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イタリア高級車のデザインプロセス(後編)

前編では主にフェラーリの事例を取り上げましたが、後編ではマセラティに焦点を当てましょう。イタリアの高級車に焦点を当てているのは、高級な小型の電気自動車(EV)を日本の自動車産業がデザインしていく際に参考になるからです。小型のEVは、ガソリン車と比べて部品点数が少ないため折り畳み式のEVさえデザインできます。カッコよいかたちを備えた高級なEVをデザインしていくことで、(ガソリン車からのEVシフトによる)日本の自動車産業が受ける壊滅的な打撃を和らげることができるでしょう。そのためには本noteで再三触れているフミアなどのイタリア人カーデザイナーに、高級な小型EVのデザインを委託する手があるでしょう。なおこの後編のnoteは、拙稿(2020)「イタリアにおける高級車のデザインプロセスについて―マセラティを中心として―」『感性工学 特集号 暮らしにおける感性商品研究』Vol.18(3),pp.151-156および拙著の第7に基づくもので、E.Fumia(2015),Autoritoratto,Fucinaを主に参照しています。

1.マセラティの財産:三人の祖父

図1がマセラティのトレードマークであり、起源である三叉の矛の変形プロセスを示したものです。ボローニャのマッジョーレ広場に立つネプチューン像が手にしている三叉の矛(勇気と力の象徴;左上)を上下反転し、中央の鉤を引っ込めて左右の鉤を楕円状に引き延ばすと、マセラティ車の(ラジエーター)グリッド状のかたちが出現します(右下)。右下のかたちから左右の鉤を消すと、中央の鉤だけが残って雁が飛んでいるようなかたち―言い換えれば飛翔する一つ鉤のかたち―となり、このかたちが3次元化され、マセラティ車の様々な部位で繰り返されます。

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この飛翔する一つ鉤のかたちは、過去には図2で示された車のグリッドで用いられたことがあるものの、それらはネプチューン像が手にしている三叉の矛という歴史的経緯と関連づけられて用いられたわけでなく、当該車種のアイデンティティを形成するような重要性を担ったわけでもないということです。マセラティらしさを際立たせるためにフミアが苦心したのは、飛翔する一つ鉤と三叉の矛(三つ鉤)の立体的なかたちが、室内や外観で感じられるようにするということです―より具体的には、室内ではダッシュボードにおいて、外観では前面・後面・側面においてユーザーが知覚できるようにデザインしたということです。図3は、フミアが理想のマセラティをデザインする際に参照した“三人の祖父”です。3500 GT di Touringでは、ボンネットの空気孔に、図1の右下に見られるような“変形された楕円形の三つ鉤”が見られ、他方、A6G 2000 di Allemanoではグリッド上部に“飛翔する一つ鉤のかたち”が施されています。A6G 200 di Zagatoではグリッドに対して三本の横向き線が入っており、これは三つ鉤を連想させます。

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2.外観デザイン

3200GTの内装デザインを委託されていたフミアは、1996年に第5世代のクアトロポルテーSthenosと命名されました―の外観デザインも、ピニンファリーナ及びイタルデザインと競合する形式において委託され、検討の結果、図4に見られるような前面および後面のデザインバリエーションを考案しました―屋根(ルーフ)とドア部分のデザインは固定され変更がきかないため黄色で覆われています。

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図4の各デザイン案とその根拠となっている歴代のモデルとの関係を見てみましょう(但し、R8はFlavio Manzoniによるもの)。マセラティは、1997年からフェラーリ傘下に入ったため、フェラーリ会長であるモンテゼーモロに対してこれらのデザイン案のプレゼンをフミアが実施したところ、R2とR4は、3200GTの後部ライトと同じデザインであるため、彼のお気に召さず、R1が選ばれたということです―フミアは、自分ならR2かR2の昂進版であるR4を選ぶと述べています。また、前面についてはR3とR6が選ばれました―R6は、忘れられているがマセラティのファミリーフィーリングに繋がる1957年の3500GTを想起させるので、フミアは今選んでもこのR6を推すということです。図5左は、“飛翔する一つ鉤のかたち”が側面で表現された場合の様々なバリエーションですが、マセラティがフィアットからフェラーリ傘下に入る前に、前面がR3あるいはR6、後部ライトがR1の案をフィアット会長であるカンタレッラに見せたところ、「90% OKだが、側面において“飛翔する一つ鉤のかたち”を表現するのはダメだ。側面はBMW5のように前後のドアの大きさが違うようにせよ。」と言われたということです―マセラティらしさを象徴する3次元の表意図形(記号)である“飛翔する一つ鉤のかたち”が側面でもユーザーに知覚されることを企図していたフミアは、カンタレッラの発言に納得しませんでした。

