北川航也

プロサッカー選手。 1996年7月26日生まれ。静岡県出身。 ピュアSC - 城北SS…

北川航也

プロサッカー選手。 1996年7月26日生まれ。静岡県出身。 ピュアSC - 城北SSS - 清水エスパルスジュニアユース - 清水エスパルスユース - 清水エスパルス - SKラピード・ウィーン。 NO.32 http://www.koyakitagawa.com

最近の記事

No.4〜僕のワンダフル〜

 最近、見た映画に色々考えさせられた。 “僕のワンダフル・ライフ”“僕のワンダフル・ジャーニー” 愛犬が姿を変えながら、犬生を生きる物語である。  何日経っても、いつになっても、愛犬の事は、忘れられない。 忘れるわけがない。 私にも愛犬がいた。 名前は“コルク” 人懐っこくて、通り行く人に、愛想を振りまく。  コルクとの出会いは、私の一目惚れだ。 トイプードルとヨークシャーテリアのMIX犬で三兄弟だった。 コルクはヨークシャー寄りでストレートな毛並み、顔立ち。 会ったその

    • No.3〜トレーニングのある1日〜

       私の1日を書いていこうと思う。 ただの日記みたいな物なので、「そうなんだ〜」とか、「へぇ〜」みたいな感じで読んでいただけると嬉しい。 6:30 起床 トレーニングが10:00なので朝ご飯を3時間前に食べたいので、 だいたいこの時間に起きる。 ちなみに朝は、弱い。 6:40体組成測定 最近は毎日測る。その日の状態が分かる。TANITAを使用。携帯と連動しているので、分かりやすい。 朝ご飯の前に白湯を飲む。オーストリアの朝は、寒い。 7:00朝ご飯 妻が用意してくれてる。

      • No.2〜誕生日〜

        7月26日は自分の誕生日です。 たくさんのメッセージありがとうございます(^^) 一つ一つ読んでます! この1年を振り返ってみたいと思います。 オーストリアに来て約1年になる。 色々と文化の違いや、 言葉など大変な事もあるけど 徐々に慣れてきて楽しんで生活できてる。 言葉に関しても、簡単な単語やゆっくり話してもえばある程度は理解できるようになった。 ロッカールームでの会話も理解できる。 (服装、集合場所、時間、などなど。) 自分が思ってる事も、 単語を並べて身振り手振りで

        • No.1〜こだわり〜

             自分がサッカーしてる事もあって スパイクにはこだわりがある。 1人1人こだわりがある選手もいれば そこまでこだわらない選手もいる。 人工皮革なのか天然皮革なのか ニット素材なのか。 スパイクも色々な種類がある。 プロになる前からプーマを履いてきた。 担当の人と話し合いながら、試行錯誤してる。 質感、サイズ感、重さ、カラー。 自分に合ったスパイクを履くのが大事。 パフォーマンスに直接影響するからだ。 自分のパフォーマンスを最大限活かしてくれるのがスパイク。

        No.4〜僕のワンダフル〜

          SK RapidWien (ラピード•ウィーン)

          初めての移籍。 たくさんの方に見送られオーストリアへ出発した。 不安や寂しさもあったが、 楽しみで、ワクワク感の方が大きかった。 また一からポジション争いをし、 自分のことを誰も知らない所で勝負したかった。 言葉が通じない、文化や考え方が違う。 最初は戸惑いがあったが チームやチームメイトが助けてくれた。 最も助けてくれたのは、 キャプテンのシュテファン・シュワーブだ。 英語もドイツ語も話せない自分に いつも話しかけてくれる。 わかりやすいように、簡単な単語を並べてくれ

          SK RapidWien (ラピード•ウィーン)

           清水エスパルス

           清水エスパルスでの思い出は、 数えきれないほどたくさんだ。 降格、昇格、残留、1桁順位、日本代表。 どれも自分にとっても 清水エスパルスにとっても大切な経験だし 思い出だと思う。 たくさんの選手とサッカーをして 似てる感性を持った人はいても 1人1人全然違う。 その選手を生かす事で自分も生きる。 プロに入ってその事を1番に 考えるようになった。 毎年、毎年、選手が入れ替わるプロの世界。 いろんな選手とコミュニケーションとりながら チームとして機能していく。 そこ

