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導入で楽をして本題に備えなさい

秋は楽だ。何が楽かといえば、導入が楽だ。ラジオではDJさんが何かしら話をする。そのDJさんの話をする台本を書いたりすることがある。台本と言うと一言一句決まっているのかと誤解されそうだが、それほど厳密なものではなく、もっとシンプルな「道筋」のようなものだ。その「道筋」を作るのに一番大変なのは、やっぱり導入なのである。導入がずれていると話は面白くないし、共感してもらえない。少し前に誰か知らない人が書いた台本で「結婚して子供を生んで、いまは子育てが大変だけど、さぁ、この子が成長した時にはどんな未来が待っているのかと思うと夢が広がりますよね!」というような、詳細は覚えていないが、なんにせよ、この程度にはきっと誰かの気持ちを逆撫でしてそうな導入のものがあり、驚いた覚えがある。内容はいちいち覚えてなくても、その時に抱いた感情は「負」であればあるほどよく覚えているものだ。

さて。
なぜ秋が楽なのか、といえば、他の季節に比べて格段に導入部分を作りやすいのだ。「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」「食欲の秋」これだけあれば、DJさんの話すほとんどの内容を網羅できるんではないかしら。例えば何か美味しいものの紹介をしたい場合には、「食欲の秋です!そこで、今日のこの時間は〜」などと書いておけば問題はない。映画も音楽も美術もそのあたりは全部「芸術の秋」で対応できるし、アウトドアは「スポーツの秋」でいける。とにかく秋は楽なのだ。

大事なのは「本題」なのだから、本題に至るまでの「導入」については、楽をできればそれに越したことはないが、この「導入」を誤ると「本題」のクオリティに大きく影響してしまう、かといって、一番大事なのは「本題」なのであるから、正直なところ、「導入」にはそんなに時間を割きたくない。そんな葛藤を抱える私たちにとって「◯◯の秋」はまさに魔法の言葉なのである。

思えば「時候の挨拶」というのも、本来そういうものなのだろう。唐突に本題に入るのは品が無いようであるが、かといって本題に入るまでの前振りをいちいち考えるのはなかなか骨が折れる、どないしよかな、あ、そうか、いつでも使える時候の挨拶を作っておけば形式をそれに倣っておいたらすぐに本題に入れるやん!っていうことなのではないか。※今となっては知らないが故に逆に時候の挨拶を覚えることが大変だったりするんやが。

こういう、大切なことなんだけど、あんまりそこに構っていられないってことに関して、決まり事を作って上手いこと楽をするシステム作りが日本人は昔からすごく上手だと思う。暑かろうが寒かろうがなんであろうが決められた日に衣更をするとか、そういうのって、今は逆に「いやいやその日ごとの気温に合わせて臨機応変に行こうや」となるわけやが、しかし、その臨機応変がめんどくさいという場合には、決まってしまっているほうが、体が楽かどうかは別として気持ちは楽になると思う。

現代社会が何かと忙しいのは、そういうところで楽をしなくなったからなのかもしれないし、逆にそういうところの「楽」が「楽」じゃなくなってしまったからなのかもしれないし、そういうところで「楽」ができなくなったがために肝心の「本題」のところを手抜きするようになってしまったり、肝心なところで思考停止に陥ってたりするのかもしれない。

なんとなく私たちは楽をする場所を間違えているのではないかしら、と思う次第。こうやって何かと物思いに耽ってしまうのも秋なんだなーっていう程度の思考停止をしておくことで、もっと大事なところへ費やすエネルギーを貯めておくことが、限られた燃料を使ううえでは必要なのではないかしら。

#令和3年11月9日  #コラム #日記 #エッセイ
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