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図5左においてポストモダンとは、1955年のRolls Royce Silver Cloudや2003年のBentley Continental GTの後部ドア部分において“飛翔する一つ鉤のかたち”が表現され、懐古主義者の既視感(デジャブ)を誘うものですが、二つドアのマセラティでないと実現不可能である、としています。他方、図5右のグリッドは、上から順にGhibli,Bora, Merakのグリッドに着想を得たもの(a)、Mistral由来(b)、Quattroporte RoyaleとBiturboからの着想(c)です。
図6左と図6右は、マセラティがフェラーリ傘下に入った1998年にフェラーリのモンテゼーモロ会長に対して、Mistralに着想を得たR7(前面)―Shtenos 1―と、3500GTに着想を得たR6(前面)―Sthenos8―のそれぞれについて、職人に制作してもらった4分の1サイズのモデルをフミアがプレゼンしたときの写真です(下の方はレンダリングイメージ)。

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プレゼンについてフミアは、「着想を得ている過去のモデルについて写真付きで説明しなければ、全て却下されていただろう」と回想しているが、屋根(ルーフ)に“飛翔する一つ鉤のかたち”を表現することは否決される一方で、側面についてはとまどいをもって認められたということです。フミアのほかに、競合しているピニンファリーナとイタルデザイン社も、(4分の1サイズではなく)原寸大モデルを制作してプレゼンを行った結果、ピニンファリーナの奥山清行氏の案が認められることになりました。図6左のSthenos 1と図6右の Sthenos 8を比べると、Sthenos 1は、丸みを帯びてふっくらしているので円錐や円柱を彷彿させるのに対し、Sthenos 8の方は、ピラミッド(角錐)や平行六面体(parallelepiped)を想起させるような直方体デザインであるということです。Sthenos 8の側面は、ベルトラインの連続性が中断され、“飛翔する一つ鉤のかたち”が知覚されにくいのに対し、Sthenos 1はその知覚がより一層容易であることから、理想のQuattroporteとして推されるのはSthenos 1の方だということです。

3.内装デザイン

1995年初頭に、フィアット会長のカンタレッラからフミアは、3200GTの内装デザインを依頼されました―外観のデザインは、イタルデザインのジュージャロが担当しました(マエストロとの協業は名誉なことであったと彼は証言しています)。図7の上下の写真を比較すれば分かるように、(前面や側面に加えて)ダッシュボードにおいても“飛翔する一つ鉤のかたち”が感じられるようにデザインした方が、マセラティらしさを表現できます―マセラティの内装デザイン史上、“飛翔する一つ鉤のかたち”が初めてダッシュボードにおいて表現されました。図8は、カンタレッラの命により、ランチャYに着想を得てデザインした楕円形の空気吹き出し口(上図)が、FiatやAlfa Romeoの円型の吹き出し口(下図)へと変更されたことを示していますが、明らかに上図の方が美しいでしょう(経営者が余計な口を出さない方が良い事例です)。

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1997年当時は、後にフェラーリを任されることになるモンテゼーモロが、上司であるカンタレッラにライバル意識を燃やしていた時期であり、「ダッシュボードへの時計の紋章の挿入」・「ダッシュボードの一部に木材を使う」・「(ジュージャロの案による)ブーメラン型の後部ライトデザイン」といった点についてOKを出すカンタレッラに対し、弁護士モンテゼーモロは、ことごとく反対の立場を取ったということです(図9)。フミアによれば、マセラティは、“イタリアのジャガー”であるので、ダッシュボードの一部に木材を使っても調和しないことはなく、むしろ高級感を訴求できるということです―最終的にこの案は却下され、その代わりにダッシュボードを縁どる色と座席シートの縁取り色とを同じにすること(cadeninoと呼ばれる)が認められました。