           清水エスパルス

          経験、発見。

           アンダーの日本代表に定期的に選ばれてるようになった。 そこでは、色々なポジションをやる。 清水エスパルスユースでは 主にFW(フォワード)。 高校1年生の時はサイドをやる事が 多くあった。 だけど、アンダーの日本代表では違う。 ほとんどFWはやってない。 特に何も考えず、選ばれ続けたかったから どんなポジションでもやった。 CB(センターバック)が多かったと思う。 "なぜだろう"と思う事が多かったし、 "自分なら"って思う事もあった。 その中で色々な発見があったの

          経験、発見。

          今だから言えること。

             誰にも言ってないから 知らない人が多いと思うが。 中学に上がる前、自分は迷っていた。 ジュビロ磐田に行くべきか、 清水エスパルスに行くべきか。 なぜ、迷っていたかと言うと、 梅村晴貴の存在だ。 彼は中学から ジュビロ磐田の下部組織に進んだ。 同じところでやりたいと思っていたので ジュビロ磐田のセレクションを受けたし 実際に練習見学もした。 結局、ジュビロ磐田には行かなかったんだけど。 闘うことを選択した。 静岡って凄いと感じた。 全国を代表する2つのクラブが

          今だから言えること。

          違う感覚

          日々サッカーに打ち込み、 特に明確な目標はなかったが 大好きなサッカーを純粋に楽しんでいた。 試合に勝つ事もあれば負ける事もあり その中でいろいろ学び次に進む。 父は特に怖かった。 ミスしたことに対して怒られたことは無かったが、自分のプレーをしなかったり、 ミスを味方に押し付けたり、 100%でプレーしない時には物凄く怒られた。 小学生3年生までピュアSCにお世話になり 4年生になる前に城北SSSへ移籍した。 なぜチームを移ることになったのかは 自分にはわからない。

          違う感覚

          初めてのコーチ

           これまでは、保育園の園庭でボールを蹴るだけだったが、本格的にサッカーを始めた。 なぜか分からないが気づいたらサッカーボールを蹴っていた。 たぶん、兄の影響もあったと思う。 兄がバスケをやってたらバスケだと思うし、ラグビーをやってたらラグビーだと思う。 野球って事もあっただろうし… いや、野球はないと思う。 何にせよ坊主にするのが本当に嫌だったからだ笑 兄がサッカーを始めたことにより、自分も真似してボールを蹴った。  ピュアSC本格的にクラブチームに入るのが5歳の時。

          初めてのコーチ

          幼少期の自分

          これは自分の覚えてる範囲の事なので曖昧な部分があります笑 サッカーとの出会いは4、5歳。隣人会保育園の園庭でボールを蹴り始める。 それも兄の影響で。 いつも兄の真似をし、ついて回って同じことをしてた。 だから、いつも遊ぶのは兄の友達。 この頃はほぼ自分と同じ年の友達と遊んでいなかった。 それに、みんないつでも優しくて、褒めてくれて、たくさん遊んでくれるお兄ちゃん達が大好きだった。 居心地が良かった。 今思えば、友達の弟と一緒に同じように遊んでくれてると思うと、変な感じ。

          幼少期の自分

          初めに。

           こんにちは。初めまして北川航也です。 自分が日々過ごしてる時間を皆さんと共有できればと思いnoteを始めました。 ここでは、自分が日頃生活していく中で、感じたこと、思ったこと、気づいたこと、趣味などいろいろなことを発信していきます。 まず、自分のことを知らない方が多いと思うので簡単な自己紹介をさせてください。 北川航也(キタガワコウヤ)。 1996年7月26日。現在23歳 獅子座。子年。静岡県静岡市出身。 父母兄自分妹。既婚。 現在、妻と愛犬コルクとオーストリア、ウ

          初めに。