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イタリア:デザイン起業家列伝(13/15)

本noteでは、愉快かつ詩情溢れる家庭用品で有名なアレッシィを取り上げましょう。イタリアのデザイン理論では、アレッシィ製品の詩情は、擬人観(antropomorfismo)擬動物観(zoo-morfismo)に基づくもので、機能一辺倒のドイツ的な合理主義デザインを乗り越えることに成功した企業として同社は位置づけられます。人間に似ている、あるいは動物に似ているとは、いったい何を意味しているのか、以下で見ていきましょう。本noteも、現役のデザイナーやデザイン経営を自社に導入しようとしている企業幹部にとって有益な学びがあるでしょう。(本noteも拙著第5章に基づいています。)

1 概要

アレッシは、食器など料理と結びついた家庭用品を手掛ける企業で、1921年にジョヴァンニ・アレッシ(Giovanni Alessi)によって創業され、ニッケル、クロム、真鍮に銀メッキといった軟質金属を用いた食器類を製造していました。1950年代になって軟質金属からステンレス鋼を用いるようになりましたが、当時は、第二次世界大戦後からの復興途中であったため、デザイン性の優れた高価な食器類を売るのは難しかったということです。アレッシ家の三世代目のアルベルト・アレッシィ(Alberto Alessi)は、大学で法律を専攻した後、1970年にアレッシィに参画してメンディーニなどの巨匠と協業することで、イタリアの“デザイン・ファクトリー(Fabbriche del design)”の一つと呼ばれるほどまでに同社を成長させました(同社のデザイン・ファクトリーという名称は、イタリアでデザイン経営を実践してきたデザイン起業家の証言集として重要な、La fabbica del designという本のタイトルに掛けられています。)。1980年代になると大量生産に対抗する必要が出てきましたが、1990年代にプラスチックを扱うようになってベストセラーのアンナなどが生まれました。2006年には製品ラインが三分割され、民主的でポップな“A di Alessi”、”定番の“Alessi”、より高級感があり革新的かつ実験的である“Officina Alessi(オフィチーナ・アレッシィ;最上級ライン)”となりました。現在は、生産量の65%が60カ国に輸出されていますーとりわけアジアと中東への輸出に近年は力を入れています。

2 デザインマネジメント

建築家である父親のカルロ・アレッシィ(Carlo Alessi)は、メンディーニらと雑誌『モード(Mode)』を創刊しつつ、1940年から60年代にかけてルイジ・マッソーニなどと協業して“シェーカー870”などの製品を世に送り出していましたが、息子のアルベルトもメンディーニとの協業を続け、栓抜きの“アンナ(Anna)[図5]”などのヒット商品を生み出しました。アルベルトによれば、メンディーニのデザインするものは売り物にならないという批判を跳ね返すことができたので、アンナの成功は誇りに思うとのことです。メンディーニは、デザイナーであると同時に、“住居に関する歴史家”であり、家庭用品の歴史を研究するプロジェクトを通じて“紅茶とコーヒの広場(Tea & Coffee Piazza)”が誕生しました(図1右)―研究プロジェクトの成果は、『家庭用品の風景(Paesaggio Casalingo)』という本にまとめられています(イタリアでデザインを専攻する学生は、冷蔵庫/洗濯機であれ、食器であれ、身の回りにあるモノの歴史を卒業論文として書いたりします。)。メンディーニは、記号論を専攻したラウラ・ポリノロ(Laura Polinoro)をアルベルトに紹介し、モノが備えている愉快な側面について探求を行いました。イタリアンデザインは、メンディーニによれば、“美学的な製作”であり、70年代までは、イタリア人がデザインし、イタリアで製作された製品を意味していたが、80年代になると外国人デザイナーによるものも含まれるようになったということです。
イタリアのデザイン起業家は、デザイン・プロジェクトと市場経済とを媒介するアート・ディレクターであり、その役割は、美術館やギャラリーのアート・ディレクターと大差なく、公衆の心に響くようなモノへとアーティストやデザイナーの創造性を変換することです―デザイン起業家のこの媒介機能は、ドイツや日本では見られず、イタリア固有のものであるとアレッシィは証言しています。アレッシィにとってデザインは、芸術的で詩的な現象であり、哲学者のジャンニ・ヴァッティモ(Gianni Vattimo)が“商業アート(arti commerciali)”と呼ぶものです。椅子が売れるのは、その椅子に人々が恋するからであり、座り心地が良いとか、安価だとかいう理由ではないと彼は述べます。デザイン・プロジェクトの核心に、モノの持つ魅惑的な魅力があるのです―モノの機能面だけを考えるなら、企業を維持できないであろう、とも述べています。イタリアのデザイン起業家が、デザイン・プロジェクトと市場経済とを媒介するアート・ディレクターであることの歴史的背景として、大量生産を行う産業に対する異議申し立てがあります。ウィリアム・モリスのアーツ&クラフトに始まり、ウィーン工房やバウハウスを経て、イタリアンデザインが最後の輝きを放つことになりました。バウハウスは、大量生産する産業と“和解”しましたが、W.モリスはそういった大量生産に対して批判的な態度を取り続けました。イタリアンデザインは、このモリスの志を受け継いでおり、たとえば、フィリップ・スタルクは、機能は最低限に抑え、動物(蜘蛛)に似ている詩的な製品Juicy Salifをデザインしました(図1)。同じようにメンディーニによる”紅茶とコーヒーの広場は、を連想させます。