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4.彫塑と彫刻の違い

前編のnoteで述べたようにイタリアでは、デザイナーが新たに創案するデッサンをスカルプター(モデラー)と呼ばれる模型制作職人が解釈して、クルマの模型の立体感を表現します。その際、モデラー達は、粘土を用いた彫塑(modeling)ではなく、エポウッドを削る彫刻(direct carving)の手法を用います(正確に述べると、発砲スチロールを使って幾つか候補となるボディフォルムを作成した後に一つに絞り込んでいきますが、残った最終案についてエポウッドを削って原寸大モデルとします)。これは、ピニンファリナーの主任デザイナーであった奥山清行氏も指摘していることで(*)、日米の自動車会社は、絵画的な仕方でクルマの模型を制作していることが、彫刻理論を援用することで分かります―日本車メーカーも、彫塑ではなく彫刻の手法を模型制作に取り入れるべきでしょう。油絵具を付加するように、彫塑は足し算が可能な絵画的な手法で、表面上の装飾的効果を得るには望ましいのですが、量の感覚(マッス)―全体の佇まいやプロポーションそしてかたまり(塊)―を表現するには、引き算しかできない彫刻の手法を用いる方が良いのです。彫刻理論家のリードは次のように述べています。
「ミケランジェロが述べる絵画的技法による彫刻(組み立て、あるいは肉付け[modelling]による彫刻)とは、へらや指を本能的にぺたぺたと使って粘土でさらりと仕上げたもので、それが表面の各部分に溌剌とした生気を与えているようなものである(図10右図)。彫刻的な充全さという点からいえば、その欠点は外に向かって押し出すマッス(量の感覚)内に向かって保たれる緊張感が全然ないということである。別な言葉で言えば、可塑的な粘土が限られた空間の範囲内で優美に動き、すばらしい魅力をもった表面の融和を作り上げているのである。それは申し分のない手並みで頭のまわりにいとも粋に巻き付けたターバンの美しさだ。我々はターバンに惚れ惚れするけれども、その下にある頭部の形は一向にわからないわけである。…肉付けの方は、ともすれば形体の放漫と不正確に流れやすいのみならず、表面の効果に心を奪われてマッス(量の感覚)を阻害しがちである。」

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また「選ばれた素材を直接彫っていくのが、彫刻へと通じる真の道である」と述べた彫刻家のブランクーシ(図10中央図)を高く評価するアルガンは次のように述べています。
「アーキペンコ(Archipenko;図10左図)・ザッキン(Zadkine)・リプシッツ(Lipchitz)といったキュビスムの彫刻家達は、キュビスムの絵画を分解したものを造形的に実現しようとし、造形的なフォルム(かたち)と空間との間にある関係の伝統的な着想を壊すことに成功しているが、造形的なフォルムの構造を刷新してはおらず、その構造・構成は、絵画的なフォルムの模倣に留まっている。ブランクーシが提案しているのは、絵画ではなく彫刻から出発することで―言い換えれば、空間の中でフォルム上の<<エピソード>>であらざるを得ない対象性という限界から、造形的なフォルムを解放することによって―、絵画的なフォルムを刷新することである。ブランクーシは、ムーア(Moore)やアルプ(Arp)といった現代彫刻の出発点である。」
アルガンによれば、自動車のフォルムは、ブランクーシの抽象彫刻作品のようなものであり、足し算が可能な彫塑の手法を用いて原寸大の模型を作ることに慣れてしまえば、緊張感がなく野暮ったい外観デザインとならざるを得ないということになるでしょう。
遠目で見れば各自動車のキャラクターラインの違いなど目立たたず、どれも同じように見えるというのに、キャラクターラインに頼って個性を出そうとする(差別化しようとする)最近のデザインの傾向に対して、フミアは次のように苦言を呈しています。
「(最近の)スタイリングの傾向(図11)として、場当たり的に投げ散りばめられた彫刻的な諸記号のばかげた(良識を欠いた)使用を私(フミア)は見かけるのだが、それは美学的にはスニーカー(のデザイン)と似ており、結果としてケバくてドギついけれども実用性がなく(諸記号の間で)融合もしていないようなオブジェを伴っている。言い換えれば、混乱し、創造性の真空、つまり趣味趣向が野蛮であるという観念と同義なのである。」

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要するに、ポップアップアートのキッチュな装飾ではないのだから、皮相的な諸記号(模様・キャラクターライン)の使用は、趣味が悪くて下品という判断です。たとえば、風船と風船との境目としてラインを捉えるのがよく、最初に量の感覚(マッス)があることを忘れてはならないということですが、梅棹ら著『日本人の生活空間』は、「日本はモノを畳むことが極度に発達した文化的伝統を持ち、立体的なものを平面に還元して重ね、それによって容積を縮小するような強い平面愛好心を持つ反面、立体造形美術としては、鎌倉時代の彫刻を最後に、名を残すような作品がほとんどでなくなってしまった。」と指摘しています。フミアのデザイン思考からは、モノが薄くてすっきりしていることは、必ずしも好ましいというわけではなく、さらにモノの角が尖っているのは、(立体ではなく)平面を愛好するがゆえに平面を重ね合わせたような折り紙デザインの結果として出現しているとみなし得るでしょう。家でさえも“家をたたむ”という表現が可能であるのは、立体的なものを平面に還元して重ねるほど2次元の世界を日本人が愛好してきたからであり、日本人が3次元の立体を考えるとしても、それは屏風のような平面体の組み合わせとなる、と同書では記述されています。かつてザヌーソは、子供用の椅子であるセッジョリーナをデザインする際、プラスチックをふんだんに使って椅子の量感を出しましたが、ふっくらと丸みを帯びているがゆえに量感(マッス)が表現されれば、3次元の表意図形(抽象彫刻作品)として車の外観デザインを捉えることが可能となります。

