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舌打ち

 先日、四条室町にあるSUINA室町という商業施設から外に出ようとしたところ、前にものすごくゆっくりと歩く若者がいました。後ろ姿だけでもなんとなく年齢が判別できるのは、あれは何故なんでしょうかね。ずいぶんのろのろと歩いており、それなりに大きな体をしておられるうえに左にも右にも寄らず、真ん中を歩いてらっしゃったため、抜くに抜けず、困っておりましたところ、よくよく見てみると、スマートフォンを触りながら歩いておられる。ああ、そっちに夢中になって歩くのが遅くなっちゃっているのだな、これは危ないな、と思いまして、私は外へ出る自動扉が彼の通過により開かれた瞬間、彼の肩に少しばかり私の肩がぶつかるかぶつからないか、ややぶつかってしまったか、というくらいになって彼を追い抜いてやりました。本当はもっと思い切り「どん!」くらいの勢いでぶつかってやりたかったのですが、それはやめました。ちょっと迷惑なくらいにヌッと追い抜いたわけですが、そうしますと、追い抜いた直後、「チッ」という彼の舌打ちが聞こえてきました。

 その舌打ちに対して私は何も返さなかったのですが、本当は振り向いて言ってやりたかった。「君は世の中を信頼しすぎている。いま、僕は君の肩に少しぶつかって君を追い抜いたから、きっと君は腹が立って僕に聞こえるように舌打ちをしたんだと思う。でも、君が少しでも周りのことを気にかけていたなら、もっと君は早く歩いていたはずだし、そうだとしたら僕とぶつかることもなかっただろう。スマートフォンに夢中になりながら歩いていたから、僕の存在にも気づくことがなかったんだ。当たってきた僕が悪い?確かに僕は悪いかもしれない。でもこれはわかっておいたほうがいい。世の中は君が思うほど君の思い通りにはならないし、君が思っている以上におかしな人間がたくさんいる。僕みたいに君の肩にぶつかってくるくらいの悪意は世の中に満ち溢れている。スマートフォンを見ながら歩いていたらそんな悪意にさえ気づくことができない。それを相手のせいにしているうち、君はそのことによって取り返しのつかない大怪我をするかもしれないし、そのことによって人生を棒に振ることになるかもしれない。僕みたいに変わった人間はたくさんいる。世の中を信頼しすぎてはいけないよ」

 振り向くと、しかし、彼はワイヤレスのイヤホンを両耳に装着していたので、何を話す気も無くなってしまいました。それでよかったかもしれない。話をすることによってひょっとしたら僕が彼に「この老害が」と激しく殴打され、血まみれになってしまったかもしれない。世の中を信頼しすぎてはいけないのです。

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蘇我鹿男さん

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