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イタリア:デザイン起業家列伝(10/15)                 ーオフィス家具3社ー

本noteでは、オフィス家具3社をまとめて取り上げます(ユニフォー、テクノ、アノニマ・カスッテッリィ社)。本noteも拙著第5章に基づいています。通常のオフィスに加えて、空港・劇場・大学・図書館等もオフィス家具市場ですので、連結(増設)可能でかっこ良いすっきりとしたオフィス家具も、メード・イン・ジャパン製品として輸出したいところです。

1 ユニフォー(Unifor)


モルテーニ・グループの一員として1974年に設立されたユニフォー社は、主にオフィス用家具を扱う家具メーカーで、早くも1975年にはニューヨークのIBMにオフィステーブルを納めています。ルイ・ヴィトンやブルームバーグのオフィスへも家具を納入し、オフィス用家具分野ではイタリアのリーディング・カンパニーの地位を占めています。ユニフォーを率いるジャンフランコ・マリネッリィ(Gianfranco Marinelli)によると、住居向けの家具調度類一式は、その土地の状況に強く影響を受ける一方で―たとえば、ミラノで適合する洋服ダンスは、東京では適合しません―、オフィス家具の有利な点は、個人の好みや情緒的な側面の影響をあまり受けずに普及させ得ることにあるということです。事実、米国では戦後、サービス業の大発展という好機を捉えて、スチールケース社(Steelcase)などが、書類を整理・収納するためのオフィス用のスチールワゴンを大量に作りましたが、それらは、デザインを最低限の要素へと縮減したため、代わり映えしないものであったということです。他方、イタリアでは、カルデックス(Cardex)社がデザイナーのジオ・ポンティと協業してオフィス用の洒落れたワゴンを作ってきましたが、現在のリーディング・カンパニーは、ユニフォーであり、往時にはデザイン性のある家具で業界を牽引してきたテクノ社(Tecno)社は、事業継承の際に一族の間でトラブルが起き、市場での地位を失ってしまいました。テクノ社は、兄のオズヴァルド・ボルサーニ(Osvaldo Borsani)がデザインを行い、弟のフルジェンツィオ・ボルサーニ(Fulgenzio Borsani)がマネジメント業務を行うというコンビで(冒頭の写真)、例えば70年代には先進的なグラフィス(Graphis)[図3]という机を世に出しましたが、それは諸要素を簡素化することで机を作る仕方に革命を起こしたということです。
事業継承の際のトラブルが原因で市場での地位を失ったという点では、アノニマ・カステッリ(Anonima Castelli)社も同様であり、他方、オリベッティ・シンテーシス(OlivettiSynthesis)社の場合は、コアビジネスとしてオフィス用家具ではなくパソコンの方に注力することになったためだということです。マリネッリィによれば、事業継承だけが家族経営の唯一の難点であって、他に家族経営のディメリットは存在しません。なお、将来を見通し、企業を一定の方向へと導くリーダーの資質は、他の人に伝えられる能力ではなく天性のものであり、一族の中で次世代の起業家が見当たらない場合、市場の中でそういったリーダーを見つけることになりますが、それはなかなか難しいということですー稀な例としてグッチを率いたトムフォードが挙げられます。図1が、マリネッリィの共起ネットワーク図です。

マリネッリィ11

1.1 デザインマネジメント

ユニフォーという企業のクオリティを保証する経営方針は、(1)他社製品を決してコピーしないこと、(2)革新が困難な領域で革新を行うこと、(3)製品の長寿命化を意味する「簡素さ」を探求すること、であり、これらの経営方針はデザイナーにも共有されているということです。デザイナーに接するマリネッティの態度は、融通が効く洋服の仕立て屋(sartoria)と似ていて、デザイナーの要請を知的な仕方で解釈することであり、こうしてコンパッソ・ドーロ賞を取ったナオス・システム(Naòs System)[図2]が生まれました―このオフィス家具システムは、シンプルですが組み合わせが豊富でデザイナーのピエルルイジ・チェッリがデザインしたものです。マリネッリィによれば、非常に長い机で業務を行う現場の要請を最初に直観したのは、ユニフォー社であり―その結果ベンチ(i bench)という商品が生まれました―、また、各部屋が壁で仕切られて孤立していた時代に、プライバシーに配慮しつつ、他社に先駆けて打ち合わせスペースを仕切る壁を透明なものにしたということです。
つまり、マリネッリィの述べることに解釈を加えるならば、非常に長い机があることで、従業員相互が一定程度離れて座ることなり、その結果、プライバシーへの配慮がなされると同時に、席を立って休憩に行く人の後を追いかけてオープンスペースで雑談することが可能になります。また、透明な仕切り板を導入することで、外から打ち合わせの状況が一目瞭然で分かるため、コミュニケーションの促進につながるような効果が期待できるでしょう。
そのほか、マリネッリィの記憶に残っているデザイナーとして、ジャン・ヌヴェル(Jean Nouvel)がおり、1994年に彼がデザインしたシンプルなレス(Less)[図2]という机は、脚を交換できるようにしたため、10年間でオフィス向けに1万5千セット、家庭用に1万セット売れたということです。なお、テーブルと椅子を作る技術は全く異なるため、提供しているテーブルとクオリティが比肩し得るような椅子は作れず、椅子についてはヴィトラ社から提供してもらっています。