擬動物

擬人観

図2と図5右は、人間に似ている擬人的な製品の例です。G.ポンティは、生物は何千というかたち(フォルム)を持っていると述べていますが(*)、かたちを与えられたピノキオが動き出すように、モノにかたちを与えることは、命の息吹を吹き込むこと(=イタリア語の動詞plasmare)と同じです。詩情がなければデザインではありません。擬人的・擬動物的なデザインは、イタリアのデザイン理論において製品に詩情を吹き込む有力な手法なのです。

アルベルトによると、こういった公衆の心に響く製品を世に出すには、“ボーダーラインセオリー”(図3)を用いるということです。これは公衆のニーズや要望を予期し、彼らが好むようになるだろう新たなデザイン・プロジェクトやアイディアによって表現される“可能なものの領域”と、公衆よりも遥かに先んじているがために彼らが全く理解できない製品やアイディアから成る“不可能なものの領域”との間にあるボーダーラインの上に、常に自社が乗っているようにする、というものです。このボーダーライン(境界線)は、市場調査を行ってもはっきりその姿を見せず、直観や感性そしてリスクを愛好することからもたらされる「類まれなクオリティ」を通じて初めてはっきり認識されます。

ボーダーライン

アレッシィ社は、このボーダーライン上に常に乗っていなければならず、そのためには、クオリティが極めて高いのですぐには理解されない挑戦的な製品―それは商業的には失敗作(flop)なのだが―を作り続けなければならないということです(もしこのボーダーラインから外れれば、デザイン経営を実践する他社がこのボーダーライン上に進出し、革新的な魅惑的な製品を提供する企業というアレッシィのポジショニングが奪われてしまうのです。)。なお、大企業は、リスクを避けるためこのボーダーラインからできるだけ離れようとするため、結果的に大企業の作る新製品はどれも似たり寄ったりなものになるとアルベルトは述べています。“不可能なものの領域”では、売り上げとクオリティは反比例しますが、これは、(エンツォ・マーリが指摘するように)ブランクーシの彫刻のように非常に高いクオリティを携えたものは、最初は少数者によってのみ理解されるからです。

