っ白の状態にしてあるから、フロア(床)に置く机や椅子などのインテリアデザインを決めてくれ」とお願いしておきながら、他方でフィリップ・スタルクに対して「床はコンクリートで何もない状態にしてあるから天井付近に何か展示するものを考えてくれ」と依頼し、後でモリソンとスタルクから激怒されつつも、結果として出来上がった展示空間は素晴らしいものとなったということです。これは、カッペリーニが、相反するモノが同時に成立するという矛盾律に反する状態からオリジナリティが出現するという考えを持っているからです―なお、彼が若手デザイナーの作品を評価する基準は、“それを自宅に置けるかどうか”、“人々の暮らしの中に入り込んで暮らしを豊かにすることができるかどうか”という点からであるということです。

画像5

カッペリーニは素材に対する研究開発を怠りませんが、デザイン理論家のE.フラテイリによれば、素材の面から家具のデザインを考えるパターンが幾つかあり、例えば、ガエターノ・ペーシェがデザインしたフェルトリ(Feltri)・シリーズ―カッシーナ社から発売―などは、フェルト化繊を用いて、モノの表面の振る舞いとモノのかたちとを互いに対立させており、換言すれば、モノを包み込んでいる外皮と中身(内容物)とを対立させ、外観のフォルムを強調しているということです。航空機で用いられているカーボンファイバーを転用して、ビロードのようなふんわりと柔らかい手触りを実現したライト-ライト(Light-Light)という椅子―アルベルト・メダによるもので前noteのアリアス社から発売―や、ポリアミド樹脂のシートに(半加工)の皮革をかぶせてから、曲げるプロセスを走らせて望ましいかたちにしたジャック・ハロルド・ポーラード(Jacques Harold Pollard)によるラウンジチェア―そのかたちはステルス爆撃機のようで、表と裏が区別できないような仕方で構想され、後にマッテオグラッシ(Matteograssi)社から発売―などがありますが、一般に、イタリア人デザイナーらは、バウハウスで行われていた素材の組み合わせに対する実験の歴史を学習済であると指摘することができます。バウハウスでは、石材・木材・鉄・ガラス・繊維・紙・セロファン・レーヨン・コットンなどの組み合わせが研究されていましたが、イタリア人の場合、照明ライトが当たっときなどは特に光沢感があるようにプラスチック製品の表面を上塗りすることに熱心です―光沢感は、モノの高級な質感につながるからです(この重要な論点については、アベット・ラミナーティ社に関するnoteで再び採り上げましょう)。カッペリーニは、中国が粗悪なコピー品を製造しているという偏見を捨て去る必要があると述べています。「今日、最高の写真家は中国人であるし、まもなく素晴らしい中国人のデザイナーが現れるだろう」と彼は予想しています―たとえば近年の中国大都市の夜間照明は素晴らしく、イルミネーションを通じて夜間の景観を創造する照明デザイナーの優は現在中国人でしょう。他方、インドネシア製のオフィス用の椅子は、どこかで見た肘掛け椅子のコピーに留まっており、イタリアにまだ分があるということです。最後に、デザイナーになるということは、スタイリングする人になることではないし、企業のミッションは、機能的で頑強だが、美しい製品を作ることである(機能的であるが醜いモノは、我々の興味をひかない。」と述べてインタビューへの回答を終えています。

3 終わりに

カルテル創業者のカステッリィは、米国資本に買収されずグッド・テイストな家具を追求し続けているカッペリーニをデザイン起業家として高く評価しています。カッペリーニは、マーケティングに従いすぎると既に市場に存在しているような製品を作ってしまう、と述べていますが、彼に限らず、デザイン経営では、付加価値の源泉は顧客ニーズではなくデザインだと考えます。G.ポンティは、『建築を愛しなさい』の中で、「<<公衆の好み>>の調査から審美的価値に達することはなく、それはピニン・ファリーナが生み出したフェラーリの官能的な流線形のボディからも明らかである。ピニン・ファリーナはマーケティングリサーチに勝ったのだ。」としています(大石敏雄訳『建築を愛しなさい』美術出版社,1962年,p.236)。審美的成熟に達したアーティストからそのような美しいかたちは生まれてくるのであって、それは市場調査からもたらされたものよりも、<<もっと商売になる>>とも述べています。かくして顧客との価値共創を唱えることから日本企業は、デザイン重視へと方向転換した方がもっと儲かるわけです。なお、有名なミラノ工科大のR.ベルガンティが記した『デザイン・ドリブン・イノベーション』で述べられている「意味のイノベーション」「テクノロジーエピファニー」「デザイン・ディスコース」に類することが、デザイン起業家らが実践してきたデザイン経営の営みからは見当たらないこともわかります。デザイン経営を説くならば、経営学者であっても、イタリアのデザインや建築理論を踏まえるべきでしょう。

画像出典:冒頭写真https://bit.ly/3nfXhnO,https://bit.ly/3ovRsSZ、図1:https://bit.ly/3wJxE21,https://bit.ly/3ngBlZK、図3:https://bit.ly/3CiOMN8,https://bit.ly/3owv0Jr,https://bit.ly/30oBiSY、図5:https://bit.ly/3wKIk0a

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?