図2レス

最後に、マリネッリィはドイツの家具メーカーやキッチン製造業者が市場から姿を消した経緯について次のように証言している。
「1970年代は、ブリアンツァの企業は、着想(インスピレーション)を得ようとして、ケルンのメッセに出展したが、最近の情勢は反対で、ドイツの家具調度品については、完全に停滞しているというか、市場から姿を消した。キッチンの分野でもドイツの産業は消滅したが、その理由として、ドイツ人は、製造拠点をアジアへと移転するからである。難しい作業や探求は企業内で保持すべきで、なぜならそれがコアビジネスであり、付加価値であるからだ。家具産業は、思った以上に、人間的な要素のクオリティによって影響され、高度な研究と技術革新を遂行するユニフォーのような企業にとって、海外で製品を作るのは不可能であり、だからこそイタリア内部で生産を続けるのであって、そうすることで我々のデザインシステムを守ることができる。それが我々の責務である。」


2 テクノ(Tecno)


1953年に創業したテクノ社は、前述したように兄のオズヴァルド・ボルサーニがデザイン業務を行っていました。弟のフルジェンツィオは、マネジメント面を担当し、2004年現在の起業家であるパオロ・ボルサーニは、フルジェンツィオの息子です(ボルサーニ兄弟の分業体制は、カッシーナ兄弟を想起させます。)。ボルサーニ兄弟の父は、かつて、ミラノの資産家のためのインテリアのプロジェクトに「未来派」の芸術家たちを巻き込んだのですが、息子のオズヴァルドも、ルーチョ・フォンターナや彫刻家のファウスト・メロッティなどの芸術家と協業したということです。テクノ社はまた、業界に先駆けて、インテリア雑誌である“八角形(Ottagono)”という意味のインテリア雑誌を創刊しました。これは、テクノ・ボッフィ・カッシーナ・アルフレクスの四社で、販売ネットワークを支援しつつ、需要者側にインテリアの教養を授けるためのものでした―イタリアのデザイン起業家には、インテリアや建築に関する雑誌を自ら創刊する傾向があります。テクノ社は、前節で述べたような事業継承の際のトラブルもあり、2010年にフラウ傘下となり、2017年にはザノッタ社と統合されます。