5.まとめ:思い付きによるデザインの否定―美学の観点から過去のモデルを系統的に把握する

2002年のMaserati SpyderやCoupéの後部ライトは、ジュージャロによるブーメラン型の後部ライトデザインからの変更を命じるモンテゼーモロによって、ランチャのDedraやSkoda Octaviaの後部ライトのように陳腐なものになってしまっている、とフミアは指摘しています。(折衷主義という立場はあるものの)ある一つのデザインにおいて様々な様式が同時に混在するならば、チッペンダール様式やピエモンテ州の偽バロック様式の椅子のように悪趣味(Cattivo Gusto)となるのであって、カーデザイナーであれ、家具のデザイナーであれ、一般の市民であれ、過去の諸モデルの様式美上の変遷を系統的に整理しつつ、どのモデルが傑出しているのかという点について美学的観点から判断して把握しておくことが望ましいでしょう―そうすることによってデザイナーは、思い付きでデザインすることを避けることができ、一般市民は、自らの生活環境を構成するモノについて、その品の良さを評価できるようになります(人文学ではなく、家具・自動車・テーブルウェア・キッチン等の様式美の変遷について学ぶことが市民にとっての新たな教養となるでしょう)。たとえば、フェラーリでは、Dino 206(Pariji)、Testarossa、512Sの三つが、そしてマセラティならMistral Frua、3500GT、Allemanoの三つがファミリーフィーリングを構成する要素を含んだ傑出したモデルであり、他方、Enzo FerrariやLaFerrariがテスタロッサの系列に属しつつも、フィオラバンティがデザインした2008年のSP1よりもフェラーリらしくない、といった評価を下すことも可能となります。また、P5の系列に属するSensiva(1994)やFlair(1996)―これらも同様にフィオラバンティによるものです―といった高級な電気自動車のコンセプトカーが、早くも90年代に提案されていることも分かります。

日本車の場合、独自のかたちの伝統が形成されてきたとは言い難いでしょう。図12は、2013年の東京モーターショーに出展された三菱・トヨタ(レクサス)・日産(インフィニティ)のフロントビューですが、グローバル市場に輸出した場合はとりわけ、互いのブランドの区別がつかないでしょう。日本車の場合、ファミリーフィーリングは存在せず、モデルフィーリングしかないとフミアは指摘していますが、欧州や南米市場では自らのテイスト(Taste)に合致するようなファミリーフィーリングを備えた車を購入する傾向があるので、それらの市場を狙うならファミリーフィーリングを確立する必要があるでしょう。

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心の底ではフェラーリのようなクルマを期待しつつ、GTのデザインを依頼してきた本田技研に対してフィオラバンティが提案したコンセプトカーとしてのHPXが受け入れられなかったというエピソードがあり、その後、本田技研はHPXを踏まえつつ、フェラーリのコピーであるNS-Xを自ら作ったとフィオラバンティは証言しています。フミアによれば、トヨタのプリウスは、古いAlfa Romeo 146に似ており、レクサスは、ベンツを想起させるということですが、新たなボディフォルムを考案したら、それが過去の任意のフォルムに似ていないかどうか、自動車のボディフォルムの歴史的変遷に詳しいカーデザイナー等にチェックしてもらうと良いでしょう。フミアは、日本車が独自のフォルムを追及した事例として、トヨタのWillが挙げられると述べています。他方、パジェロのフォルムを自らに固有の伝統として持っている三菱の場合は、たとえばSaabのように航空機をモチーフにしてもう一つのフォルムの伝統を創る方法がある、とのことです―たとえばアルファロメオなら「1900・Giulietta」と烏賊の骨のボディを持つ「Duetto」という二種類のフォルムを自らの伝統として持っています(ピニンファリーナがフェラーリに提案して受け入られなかったため、代わりにアルファロメオが採用したTipo 33 Stradaleのフォルムは、フェラーリの伝統に属するものです)。元々、ファミリーフィーリングの考え方は自動車のフロントビューの姿について、ユーザーが他のモデルやブランドと区別して同族に属すると識別できるように差異化するものでしたが、フミアは、フロントのみならず、サイドビューや後ろ姿にもこの考え方を拡張し得ると主張しています。とりわけ、自動車のデザインにおいては、サイドビューにおいて素敵なプロポーションが定められるので、サイドビューからファミリーフィーリングが感じられて他のモデルやブランドと識別可能となるようにできれば理想的だとフミアは考えています。この点で、日産はトヨタよりも進んでいるとみなすことができ、共通するデザイン要素として、フロントビューだけを規定するトヨタと比べて、日産はサイドビューや後ろ姿からもファミリーフィーリングを感じられるように規定しています。

