見出し画像

エレベーターガール消失

職場は四条烏丸の商業施設の8階にある。毎朝、エレベーターで1階から8階まで行く。エレベーターは2基あり、もちろん共用なので誰もが平等に乗る権利を有するわけで、それを私はどうこう思うことなど無いのだが、私がどうしても気になるのは、あの、エレベーターを1階に呼び寄せるボタンのことで、このボタンは1基につき1つある(つまり2つある)のだが、身一つでこのボタンを2つとも押す人のことがどうしても気になってしまう。

体は一つ、動いている(動かしている)エレベーターは2基ということは、必ず1基の動きは無駄になる。電力は有限であることを思えば、ほんの些細なことかもしれないが、私としては片方の1基分の動きくらいは無駄にしたくない。しかし、2基とも呼び寄せる人は、電力の浪費より、むしろ早く目的地に辿り着くための最善策として2基とも呼び寄せている。なんとなく苦々しく思っていたら、別のある日、いつもお世話になっている小田切さん(仮名)とたまたま帰りが一緒になり、8階のエレベーターの前に立つと、彼が慣れた手付きで2つのボタンを押した。あれは初めての手付きではなかった。こんなことでさえ、初めてのことか手慣れているのかがバレてしまうのだから、童貞なんぞ隠せるわけがないと思った。

私が情けないところは、こういう時に自分の主張を隠してしまうところだ。ついでに言うと、自分より立場が下の人間には逆に自分の主張を押し付けがちになる。どうすればよいのか、といえば、一番いいのはお互いが意見を述べ合い妥協点を見出すことだろう。小田切さんが相手であれば、「僕は2つボタンを押すのはなんか電力の無駄遣いって感じがしてイヤなんですよね」といえば、意外に小田切さんも「そうか、その発想はなかったな。確かにそうかもしれない。次からは僕も一つしか押さないようにするよ」となるかもしれないし、逆にこちらが納得する言い分を聞けたりするかもしれない。

しかし、こんなことを書いていながら、どうして主張を隠してしまうのかを私はわかっている。実に「この程度」のことで烈火の如く怒り狂いムキになって反論してこられる方がいてものすごく傷ついたことがこれまでに何度もあるからだ。こちらとしては、お互いの違いに面白さを見出してそこから会話が広がればいいと、それこそ、例えば「お鍋の具材で何が好きか」くらいのピースフルな話題みたいにわいわい話していきたいのだが、どうもなかなかそういうわけにはいかない。政治の話なんかでも、右とか左とか、自民とか共産とか、対話の余地がなく、相手の言い分を抑え込むことにばかり躍起になるから、そりゃ「論破」がもてはやされるわけだ。

そんなことを考えながら日々生きていると、声をあげる人の横で主張を押し殺している人のなんと多いことかと思う。声をあげる人は声をあげない人が賛同してくれていると勘違いしがちなのだが、面倒だから関わらないようにしているだけだったりする。

そういう人を近くで見ていると、自分はせめて、他人の意見を聞く耳だけはしっかり持っておこうと思う。「聞く力」があるという方が首相になられたのだから、世の中がそういう方向に流れていけばいい。本当に「聞く力」があるのかどうかはこれからわかることだけど。

※タイトルの意味がわかる人はおそらくほとんどいないでしょう。ザ☆マジシャンズというバンドの曲のタイトルです。

#令和3年11月12日  #コラム #日記 #エッセイ
#note日記  #毎日更新 #毎日note
#多様性社会  #ダイバーシティー
#ジャミロワクイ  #ジャミロ涌井 #聞く力

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?