テクノ社

2.1 デザインマネジメント


パオロに代替わりしてからは、デザイナーのP.リッソーニの助けを借りて、過去の家具モデルのアップデートが行われました。アップデートの指針は、ノーマン・フォスターがデザインしたノモス(Nomos)[図3]のように、オフィスでも住居でも使えるようなものですが、机が将来どのようになるのか、そしてオフィスの中でどこに座るようになるかは全くもって分からないということです。現在は、フォスターとともに、移動可能な仕切り壁というテーマでオフィスのデザイン・プロジェクトを推進しているとのことです。部屋と部屋との間を仕切る(区切る)には、壁面収納の壁(interpareti)・通常のガラス戸(vetrata)・演劇/オペラの舞台のカーテンのような壁(quinta)などがありますが、ボルサーニによれば、この内、壁面収納の壁は元々住居で活用されていたものが、オフィスに転用されたものだということです。
ボルサーニにとって思い出深いプロジェクトは、インテリアデザインと建築との統合が上手く行った、国有の石油・ガス会社であるENIのオフィスビルプロジェクトであり、このプロジェクトでテクノ社は、民主的なビジョンに則って職場の上下関係(階層秩序)が消失するようなオフィスデザインを業界で初めて構想したということです―その後も、オフィス全体を白色で統一することで職場の上下関係を無効にするようなプロジェクトが行われ、机のグラフィス(Graphis)[図3]などはあまりに白いので、1968年当時、デモ隊が何かを書きつけるボードとして利用したほどでした。
ENIのオフィスビルプロジェクトでは、建築家のマリオ・オリヴィエリ(Mario Olivieri)が、八角形のかたちをしたビルを設計し、デザイナーのニッツォーリがインテリアデザインを担当しました。建築構造が八角形であるため、ホール(公会堂)の設置に好都合であると同時に、ビル内の壁が千差万別となり、直線的な廊下であるがゆえに向こうまで見渡せるような単調で画一的な空間が出現するのを妨げています―客室も備えていました。また、人間工学を踏まえたL字型の机も設置されました。当時の大企業の経営者らは、デザイン性の優れたオフィス家具の選定に熱心でしたが、これは、自社のイメージアップにオフィスのインテリアデザインが影響を及ぼすと考えたためです。たとえば、タイヤメーカーのピレッリ社を率いるアルベルト・ピレッリ(Alberto Pirelli)などは、自社ビルを建築する際にジオ・ポンティと協業しました(ピレッリビルのモデルとしてポンティが考えたのは、倒れそうで倒れないという意味で、静と動があり得ないバランスを取っているオベリスクでした。)。前述のENIのオフィスビルプロジェクトでは、総裁のエンリコ・マッテイ(Enrico Mattei)が、自ら心を配った美しいオフィス家具をイランからの来客である王(シャー)に見せたところ、驚嘆したシャーは妹の住居およびテヘランの別荘にテクノ社のオフィス家具を入れる契約を結んだということです。その後、時代が下ると、企業内部の購買担当者がオフィス家具の選定を行うようになってしまい、デザイン性の優れたオフィス家具を経営者自らが選定するという慣行が途切れてしまったのが残念であると証言しています。ENIのプロジェクト成功は中東市場の開拓にもつながりましたー元々テクノ社は、アルフレクス社とともに他社に先駆けて外国市場を開拓することに熱心でした。このことは、他の起業家と比べて、ボルサーニの共起ネットワーク図に、フランス(francese)・中国(cina)・イランの王であるシャー(scià)・外国(estro)といった海外市場に関する用語が数多く見られることに繋がっています(図4)。

図4テクノ

EU市場の開拓と比べて、中国市場の開拓は難題であり、元々、家具を扱うイタリアの企業は中小企業であるため、中国などの遠隔地に家具を輸出するなら大量に送らないと、輸送費用が品質を管理するコストを上回ってしまうと証言しています(このため、中国では上海や北京などの空港の入札にのみ参加しています。)。中国以外では、フランスの鉄道のための座席シートなどを提供しているということですが、イタリアの家具産業が世界的規模の販売ネットワークを構築する一つの方法として、スナイデロ(Snaidero)社がドイツのラショナル(Rational)社を買収したように自らを大企業化する仕方がありますが、その場合は、生産拠点を中国などの低賃金国に移転させることで、斬新なデザイン家具を生み出せなくなって見本市での存在感を失ってしまいます。実際、1994年には2000名もの従業員がおり、ケルンの見本市で輝きを放っていたドイツのフォーゴ(Fogo)のような企業は、今では見る影もないということです。要するに、いかに国際見本市で斬新でカッコよい製品を出展することがその後の企業の成長にとって大切なのか、ということが彼の証言からわかります

3 アノニマ・カステッリ(Anonima Castelli)


エットレ・カステッリ(Ettore Castelli)によって1877年に創業されたカステッリ社は、“ボローニャ・スタイル(sile bolognese)”と呼ばれる、青銅製の円型飾り鋲を備えた堅牢な黒ずんだ高級家具を制作していましたが―従って、エットレ・カステッリは、黒檀などの高級材を用いて家具を作る匠の技を持った職人であるエバニスタ(ebanista)でした―、戦後は、オフィス需要の伸びに伴い、木製のオフィス家具や、空港・劇場・大学講義室用の椅子を作るようになりました。創業者の子孫であるアントニオ・カステッリ(Antonio Castelli)によると、木製のオフィス家具の内、最低ランクのものは、栗(castagno)とブナ(faggio)の木から作られた家具でしたが、高価なクルミの木を使うことでクオリティの高いPSシリーズ(Special Pieces)と呼ばれるオフィス家具(キャビネットを含めて)を手掛けるようになったということです―檜の木が高級材とされる日本の常識が、海外でも受け入れられるかどうかは分かりません。カステッリ社は、1980年代の中ごろ、イタリアを代表するオフィスや公共スペースの家具を扱う企業へと成長しましたが、経営方針を巡って二代目チェーザレの娘であるレオニダ・カステッリ(Leonida Castelli)とその義理の兄であるジュリオ・ポンツェッリーニ(Giulio Ponzellini)との間で対立が生じ、1994年に米国のヘイワース・グループ(Haworth Group)の傘下に入ることとなりました。現在では、一族の子孫であるPaolo Castelliが一族の精神を引き継いでPaolo Castelli社を経営しています(*)。