続いて、アルベルトは、製品寿命が不均等であることを分析した結果から導き出した、四つのパラメーターからなる成功の公式(図4)について解説します。

成功の公式


公衆の反応を理解することを目的としたこの公式を構成するパラメーターは、(1)感性―記憶―イメージに関わる美しさ、(2)コミュニケーション―言語活動に関わるもの、(3)製品の機能、(4)価格、であり、各項目について5段階評価されますが、重要なのは(1)と(2)です。感性―記憶―イメージに関わる(1)は、公衆が美しくて立派だと述べるタイミングや理由について認知データを用いて調べるもので、要するに美しさ(bellezza)を分析対象とするものです。様々な記憶やイメージを喚起しつつ、五感を刺激して“美しい”と感じさせるようなメッセージを製品は発しており(製品は言語活動を行っている;いわゆる製品言語)、公衆は、思った以上にこのメッセージを感知し、そしてこのメッセージに浸ることができるというのが、(1)の美的分析の前提です。さらに、製品が発するメッセージは直接的であり、また、誰にでも理解できるという点で民主的で、国境を越えて理解できるので普遍的な側面もあります(図5左は、有名な栓抜きのアンナで”こんにちは”と挨拶しているように見える)。

図5annna

コミュニケーション―言語活動に関わる(2)は、製品がコミュニケーションの道具として用いられる程度を測るもので、これはファッションを考えてみると分かりやすいでしょう。着る服の選択は、湿度や気温に応じて行われることに加え、どのように他人から自分が見られるかということも意識して行われるのであり、衣服という製品を介して、自分のアイデンティティを他者に開示するような側面が(2)の分析対象です。ちなみにアレッシィの最上位ラインであるオフィチーナ・アレッシィは、機能・性能の次元が重視されない代わりに、(1)の美の次元と(2)のコミュニケーションの次元を突出させ、高価格なものとしています。他方、お手軽価格でアレッシの世界を感じられる製品ラインが、A di Alessiです―そのほかアレッシの標準的な製品ラインがあります。なお、このような多重ドーナッツ(円)グラフを用いて製品ラインを構成している企業は珍しく、驚きを禁じ得ません。
最後に、イタリアンデザインの歴史が建築と結びついているのは、デザインの学校よりも建築の学校が、最良かつ十全の教育を行っていたからであり、近年の学校が、靴や衣服の装飾品そして家具といった特定分野のデザイン教育に特化するのは馬鹿げているとアルベルトは述べます。そしてデザイン業界に近年入ってきた投資ファンドは、自らの理屈に従うので、有能だが有名でないデザイナーは採用されなくなるだろうけれども、ファンドはそのことに無自覚であると証言しています(以上のインタビュー内容に出てくる幾つかの言葉が、図6で確認できます)。

図66アレッシィ

3 終わりに

図7は、今後の日本企業が進むべき方向性を示したものです。アレッシィの指摘を踏まえ、機能/性能重視から詩や美を重視する方向へと自社の製品ラインの転換が必要なのです。さらに、上海等の国際見本市市場で自社のポジションニングをボーダーライン上に置くと良いでしょうーというのも、そうすれば個性ある企業として目立つことができ、将来、大きなリターンが得られるでしょうから。なお、イタリアのデザイン理論とデザインマネジメントの全貌について関心を持たれた方は、拙著を参照してみてください。もっぱらイタリア語で書かれた文献を駆使し、デザインとは何かという問いに対する最終的かつ決定的な定義も解説しています。IDEOのデザイン思考では、ここまで詩や美の次元にこだわりません。世界No.1デザイン先進国であるイタリアのデザイン思考を学んだほうが、はるかに官能的で魅惑的なモノ作りが可能となるでしょう。椅子が売れるのは、その椅子に恋するからなのです。

図77アレッシィ

(*)G.Ponti著(大石敏雄訳)『建築を愛しなさい』美術出版社,1962年,p.106

画像出典:冒頭写真:https://bit.ly/3qMe9oz、図1:https://bit.ly/3kO26Dg,https://bit.ly/3CrWODF、図2:https://bit.ly/3oCUbKb,https://bit.ly/3CpP19l,https://bit.ly/3qLO6xD,https://bit.ly/3qNhVOj、図4:https://mycourses.aalto.fi/pluginfile.php/166137/mod_resource/content/1/Alessi%20Success%20Formula%20%28cond%29.pdf、図5:https://bit.ly/3kO5yxI,https://bit.ly/3wXT3o5

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