遊びほうけると遊ぶはちがう
金曜日の京都新聞の『ソフィア京都新聞文化会議』が好きで毎週楽しみにしています。毎週様々な業界の著名人が専門分野に関するあれやこれやを執筆していて、今週は桜守の佐野藤右衛門さんでした。佐野さんはアイヌ文化が好きで「自然に対する態度がすばらしい。狩猟は必要なだけ。使ったものは土に返す。自然への感謝の気持ちは、木の扱いに通じると思う」ということです。むしり取れるものはむしり取る、とか、金こそが全て、とか、そういうことを平気で言えてしまう人が昨今増えてきましたよね。そんななかでこのアイヌ文化における自然に対する態度は本当にすばらしい。昔からみんな大事にしてきたことのはずなんですが。
アイヌ文化といえば、結婚観も独特で、これは記憶がやや曖昧なんですが「花嫁にやる」という感覚がなく、「やる」ではなく「貸す借りる」という感じらしく「お借りしているのだから大切にしなければならない」と考えるんだそうです。確かアイヌ文化研究の第一人者である萱野茂さんの書籍で読んだ気がするんですが、ひょっとするとまったく違うかもしれません。間違ってたらごめんなさい。でも読んだ当時、非常に感銘を受けたことなので大きく間違ってはいないと思う。と、このくらい慎重にならないとネット上に文章なんて書いちゃいけません。それならテキトーなことを書くなよといわれればそれまでの話。
しかし余計なこととか適当なこととかも書きたいという気持ちもある。面白おかしく書いてしまえばいいじゃねえか、まにうけた奴が悪いんだよ、と思ったりもする。幸い、いま、そのかつて感銘を受けた萱野茂さんの著書を図書館で借りているので家に帰ればすぐ確認できるから確認しておきたい。それなら確認してから書けよといわれればそれまでの話。
佐野さんの言葉をもう少し以下に引用しちゃう。「若い人もぜひ土や自然に、遊び心でもっと関心を寄せてほしい。遊ぶといっても、遊びほうけるという意味ではない。ゆったりとした気持ちで、いろいろなものを見ることが大事。勉強だけでもあるところまでは行けるけど、遊び心があるとさらにその先まで行けるということや。」
こういう意見をまにうけると残念ながら多くの人が「遊びほうける」んですよね。遊ぶことも大事なんていう免罪符を手に入れてしまったら本来やらなければならない仕事までほったらかしの他人任せにしたうえで、自分のやりたい遊びにだけ興じたうえに「遊んでいるんじゃなくてこれも仕事なんです」と開き直ったりするんですよね。いい大人が「遊びほうける」のと「遊ぶ」のとの違いをわからず遊びほうける。遊びほうけるために立場の弱い人たちの自由な時間を犠牲にする。そういうことが罷り通る。そういう人が今日の佐野さんの言葉を咀嚼すると「そうか、やっぱり僕のやってきたことは間違いじゃなかったんだ」となってしまう。できれば読んで欲しくない。
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