3.1 デザインマネジメント


1990年に行われたインタビューでアントニオが残念に思っていることは、テクノ社同様、時代が下ると、オフィス家具を経営者自ら選定する慣習が廃れてしまったことです。かつての経営者は、妻も連れてワクワクしながら重役室の家具の選定を行ったものだが、今日では、購買担当者によって費用がかけられずに頻繁に重役室の家具が買い替えられてしまうということです。
カッシーナ社同様、創業者のエットレ・カステッリに続いて二代目起業家のチェーザレ・カステッリ(Cesare Castelli)も、「研究センター&プロジェクト(Centro Studi e Progetti)」という名称のデザイン研究所の活動を大いに支持しました―デザイン起業家は、新たな生活様式を提案するようなインテリア・建築雑誌の刊行に加えて、デザイン研究所を開設するのが特徴であると言えます。その活動からジャンカルロ・ピレッティ(Giancarlo Piretti)の手によって106(1965年)およびプリア(Plia;1970年)という著名な椅子が生まれました(図5)。

図5アノニナ

106は、アントニオによると、背もたれと座席(シート)の間に空洞があって、上に重ねられるタイプの椅子であり、他方、プリア(Plia)の方は、壁に掛けたり、持ち運ぶことが可能な折り畳み式の椅子であって、家庭でも職場でも使用可能なものでした。パイラル(Piral)と呼ばれるアルミニウム合金でできた旋回軸の部分で、座席と背もたれと脚が交差しており、座席と背もたれが透明なプラスチックでできている理由は、透明ならば折り畳んだり、椅子を開く動作がよく見えて、視覚上の快を感じることができるからです。当初、この特殊な旋回軸の素材は、アルミニウムと鉄のどちらで作れば体重を支える強度が確保できるか分かりませんでしたが、試行錯誤の後、旋回軸の直径を大きくしつつ、鉄を少し混ぜたアルミニウム合金とすることで、軽いながらも上記の課題を解決することができました。プリアを初めて観たマーケティング担当者は、現在市場に存在する製品とあまりに違うので、軒並み否定的な反応を示し、肘掛けの追加や座席や背もたれに詰め物をすることなどを求めてきましたが、一切の修正を加えなかったということです。また、競合他社の中には、プリアでカステッリ社は数年内に破産すると言う者もいましたが、11250リラという低価格での発売もあって大成功を収めました―プリアを見たファッションデザイナーのミラ・ショーン(Mila Schön)は、自分の店用に即座に800セット注文したということです。この経験から、デザイナーのピレッティは、プリアに修正を加えなかったことが自信となり、その後のプロジェクトでも、現在市場に存在している製品から成否を判断してしまうマーケティング担当者の意見をますます考慮しなくなったということです。プリアは、15世紀のイタリアの修道院で宗教的な儀式を行う際に、一時的に使われる折り畳み式の椅子であるサヴォナローラ(Savonarola)のように、“緊急用の”椅子なのであって、長時間のデスクワークを想定したものでなく、かくして座り心地よりも美的な外観を優先させ得るというコンセプトに基づくものなのです―マーケティング担当者の修正要求は、当初のデザインコンセプトに合致しません。プリアは、サヴォナローラの現代版とも言うべき椅子でした。