                               終わり

(*)「それからもうひとつ、非常に面白いと思ったのは、これちょっと自動車の話ですいませんけれども、世界中の自動車の模型っていうのは粘土で作るんです。粘土っていうのは盛ったり足したりできるので、彫刻ではなく彫塑と言われるものなんですね。足すことができる。ところがイタリアだけは不思議と、ちょうど木のような、エポウッドと呼ばれるエポキシの木ですね。それを使うんですけれど、これはA液とB液を混ぜて3時間くらい待つと堅くなって、それをノミとカンナとノコギリとサンドペーパーで作るんです。なんでそんなめんどくさいことするのかなっていうと、これは堅い素材でものを作るとできあがるものも実は堅く見える。粘土みたいな柔らかい素材でものを作るとできあがるものも実は非常に柔らかく見える。外に出て走っている日本車のデザインを見てもらって、それに粘土の色を塗ったらどうなるか想像してみてください。もうそのまま粘土に見えます。それは実は粘土で作ってるからです。粘土に見えるどろどろのデザインが日本車になっていて、世界中で評価されていない。それに対してイタリアっていうのは、あまり余計なことできないです。木みたいなもんだから、キャラクターラインなんてこんなもんだから。せいぜいこのくらいの大きさですね。もう小さなこんな面の表情なんてとても出せない。でも全体のたたずまいとか、プロポーションとか、かたまりとか、そういうことがよく表現できるのがイタリアのデザイン。それはなぜかっていうと、大理石を削っていたミケランジェロとかダヴィンチの頃からの職人技というのがずっと今の工業界で生きていて、それがこの車作りに生きていることに気付いた時に、ものすごく感動しました。(強調は引用者)」(https://gigazine.net/news/20110908_moonshot_design_cedec2011/ より)

なお、美術史家のアルガンによれば、自動車とは鎧一式(一揃いの甲冑;armatua)であり、その中にいる人にとって、そういった甲冑の頑丈さとかたちそのものが重要であるということです。というのも、現代では我々の生は、以前にも増してより一層危険になってきており、自動車で出かけることは、あたかも戦争に行くかのように危険だからです。鎧の構成要素である「兜(かぶと;elmo)」一つとっても、何がその完璧なかたち/輪郭にヒントを与えるかを考えるならば、剣で突かれたり、上から下へと切りつけられた際に、その剣を滑らせ、かぶとの厚みではなくかたちによって、中にいる人の安全性を保障するように、かぶとの様々な勾配を決定することから、そのかたちが生まれるのですが、そういったことはあまり考えずに、ブランクーシのような第一級の抽象的な彫刻作品に似せる仕方で、かぶとは作られているということです
Giulio Carlo Argan(1961),“Automobile e design”in Progetto e oggetto Scritti sul design[Project and Object Writings on Design],Medusa,pp.105-116

図の出典:冒頭の図:E.Fumia(2015),Autoritoratto,Fucina,p.404、図1と2:Fumia,op.cit.,p.385、図3:Fumia,op.cit.,p.404、図4:Fumia,op.cit.,p.404、図5:Fumia,op.cit.,p.408,410、図6:Fumia,op.cit.,p.412,pp.416-17、 図7:Fumia,op.cit.,p.388-389、図7:Fumia,op.cit.,p.384,388、図10左:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Alexander_Archipenko,_1912.jpg、中央:https://www.imperialtransilvania.com/ro/2020/04/29/citeste-stirea/argomenti/events-1/articolo/pasarea-maiastra-sau-forma-unica-a-perfectiunii.html、右:http://www.ilmessaggioteano.net/wp-content/uploads/2018/03/st-teresa.jpg、図11:Fumia, op.cit., p.61、図12 上:Fumia, op.cit., p.61、下https://group.renault.com/en/news-on-air/news/mondial2016-key-points-from-the-renault-press-conference/


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