1979年に発売されたヴェルテブラ(Vertebra;椎骨)[図5]という名の椅子の開発は、人間工学の専門家らが座っている人を観察したところ、10分毎に座る位置を変えていることが分かったため、自由な動きができるような椅子を作るというデザインコンセプトから始まりました。この椅子は、現在でも人間工学を活かしたデザインの傑作であり、前のめりモード、垂直モード、リラックスモード、後ろ倒しモードという四つのポジションが可能で、どのポジションでも臀部・大腿・脚への体重分散が均等に行われ、筋肉の緊張が生ぜず、それでいて血液循環が阻害されることのないように配慮されています。アントニオ・カステッリによると、日本では、イトーキ(ITOKI)がライセンスに基づいてこのヴェルテブラを生産したということです―その他の製品についても、オカムラ(OKAMURA)にライセンス供与したと証言しています。
そして1986年には、リチャード・サッパーがFrom Nine to Five[図5]というオフィス家具をデザインしました。サッパーは、触知可能で視覚上のインパクトを備え、情緒を喚起するモノをデザインすることで、産業システムが課してくる反復的で単調なルーティンワークに由来する苛立ちや不平不満を和らげることを考えました。9時から5時まで(From Nine to Five)という一つのオフィス家具システムにおいては、人間工学・テクノロジー・素材・デザイン上の要件が全て同時に満たされており、とりわけ、机の高さを身長に合わせて変えることができるという当時としては画期的な仕組みがありました(キッチンでもそうありたいものです)。コンセントも外から見えないようにパネルの内側に配置され、また、配線コードを目立たないように机の梁の中にしまって、すっきりした美観を実現しており、1987年にはコンパッソ・ドーロを受賞したということです。
場所の制約から人々を解放するモバイル端末の登場によって、オフィス・公共スペース・自宅の住居という区別が曖昧なものとなり、任意の場所と時間で仕事をすることができるようになりましたが、それに伴い、付加価値の源であるコミュニケーションのクオリティを高めるような労働モデルが考えられるようになりました。コミュニケーションのクオリティを高めるためには、たとえばヨットをオフィス化して海に癒されながら仕事を行えるヨットオフィス(1990年代初頭には、ヨットオフィスに関する議論が盛んに行われるようになりました)も有効でしょう。ヨットの操船は、刻一刻と変化する海の状況の応じて、その都度の判断が求められるため企業経営と変わらない、とプラダは証言していますので、ヨットの操船は企業経営の予行演習にもなるでしょう。

4 終わりに

イタリアのデザイン理論を踏まえるとオフィス環境の美をどのように考えたらよいのでしょう?それは、ナオス・システムやレスのように、組み合わせが豊富(連結可能)でシンプル(簡素)な製品からなるものだと言えます。ジョン・マエダは、『The Laws of Simplicity』 (MIT Press, 2006)で、余計な機能を省けばシステムを簡素化できると述べていますが、すっきりとしたオフィスの景観を実現するのは「フィボナッチ数列の美」です(C.Martino(2013),Lezioni di Design,Rdesignpress,pp.325-333)。連結可能なモジュールとしての椅子やテーブルを組み合わせて、自然界にある巻貝の螺旋模様の美(あるいは多数ある雲・葉・水滴・霧・花束などの美;多数性の美)に近づくようにするのです。幾何の法則を適用しただけの無味乾燥な数学的な美ではなく、リズムとバリエーションがコントラストをなすような自然界にあるフィボナッチ数列の美です。なお、モジュールとして連結可能ということは大量生産ができるということであり、当然、米国企業はこの種の製品を大量に市場に供給して成功した、と前述のマリネッリィは述べています。極めてダイナミックに変化する自然の中で暮らす日本人は、自然界にあるこの種のフィボナッチ数列の美に詳しいだろうとイタリア人は考えていますー日本独自のデザイン理論が発展する可能性がここにあります。

最後に、『ドムス(domus)』の編集長も務めたデザイナーのベッリーニが家電について指摘するところによると、オリベッティがオフィスの文化を提供する方針であった一方で、IBMはパソコンなどのOA機器をより多く売ろうとするということです。結果として、オリベッティはイタリア的なオフィス文化を象徴し、IBMはアメリカ的なOA機器の代名詞となったのです。同様にデザイナーのソットサスも佐藤和子氏のインタビューに次のように答えています。「私はロベルト・オリベッティに言い続けてきた。あなた方は、機械を売ってはいけない。あなた方は、オフィスの文化を売らねばならないと。この“機械だけを売ってはいけない”ということは、とても重要な点なんだ。」(**)つまり、インテリアとしてのオフィス環境を人々に提供しようとすべきであって、プリンターやパソコン単体の売上を伸ばそうと考えてはいけないということです。日本の家電量販店でも美観を備えたオフィス(モデルルーム)の事例を展示して欲しいところですね。

(*)https://www.paolocastelli.com/en/our-history/

(**)(佐藤和子『「時」を生きるイタリア・デザイン』TBSブリタニカ, 2001年, p.347

画像出典:冒頭写真:https://bit.ly/3qJPukF,https://bit.ly/3Der9GS,https://bit.ly/3qAZFI4、図2:https://bit.ly/3Cmng1g,https://bit.ly/30xhPzF、図3:https://bit.ly/30wBTCn,https://bit.ly/3ch1tNU、図5:https://bit.ly/325s7HV,https://bit.ly/3ng9tVD,https://bit.ly/3wNGtI4,https://bit.ly/3ouxyaM,https://bit.ly/3DlpNdo

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